それにしても、微妙。

2008-03-08 13:43:56
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 Wiiにテレビ機能が付いたと思ったら、そのまま繋いでるテレビの操作をするのね。
何だか、とても変な感じ、でも、使いやすいとは、思う。
部屋の液晶テレビに付いてる、電子番組表が、使い難い感じだったので。
まぁ、これもアリなのか、どうなのか、と思う。

 ここんとこ、固い文章が続いたので、軟化してみる。
でも、文章の中に顔文字とかは、使わないゾ、っと。

 ゲームが下手で、上手くならなくて、20年近く困ってる。
どうして、周りが上手くなるの、上達するの早いのかな?
まぁ、なんとか出来るのも、何種類か、あるにはあるけど。
一種の貴重な才能だろうと、諦めた事もある。

 いつの間にか、ゲームは、プレイするより、見る方が好きになった。
さすがに、私もプレイすると、周りのペース乱すので、って理由も、ある。
逆に、桃太郎電鉄とか、ドカポンなんかは、ある意味得意だったりする。

 PSPにスカイプ機能が付くそうだ、新型限定らしい。
あれも、ちょっと気になるけど、どうだろう?、と思う。
確かに、スカイプは便利なんだけど、PSPで使う場面が、あまり思いつかない。
でも、ちょっとした通話には使えそうだ。
スカイプ専用機の方が、ずっと便利そうに見えるのは、何でだろう。
気にしてはいけない問題かな。
あと、最近の電話機で、スカイプ対応のが一部である。
違和感が無い上に、固定電話と併用して使えるそうだ。

 最近のゲーム機は、家電的な役割が、強い気がする。
それはそれで良いんだけど、何かを間違っている気がしてならない。

毎日が、休日。 こういうの、なんて言うんだっけ?

2008-03-07 12:37:59
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 長文が続いてしまった。
否、それは良いんだが。
日々思う事を書いてるのに、日記っぽくないなぁ。

 そういえば、昼前に起きようとして、12時間後に目が覚めた。
そのおかげで、昨日一日を消失してしまった。
厳密には、昨日の朝6時くらいまで起きてたから、丸一日では無いけど。
何かの間違いだと、そう思ってしまった。
そんなに、寝れるのか?、と。

 まぁ、無職だし、そういう事あっても、周りに支障は無い。
精神的な障害と、コミュニケーションの障害あるおかげで、
働かなくても、収入はある。
あまりに情けない事ではあるが、医者から働く必要無いと云われてたりもする。
学生時代に、いじめられたおかげで不登校した、その経験のせいでもある。
中学時代、学校に2週間しか登校出来なかった。
その間、不登校学級の受け入れ拒否されたり、養護学級に入れと云われたり、
色々と、たらい回しにされた、そのおかげもある。

 いじめ自体が起こったのは、幼稚園の頃から、らしい。
体操教室の先生から、体罰を受けていた。
あまり覚えてないが、怖い先生だった事は記憶している。

 その後、小学校に入学して、最初の担任からも、体罰を受けた。
これは、よく覚えている。
授業が始まる前に、
「毎日学校に来る様に! 
 勝手に休む子は、お父さんとお母さんが刑務所行きになるからね」と、必ず言う担任だった。
担任から、授業中に机を蹴られて、「おまえなんか、教室から出てけ! 授業受ける資格無い」と、
怒鳴られたりもした。
その担任の目の前で、別の生徒がしてた事でも、全部、私のせいにされて、殴られた。
そんな担任は、クラスで私に対してイジメが起こる様に、誘導したりもしてた。
まぁ、その教員は、今、どっかの小学校校長になったけど。
でも、そのおかげで、色々あったけど、今の私があるから、ありがとう。
あなたのせいで、体育に使うマットに包まれ、逆さに立たされそうになった事もあったけど。
他の教員が、その状態になる寸前に見つけてくれて、すぐ助けてくれて、
今も生きてるんだけど、まぁ、それはいいや。

 そういう積み重ねがあったおかげで、障害者年金貰えるまでになったんだよ。
まぁ、引き蘢りにもなっちゃったけどね。
すっかり、外の世界が怖いとも、思っちゃったさ。
そういう自分が嫌で、東京に上京して、アニメ系だったけど、専門通ったりもした。
でも、当時居た寮の住人からストーカーまがいの事をされて、地元に逃げ帰ってしまった。
だもんで、中退でもなく、除籍になっちゃったけど。
それで、余計に外が怖くなったし。

 こういうの、理解され難い事は、よく知っている。
同情されても、凄く困る。
「悲劇の~」とか、そういう気持ちで書いてる訳では無く。
ただの状況説明だ。
金銭の約束事をしてる訳ではないし、ましてや働いている訳でも無い。
実家で、親の保護のもと、生活している。
障害者年金という形で、しばらくお金に困らない。
それだけの説明に、書いただけだ。

 すまん、ちょっと感情的な文章になってしまった。
最近は、わりと元気なんで、まぁ、読んだとしても、スルーしてほしい。

私は、私。 他人は、他人。

2008-03-07 11:16:37
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 元気という言葉を気にして使うのは、疲れているそうだ。
笑顔も、同様だと思う。
元気な人であって、笑顔が出来ている人であるなら、気にする事でも無い。

