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批判こそ愛国「君が代不起立・処分取消訴訟」傍聴報告

ひらのゆきこ2008/10/09
10月6日(月)午後1時10分より東京地裁で、卒業式等の君が代斉唱不起立で停職処分を受けた根津公子さんと河原井純子さんの「停職処分取消訴訟」の口頭弁論がありました。約3時間半にわたって行われた証人尋問は、教育に対する公権力の介入の違法性について、教育法学者の市川須美子さんが証言しました。
日本 裁判 NA_テーマ2

批判こそ愛国「君が代不起立・処分取消訴訟」傍聴報告 | <center>報告会の様子</center>
報告会の様子
 10月6日(月)午後1時10分より東京地裁で、卒業式等の君が代斉唱不起立で停職処分を受けた根津公子さんと河原井純子さんの「停職処分取消訴訟」の口頭弁論がありました。

 卒業式等の君が代斉唱不起立で、これまで根津さんは10回、河原井さんは7回、停職処分等の処分を受けています。今回の裁判は、06年度の処分に対するもので、現在、証人尋問が行われています。この日も、原告側証人2名による証人尋問が行われました。

 いつもと同じように、今回も大勢の人たちが傍聴にきていました。満席のため、裁判を傍聴できなかった人たちもたくさんいました。出席者は、裁判官3名(中西茂裁判長、松本真裁判官、荒谷謙介裁判官)、原告側6名(原告2名、原告代理人4名)、被告側(都教委)4名、傍聴人50名以上。

 約3時間半にわたって行われた証人尋問は、教育に対する公権力の介入の違法性について、教育法学者の市川須美子さんが証言しました。また、「戦争は教室から始まる」という本の著者で、軍国少女であった元教員の北村小夜さんは、自らの体験を語り、戦争中の終身の教科書と「心のノート」の類似性を指摘し、国が誤った方向に進もうとしているときに批判をすることこそが愛国であることを強く訴えました。

市川須美子さん「教育に対する不当介入は憲法違反」

 最初に、市川須美子さんが証言をしました。主尋問では、教育の自由についての観点から、最高裁の判例などに即し、10.23通達の違法性などについての質問がありました。

 市川さんは、教師が君が代斉唱不規律で停職処分を受けたことについて、教育に対する権力の介入という点で、これまでのどの裁判より深刻であり、強化された権力介入であると述べ、ピアノ裁判の最高裁判決は、憲法19条だけで判断したものであり、教育の自由の侵害に関わる本件の裁判の先例とはなり得ない、との判断を示しました。

 最高裁学テ判決については、国民の教育権と国家の教育権についてはいずれも全面的に採用できないとされ、教育に関しては、子どもの学習権が一番大事であるとの判断を示した判決内容であったと説明しました。

 本件に対する強制による権力的介入の特徴については、具体的な教育活動に対する介入であり、学校活動である学校行事に対し、国旗掲揚、国歌斉唱を一様に義務付け、式次第を命令し、教職員の服装などまで指示している10.23通達が「教育内容の具体的介入といわずしてなんというか」と述べ、直接的権力介入があることを強調しました。

 最高裁学テ判決では、子どもの学習権と人格権の観点から、子どもが自由な独立した人権として成長することを妨げることは、憲法26条と13条からも許されない、との判断を示しており、教師の教育の自由についても、一定の範囲で存在を認めていると語りました。

 本来、学校行事というのは、子どもと教師が中心となり、父母や地域住民が作り上げていくものであり、そのあり方に即したやり方を一切認めないのが、国旗掲揚・国歌斉唱を義務付けた10.23通達の内容であるとしたうえで、フロア形式での卒業式や入学式の否定など、これまでの学校活動が否定されたことが大きな問題であることを指摘しました。

 日の丸・君が代については歴史的背景があり、アジア諸国はもとより、日本国内にあっても議論があり、歴史的負の側面があることを考えたとき、国家のシンボルである日の丸を掲揚し、君が代斉唱を一律に強制するのは、公権力が国家への肯定を強制する行為であり、ナチスドイツの「ハイルヒットラー」と同じように、国家に対する忠誠の意味を持つことを指摘しました。
 
 多くの国民は国旗・国歌について受容しているが、強制については否定的な見解が多く、まだ自我が確立していない子どもに強制することは、子どもの自由な人権の育成に対する侵害であり、教師を通して子どもが強制に従わなければ不利益を被ることを植え付けることは、子どもが自由に判断することを妨げることであるとの見解を示しました。