 ため息ばかりが、悪い訳でもない。
問題は、どういう場面で、ため息ついたか、である。
毒素を吐き出してる物だと思えば良い。
それで、ため息は伝染する、と。

 素直って言葉は、とても難しい。
誰に素直であるのか、自分になのか、相手になのか、立場で見え方が変わる。
で、相手から言われた場合は、
大抵、相手にとって、都合の良い反応かどうかである。
相手から、元気そうだね、と言われる場合も、同様である。

 自分に素直かどうか、それは、自分の中でしか通用しない。
誰かが、それに気付くかどうか、それ自体が困難な話である。

 でも、自分自身の苦労に気付いてもらえると、
それは、とても嬉しい事だと思う様に、したい。
人として、嬉しい事を、嬉しいと表現出来れば、と思う。

 「頑張れ」って言葉が、差別用語に当たると言う人も居る。
でも、それは違うと思う。
確かに、どう頑張れば良いのか、わからなくなる時もある。
普段の日常において、ベストを尽くすのは、意外に難しい。
相手の言葉は、勝手だ。
その勝手な言葉を、一々差別だと言うのは、無理がある。

 「頑張れ」って言葉に、元気を貰う事だってある。
プラス思考になるのは、挫けると難しくなるが、
前向きになる事が、遠回りだけど、近道だ。
でも、勝手だと知ると、意外に気楽になれる。
相手の言葉は、どんな時でも、そんなに重い訳では無いのだから。

 人間、そう強い物でもない。
元気を出すのは、一旦落ち込んでしまうと、難しい。
でも、谷底まで落ちたら、這い上がるだけだ。
本能的に、火事場の馬鹿力に近い立ち直りが、ある。
その時、気が付くのは、立ち直る術を持っているのは、自分自身であって。
それに、その立ち直ろうとする気持ちを助けてくれる人も、意外に多い。

 人間、独りだけで生きている訳では無い。
相手の気を知る事が、難しいのと同じであって、
それが、自分の事になると、相手から見えないだけである。
人間として生きるには、かなりの数の人の力を借りなければ、生きる事は不可能。
だからこそ自分は、そう特別な存在でも無いのだ。
助け合うのは本能的なものであって、そうしないと、自分の身が保たないからである。

 前向きな気持ちを維持するのは、とても大変な事である。
それでいて、元気な人は、強いと思う。
苦労を知らない筈の、子供が元気でいるのは、当然の事であって。
そんな子供でさえも、元気を見失う時代だからこそ、
それだけ今の世の中は、とても生き辛いのかな、と思います。

叩かれたからと、叩き返せば良いという問題では無い。

2008-03-05 11:36:36
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 最近、マナーについて色々思う事がある。
どうも、先に言っておけば良しとする考えが、浸透してきているようだ。
相手に対して、悪い事は、どう考えても悪い。
それをねじ曲げる為に、先に手を打って、相手にさせようとする考えとか。
あと、先に宣言する事で、自分たちが最初に手がけたと、言う事も出来る。
例え、成し遂げたのが別の人達であったとしても、だ。

 あと、先回りして元からあるものを否定した上で、自分たちが作ったと、嘘を教えるとか。
教わる人達にとって、元々あった物については、知る由も無いからだ。
そういう手をよく使うのが、一部の学校教員やマスメディア等である。
その上で、独自の造語を作り、元からその分野に居た人達に対して、差別する。

 今は、インターネットという双方向通信手段があるおかげで、
そういった嘘に気付いた人は多い。
しかしながら、今まで、それが常識とされてきた物自体を、
そのまま否定するのが正しいと思う事は、難しいと思う。
今まで積み上げてきた価値観を捨てるのは、歳をとると、より難しくなる。

 問題は、何故そういう嘘を、世間に言いふらす必要があったのか、だ。
図書館や、インターネットに籠って紐解けば、嘘だと知る事が出来る。
ただし、インターネットの情報には、嘘や勘違い、誤報が付きまとう。
ある程度、調べる術や、嘘を嘘だと見抜く手順を知る必要がある。

 で、何の話をしてるかと云うと。
他人に対するマナーの話である。
マナーを教える側の立場の人達が、教わる側に対し、嘘のマナーを良しと伝えて、
それが広がり、社会全体的な問題になってしまった、という話である。
私が思うに、少なくとも日本で起きているモラルハザードは、
誰かが悪意を以て、モラルハザードが起こる様に、仕向けた事なのだと、思う。
問題は、あらゆる面で云える事で、何についてとか、限定された物では無いのだ。
だから、どれがどうしてなのか説明するのは、大変な手間が掛かる。

 誰かを非難しよう等という、そんな目論みは無い。
ただ、これを読んだ人は知ってほしい。
どんな情報であれ、人伝に渡るという事は、何か余分な物が付きまとっている事を。