 自分自身が舞台装置になることを拒否し、教師の名において公権力が一定の思想を植え付けることを拒否する教師が処分をされているのを見て、子どもたちは、命令に逆らうと教師でさえ懲戒処分をされるのだ、という処世術を学ぶ。また、本当は立ちたくないが、自分が立たないと先生が処分されるので仕方なく起立する子どもたちもいる。

 無言の圧迫による強制によって、子どもの起立、不起立が制約されることについて、公権力の内容も審査されるべきであることを指摘したうえで、10.23通達が、憲法23条、26条、及び教育基本法に違反していることを強調しました。

 懲戒処分に縛られて唯々諾々と教育ロボットに追い込まれ、教育者としての自己の使命を裏切ることは、教師の人格の崩壊につながることであり、40秒であっても信念を貫かざるを得ないことや、起立せざるを得ない教員も、自分の人格を切り刻み、切り刻まれ、追い込まれている、と述べ、厳しい状況に追い込まれてる教師の現状を訴えました。

 1人でも集団の群れから外れた人がいたら寄り添うのが教師であり、教師の人権を保つために不起立にならざるを得ない、と述べ、自分の判断でやっていいというメッセージが不起立には込められていると語りました。

 不起立を繰り返していることについては、教師であり続けるために自分の生身の体をさらし、教育ロボットになれと言われてもなれない心からの叫びであり、表現であると語りました。懲戒処分に追い込まれてもそれを貫いているのは教師の誠実さの表れであり、教師にとって必要な不器用さであるとして、原告らの行動に理解を求めました。

 市川さんは、未履修問題についての文科省の処分が公文書偽造という重大な犯罪行為であったにもかかわらず、厳しい処分となっていないことを指摘し、教師の良心に従い、たった40秒の不起立で重い処分が下されるのはあまりに落差がありすぎ、不公平であるとして、文科省の対応を厳しく批判しました。

 市川さんの主尋問が終盤に差し掛かったとき、中西裁判長が、傍聴席に対し、「眠い人がいれば外に出てください。眠り声が聞こえてきます」と注意を与えました。傍聴席の最前列に座っていた筆者は、中西裁判長がときどき居眠りをしているのを見ていたので、その注意をそのまま中西裁判長にも与えたいと思いながら、裁判官のみなさんは自分たちも見られているということを理解する必要があるとの感想を持ちました。

 最後に、弁護人が、この裁判についての感想を求めると、市川さんは、次のように述べました。

 「最初、(根津さんと河原井さんに対し)エキセントリックな先生方との印象を持っていました。お二人の陳述書を読み、教育実践で子どもを大事にする教育をしていることが読み取れました。不起立は子どもに寄り添った教育実践の延長で行われており、繰り返されていることは止むを得ないと思いました。不起立を貫くことは良心の静かな意志を示したものであり、これで過重な処分はおかしい。子どものため、子どもに寄り添った教師を教壇から追い出すのは正当性がないと思います」

 反対尋問では、被告代理人から、主として最高裁のピアノ裁判の判決に対する証人の認識についての質問がありました。被告代理人は、教師は自分がその考えに与しなければダーウィンの進化論や社会のルールを守ることなども教えなくてもいいのか、などと故意に問題を矮小化するような質問を繰り返していました。どんな質問に対しても丁寧な答弁をしていた市川さんも、「なにを目的として質問をしているのかわからない」と逆に質問をする一幕もありました。

 反対尋問が終わったあと、中西裁判長が質問しました。中西裁判長は、教師の人格が壊れ、教師自身が崩れる、ということを証人は言ったが、それは、主観的なものか、と質問しました。市川さんは、「主観なものであり、それはいじめと同じ」と答えました。

 また、進化論を信じていなくても進化論を教えなければならないとすれば、日の丸・君が代を否定している教師も同じではいないかという質問に対しては、一つの見解だけでなく、ほかの考え方がある場合、その異なる見解についても教えることができる自由があることが必要であるとの見解を示しました。