 今現在、情報を知る幅が大きく広がった事で、情報の両極化が進んできている。
一つ云いたいのは、当事者以外は、中立で考えなければ、物事が大きく偏ってしまう。
事実として現実にそうであったとしても、第三者が介在して、それをかき乱す必要は、無い。
「貴方は○○だから、信用出来ない」とか、直接関わりもない相手に云う台詞で無いからだ。
あくまでも、確かめるのが困難な推察であり、それ以上の事は無い。
お互いが、悪魔の証明をしろと、極論を持ち込むのは、とても危険な事である。

 しかし、世の中に出回る情報に、嘘が多いのは、事実だ。
疑う事が、真実と向き合う近道になるが、疑うべき事が多い現代において、
いちいち全部調べていたら、一生をそれに費やすくらい、膨大な量になる。

 願う事は、物事を教える立場の人間が、
中立であるべき事を教えて、良心を教え子に伝えてほしい。
マスメディアにおいて、スポンサーが存在する限り、
スポンサーがとる立場の意見を云わないと、
組織の存続に関わる問題になりえるので、責めようとは思わない。
物事は、白か黒かでは、無い。
どこで向き合い、どこで折り合うか、それが重要だ。

 ここ何十年か、嘘の左右に振り回されてきた。
そのおかげで、結果が決まっている出来レースを、その間、議論と呼んでいる。
平行線であって良いのだ、突飛な発言があっても、それは悪い事では無い。
世の中は、常に矛盾が孕んでいる、グレーになってしまう事のが多い。
だからこそ、色々な立場や視点の意見があって然るべきだ。
相手の意見を重んじてこそ、自分の考えが栄えある物になる。

 怖いのは、既に大きく傾いている事だ、片翼に。
でも、救いなのは、その傾いた価値観が、ほとんど嘘である事だ。
嘘を見抜くのは難しいが、本当の姿を世間に出せば、すぐ崩れてしまう。
嘘は嘘で塗り固めて、人を欺く。
しかし、もう嘘を付いてバレても、ローカルで止らない時代だ。
インターネットを駆け巡り、間接的に、嘘だと知る事が出来る。
問題は、それに対して反対側だけの論理に終始しやすい事だ。
まだ全体的に、それを対処する経験値が、とても低いのだ。

 だからこそ、最初に、マナーについて思う事がある、と書いた。
事実と向き合うのは、重要な事だけど、鬼の首を取った様になるのは、
嘘を付いていた人達と、同じ土俵の上に立ってしまうから。
マナー違反した相手に、マナー違反して良い訳では無い。

オシャレって、美味しいの?

2008-03-04 09:19:09
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 オシャレってのは、何だろう。
ふと、お風呂に入ってて思った。
わかってそうで、意外にわかってないかもしれない。

 朝ご飯食べる時は、決まって、トーストとコーヒーだ。
タバコは何年も前に辞めたけど、イングランドなどヨーロッパの銘柄を好んで吸ってた。
いや、アメリカのも吸ってたりしてたけど、カプリの一番細い奴。
音楽は、ダンスミュージック中心に、最近はガバやヌースタイルを聴いたりしている。
あと、ブレークビーツみたいな、繋ぎ合わせたフレーズのリズムが好きだ。
でも、カッコ付けようとか、そういう気持ちよりも、
好きなのを選んでいったら、偶然そういうのが、重なっただけ。

 私服は、パーカーやカッターシャツが多い。
元々は、古着中心に、アメカジが基本だったんだけど。
最近、ユニクロばっかりになってきている。
ああいう、ピタッとした服装は、妙にダンス系の雰囲気を感じる。
単に、金銭的な都合で、ユニクロになってきた、だけだったりもするが。

 まぁ、自分自身の事ではあるけど。
でも、ちっともオシャレには思わない、ただ、自分を通しているだけ。
どちらかと言えば、サイバーパンクや、ファンタジー系のアニメが好きな、オタクである。
10代の頃は、少女漫画ばっかり読んでたし。

 ダサイって事に、憧れた事がある。
でも、不潔にしても、不精さをアピールしても。
それでもダサイと、言われなかった。
そうか、別に趣味や雰囲気では測れない、中身の問題か、と。
外側だけの趣向で考えても、実のところ、オシャレかどうかは、測れないと思った。

 そういえば、雑誌の組み合わせを参考に、自分の服装とか揃えた事は無いな。
音楽にしても、何かの拍子に聴いて、気になって聴く様になっただけだし。
誰かの真似をしようなんて、思った事すら無い。
よく考えて買い物する方だと思うけど、ほとんど直感と独自の調査で決めている。
好きな物、好きな事が、偶然、他人からオシャレだと言われる結果になったのだろう。

 しかしながら、私は、人から褒められるような生活は出来ていない。
一日中、家の中に居るし、こういう考察すら、「おまえが言うな」と思われるだろう。
でも、ひとつだけ言える、人は無い物に憧れる。
背が高い人は、猫背になってでも、自分の背の高さを嫌がるように。
背の低い人は、背伸びしてでも、靴底を厚くしてでも、背を高く見せようと頑張るように。
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