批判こそ愛国「君が代不起立・処分取消訴訟」傍聴報告 | 第三期国定教科書修身小1(1918-1933)。忠実な日本人になる道筋が示されている。最初の文字は「天皇陛下万歳」。「心のノート」にも徳目としてほぼ同じ道筋が描かれている。修身が悦論的であったのに対し、「心のノート」は河合隼雄氏らによって誘導しながら「一人一人の児童生徒が道徳的価値を自ら求め、自覚していくよう」仕組まれている(北村小夜さんの資料より)
第三期国定教科書修身小1(1918-1933)。忠実な日本人になる道筋が示されている。最初の文字は「天皇陛下万歳」。「心のノート」にも徳目としてほぼ同じ道筋が描かれている。修身が悦論的であったのに対し、「心のノート」は河合隼雄氏らによって誘導しながら「一人一人の児童生徒が道徳的価値を自ら求め、自覚していくよう」仕組まれている(北村小夜さんの資料より)
北村小夜さん「批判こそ愛国」

 次に、北村小夜さんの証人尋問がありました。北村さんは、養護学校の教員になった経緯や、戦争中の学校教育のことなどについて証言しました。

 1932年、北村さんが小学校に上がる直前、上海事変における爆弾三勇士の武勇をたたえる旗行列があったそうです。三勇士は北村さんが生まれた久留米市の工兵隊から出兵しており、当日北村さんも小旗をもって行列に参加しました。旗を配ってくれた町内会の世話役のおじさんが北村さんを高く掲げてくれ、上から見る旗の波はきれいで、「すっかり日の丸が好きになりました」と語りました。

 2年生の冬、現天皇が生まれ、翌春、皇太子誕生を祝う会があり、北村さんたち生徒は、北原白秋作詞、中山晋平作曲「皇太子様お生まれになった」に合わせて日の丸の旗をもって踊ったそうです。以来、北村さんは、「天皇陛下一直線です」と語りました。

 日本が米英に宣戦布告して間もなく、美術の教師に「鬼畜米英撃滅」のポスターを描いてくるようにと言われた北村さんは、台所でお母さんが肉引器で大豆かなにかを引いているのを見て、これだと思い、画用紙の上半分に大きく憎いルーズベルトとチャーチルの似顔絵を描き、体を小さく描いて肉引器の中に入れ、下から血や肉が滴り落ちるように仕上げ、我ながらうまくできたと悦に入りながら翌朝早く登校して美術の教師に渡したそうです。

 ところが、教師は一瞥しただけでももとのようにくるりとまいて戻し、再び北村さんの顔を見ようとしなかったそうです。このときの教員の態度について北村さんは、「教員は自分の意に染まないことには最小限の協力しかしないことで自分に忠実に生きた人だと思うが、教師であるために十分国策の伝導をしていることを知っていた。せめてこのとき、これは人道に反する、と言ってくれたら私のその後の生き方は変わっていたかもしれない」と述懐しました。

 北村さんは、ボーイフレンドが「この世で会えなかったら靖国で会いましょう」と言い残して海軍予備学生になったことから、自分も京城の日本赤十字社救護看護婦養成所に入ったことや、朝鮮の毎日は皇国臣民の誓詞を唱えることから始まったことや、土地も言葉も名前も奪われた朝鮮の人たちの思いを、当時は理解できなかったことなどについて語りました。

 当時は修身が首位教科で、全ての教科が修身的であり、全ての教科が教育勅語の実践編だった述べ、「天皇陛下のお治めになるありがたい国に生まれたのだから忠義を尽くさなければならない、そのためにいい子でいなければならないというものでした」と語りました。

 北村さんは、02年に配布され、使用が義務付けられている国定道徳教材の「心のノート」は、同様の趣旨でいい子を示し、国威をあげた人を見習って「わが国を愛しその発展を願う」国民の育成を目指している、と指摘しました。配布直後に行われた文科省の配布状況調査では、盲・聾・養護学校及び特殊学校は対象から外されており、「障害者は愛国者になれないということでしょうか」と皮肉を込めて批判しました。

 北村さんは、現状がきわめて危機的な状況にあることや、根津さんと河原井さんがなぜ不起立をせざるを得ないのか、その理由について次のように訴えました。

 「いま、私たちは後退りを続けています。この事態が戦前です。私たちを教えてくれた先生たちもすべてが戦争推進者ではありませんでした。しかし、疑問や抵抗を示す人はいませんでした。態度に示さなければ推進者の役割を果たします。だから私は軍国少女になり戦争をし、天皇ために青春を費やし、まだ取り戻せていません。原告らはその愚を繰り返すまいと異議を申し立てています。国が進む方向を誤りかねないときは批判こそ愛国です」

批判こそ愛国「君が代不起立・処分取消訴訟」傍聴報告 | <center>国定道徳教材「心のノート」(02年〜)(北村小夜さんの資料より)</center>
国定道徳教材「心のノート」(02年〜)(北村小夜さんの資料より)
報告会

 報告会では、弁護団が今日の裁判についての報告をしたあと、根津さんと河原井さんが発言をしました。約60名の参加者が弁護士会館のロビーで熱心に耳を傾けていました。

 河原井さんは、今回の証人尋問について「心強い証言」と述べ、市川さんと北村さんに対する感謝の意を表しました。河原井さんは、10.23通達が出てきたとき、組合がストをしなかったことについて北村さんが厳しく批判したことに言及しながら、この問題に対する組合の対応に問題があることを指摘しました。

 また、34年間の教員生活で大切にしてきたこととして、2つのメッセージがあると述べ、1つ目は「どんなときもイエスかノーを言い合うこと」、2つ目は「自分らしく生きていくことを模索すること」だと語りました。そのことを「こころとからだの学習」など通じて実践してきたが、(証人の)2人はそれを理論的にきちんとまとめて証言してくれたと、重ねて感謝の意を示しました。

 次回行われる本人尋問では、「教師活動の中の不起立は、私の教育実践であるということを裁判所に伝えたい」と語りました。

 根津さんは、04年より06年の状況がさらに厳しくなっていることを強く感じたと述べ、状況が刻々と変化し、ものすごいスピードで変わっていることを実感していると語りました。

 今日の2人の証人尋問については、市川さんは自分が言いたいことを全部話してくれたと述べ、北村さんのお話は体験者としての立場から説得力のある内容であったと述べ、感謝の気持ちを伝えました。本人尋問では、教師が置かれている状況や、学問の自由が必要であることを、裁判所に訴えたい、と語りました。

◇ ◇ ◇

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[38176] 職務中の話とプライベートの話は別です
名前:新井秦基
日時:2008/10/13 18:53
> そこで質問なのですが、戦時中に、教員が、同じように、「戦争は
>罪悪。この戦争は侵略である」と、学校で言ったとしたら、特高にとっ
>捕まって、処罰されたと思いますが、そのことに対して、当然である
>と賛同なさるのでしょうか?


賛同しません。
言論内容を理由に特高が逮捕するのは言論の自由に反するものであり、
許されるものではございません。



>上記の例は、日の丸・君が代の問題と同じではないですが、多数の言う
>ことであれば、各個人の多数とは違った考えを教育公務員が主張するこ
>とを全面否定されるということでしょうか?


教育公務員が多数派とは異なる主張を個人的にプライベートの空間で行う
のは自由です。この場合に、警察が逮捕したり都教委が処分するのは言論
の自由に反する行為であり、間違いなく違法です。
問題としているのは、職務中における行動です。
職務中は、個人の思想信条の自由は制限され、組織の一員としての行動が
要求されます。これは教師に限った話ではありません。いかなる職業であれ、
組織として行動する場合には個人の立場を抑えるべきです。



>現憲法下では、戦前と違って、思想・信条の自由は保障されていること
>になっています。よって、何が思想・信条の自由かを国民は考えなけれ
>ばならないと思います。戦前のように、権力者に強制されるのは、まっ
>ぴら御免こうむります。


公教育に携わる教師は、プライベートな空間で思う存分思想信条の自由を
発揮してください。卒業式や入学式は、教師が自己の思想信条の自由を表
現したり行使する場ではありません。


職務中のお話とプライベートのお話は別であることを再確認してください。
[返信する]
[38175] お近くの裁判所でご確認ください
名前:新井秦基
日時:2008/10/13 18:52

>天地さんや新井さんには何度同じ事を申し上げていることかわかりません
>が、言うまでもなく、どんな組織でも違法な職務命令を命じることは権限
>外の違法行為です。


違法かどうかを判断するのは教師ではございません。



>株主総会の運営にあたる従業員に株主の発言を不当に妨げる活動を命じる
>ことは違法ですし、葬儀屋の従業員に対しても、自己の信仰に反する礼拝
>を強要する命令を出すことはできません。


例えが不適切ですね。
従業員に株主総会の運営を命令したところ、「嫌いな大株主が来るのでやり
ません」と拒否された。上司はこれを理由に従業員を処分した。
教師の問題とパラレルに考えるならこういう感じですね。
あと、葬儀屋の従業員が自己の信仰に反する礼拝を強要されることなどあり
ません。自己の信仰に反する宗教形式による葬儀の運営を命令されることは
ありますが。この場合に「私は仏教徒なのでキリスト教スタイルの葬儀の運
営は拒否する」としたら、会社に処分されます。もちろん職務上の適法な命
令です。



>教師を含め、学校行事の出席者に、良心の自由に反する「国旗へ起立等の敬
>意の表明の強制及び国歌斉唱の強制」を命じることも、間違いなく違憲であ
>り違法です。そんな権限は誰にもありません。


「間違いなく違憲であり違法である」と判断するのは佐藤様でも教師でもあり
ません。また、学校の教師とその他の出席者は同列に扱うことはできません。
保護者や子供が個人の信条を理由に拒否するのは自由です(もちろん、教師に
よる扇動がないことが前提です)が、教師は運営者の立場にあるものであり、
自由を享受する立場にありません。



>特定の右翼イデオロギーに基づいてなされた、良心の自由に反する「国旗へ起
>立等の敬意の表明の強制及び国歌斉唱の強制」は、そのような「意向」が、仮
>に選挙において示されてたり、都教委から示されたとしても、そもそも違憲違
>法なものです。従って、教育政策に反映させる余地など一切あり得ません。


繰り返しますが、違法と判断するのはあなたでも教師でもありません。
念のため、お近くの裁判所に立ち寄り「私は裁判官であったか否か」確認される
ことをお勧めします。
[返信する]
[38174] じゃあ革命でもしてください
名前:新井秦基
日時:2008/10/13 18:51
要するにあなたの主張は「小選挙区制だと我々少数派の意見が採用されないから、そんなシステムには従いたくない!」ってことですよね。


じゃあ暴力革命でもやって、ゼロから作り直しますか?
革命でも支持者が多ければ英雄になれますけど、少なければ単なるテロです。
[返信する]
[38173] お近くの裁判所でご確認ください
名前:新井秦基
日時:2008/10/13 18:51

>天地さんや新井さんには何度同じ事を申し上げていることかわかりません
>が、言うまでもなく、どんな組織でも違法な職務命令を命じることは権限
>外の違法行為です。


違法かどうかを判断するのは教師ではございません。



>株主総会の運営にあたる従業員に株主の発言を不当に妨げる活動を命じる
>ことは違法ですし、葬儀屋の従業員に対しても、自己の信仰に反する礼拝
>を強要する命令を出すことはできません。


例えが不適切ですね。
従業員に株主総会の運営を命令したところ、「嫌いな大株主が来るのでやり
ません」と拒否された。上司はこれを理由に従業員を処分した。
教師の問題とパラレルに考えるならこういう感じですね。
あと、葬儀屋の従業員が自己の信仰に反する礼拝を強要されることなどあり
ません。自己の信仰に反する宗教形式による葬儀の運営を命令されることは
ありますが。この場合に「私は仏教徒なのでキリスト教スタイルの葬儀の運
営は拒否する」としたら、会社に処分されます。もちろん職務上の適法な命
令です。



>教師を含め、学校行事の出席者に、良心の自由に反する「国旗へ起立等の敬
>意の表明の強制及び国歌斉唱の強制」を命じることも、間違いなく違憲であ
>り違法です。そんな権限は誰にもありません。


「間違いなく違憲であり違法である」と判断するのは佐藤様でも教師でもあり
ません。また、学校の教師とその他の出席者は同列に扱うことはできません。
保護者や子供が個人の信条を理由に拒否するのは自由です(もちろん、教師に
よる扇動がないことが前提です)が、教師は運営者の立場にあるものであり、
自由を享受する立場にありません。



>特定の右翼イデオロギーに基づいてなされた、良心の自由に反する「国旗へ起
>立等の敬意の表明の強制及び国歌斉唱の強制」は、そのような「意向」が、仮
>に選挙において示されてたり、都教委から示されたとしても、そもそも違憲違
>法なものです。従って、教育政策に反映させる余地など一切あり得ません。


繰り返しますが、違法と判断するのはあなたでも教師でもありません。
念のため、お近くの裁判所に立ち寄り「私は裁判官であったか否か」確認される
ことをお勧めします。
[返信する]
[38172] 出典は
名前:田中秀郎
日時:2008/10/13 18:46
陸軍刑法については、HP 「中野文庫」の陸軍刑法
から引用させていただきました。
[返信する]
[38171] 状況が違ってませんか?
名前:田中秀郎
日時:2008/10/13 18:42
西陣太郎様
横からですが、ご紹介いただいた例と今回の国旗国歌の騒ぎと
は別ではないでしょうか。

>そのお坊さん、戦時中に「戦争は罪悪。この戦争は侵略である」と説き、検挙されたそうです。

どういう根拠で処罰されたか調べましたが、陸軍刑法を
適用されています。
第99条「戦時又ハ事変ニ際シ軍事ニ関シ造言飛語ヲ為シタル者ハ七年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス」があります。
それと第2条「本法ハ陸軍軍人ニ非スト雖左ニ記載シタル罪ヲ犯シタル者ニ之ヲ適用ス」とあり6項で先にあります99条が含まれて
います。
当時はすでに北支事変から始まって、ちょうど南京攻略戦など
の頃です。
世の中あげて、軍需動員が本格化しだしたころに、明確に
軍を批判した民間人が罰せられるのは当時の風潮から
は明らかです。
本来はかばうはずの宗教界からも処分されていたくらいですし。
現代からは想像もつかないくらい厳しい時代だったと思います。

ですが、今回の根津先生などの例は、公務員が業務命令に
従わないだけの問題です。
同じに扱っては失礼ではないでしょうか。

[返信する]
[38170] NHKのETV番組「戦争は罪悪である」は?
名前:西陣太郎
日時:2008/10/13 16:57
 昨晩、NHK教育テレビで、真宗大谷派の高僧・竹中彰元についての番組が放映されていました。


 そのお坊さん、戦時中に「戦争は罪悪。この戦争は侵略である」と説き、検挙されたそうです。


 そこで質問なのですが、戦時中に、教員が、同じように、「戦争は罪悪。この戦争は侵略である」と、学校で言ったとしたら、特高にとっ捕まって、処罰されたと思いますが、そのことに対して、当然であると賛同なさるのでしょうか?

 上記の例は、日の丸・君が代の問題と同じではないですが、多数の言うことであれば、各個人の多数とは違った考えを教育公務員が主張することを全面否定されるということでしょうか?


 現憲法下では、戦前と違って、思想・信条の自由は保障されていることになっています。よって、何が思想・信条の自由かを国民は考えなければならないと思います。戦前のように、権力者に強制されるのは、まっぴら御免こうむります。

[返信する]
[38168] 違法な職務命令に従う義務などありません
名前:佐藤折耶
日時:2008/10/13 16:41
>>○都教委には、「立たせて歌わせる権限」などないのです。<<


>ありますよ。どんな組織でも同じです。株主総会の運営にあたる従業員、葬式の運営に当たる葬儀屋などで、職務を実行しない従業員がいたら職務を行うように指導する権限があります。公務員も例外ではありません。<


天地さんや新井さんには何度同じ事を申し上げていることかわかりませんが、言うまでもなく、どんな組織でも違法な職務命令を命じることは権限外の違法行為です。


株主総会の運営にあたる従業員に株主の発言を不当に妨げる活動を命じることは違法ですし、葬儀屋の従業員に対しても、自己の信仰に反する礼拝を強要する命令を出すことはできません。


教師を含め、学校行事の出席者に、良心の自由に反する「国旗へ起立等の敬意の表明の強制及び国歌斉唱の強制」を命じることも、間違いなく違憲であり違法です。そんな権限は誰にもありません。



>それで、繰り返し質問してるんですけど、選挙や都教委の意向が無視された場合、保護者や有権者は自らの意思をどのように教育政策に反映させればいいんですか?これに代わるシステムはあるんですか?<


特定の右翼イデオロギーに基づいてなされた、良心の自由に反する「国旗へ起立等の敬意の表明の強制及び国歌斉唱の強制」は、そのような「意向」が、仮に選挙において示されてたり、都教委から示されたとしても、そもそも違憲違法なものです。従って、教育政策に反映させる余地など一切あり得ません。


言うまでもないことです。残念でした(笑)
[返信する]
[38166] ダメ押し
名前:別府有光
日時:2008/10/13 13:32
選挙制度の選択といわれるが、あなたは選択の主語を明示していませんね?
仮に国民が選択するとすると、どうやって選択するのですか?
選挙制度の選択のための選挙といえばおかしなことになるのが分かりませんか?
[返信する]
[38159] 新井さん、こういえば分かってくれますか?
名前:別府有光
日時:2008/10/13 11:35
あなたと私とは水と油ほど違う。この二人が無理に一つの国を造ることは必要ない。いっそう日本国を解散したらどうですか?
日本国解散の主張は何も私が最初ではない。私の知る限り福沢諭吉が最初です。
私にはあなたは自分の主張を他人に強制したいとしか思えない!
[返信する]

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