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スペースシャトルからゴキブリへ

今回の金融危機の原因を、契約理論で考えてみる。私の昔の論文の再利用だが、政策担当者には参考になるかもしれないので、簡単にまとめておく。かなりテクニカルなので、興味のない人は無視してください。

前に磯崎さんとの往復ブログ(?)でも書いたが、なぜ金融市場で株式と債券という特殊なcontingent claimが圧倒的に多いのかは、合理的に説明がつかない。理論的に考えれば、Arrow-Debreu証券(状態空間の単位ベクトル)で状態空間を連続にスパンすることで完備市場になるので、一般には株式も債券も最適な証券ではない(Allen-Gale)。派生証券で両者の線形結合をつくることによって効率は高まるので、こうした金融商品は市場ではゼロサムゲームだが、経済的な福祉は高まる(だから賭博とは違う)。

もし取引主体が無限に多く、彼らの選好が連続に分布していれば、すべての証券はArrow-Debreu証券の合成として実現可能なので、流動性危機は生じない。しかし実際には、証券が取引されるためにはかなり大きな「臨界取引量」が必要で、それを上回らないと金融商品として成立しない。したがって状態空間の中の少数のベクトル(証券)に取引が集中することで市場が成立する。株式と債券は古くからあるため、こうしたコーディネーションのfocal pointになっていると考えられる。

新しい金融商品を発行するときも、それが標準化されて市場に広がることが重要だ。一般に、金融商品のfirst mover's advantageは大きく、最初に開発した投資銀行の商品が市場の半分以上を占めるといわれる。このため、1990年代前半まで金融商品(ソフトウェア)で特許は取れなかったが、急速なイノベーションが起こった。これは「知的財産権」なるものがイノベーションの必要条件ではない例としてよくあげられる。

では特許がないのに、投資銀行はどうやって利益を上げたのだろうか? それはIT業界でいえば、SI業者と同じである。投資銀行は金融商品そのものは公開して市場に普及させるが、それを運用する知識はきわめて高度で、しかも特定の顧客向けに最適化してリスク分散のために多くの債権を複雑に組み合わせた仕組債にするので、中身はほとんどブラックボックスになり、顧客は運用もその投資銀行に頼らざるをえない。IBMがオープンソースのLinuxを使ってシステム構築でもうけるのと同じだ。

個々のモジュールは業界標準の証券なので流通性が高いが、仕組債はカスタマイズしているの流通性が低い。しかも投資銀行は高いレバレッジをかけて資本効率を上げるので、多くのモジュールの一つでも市場が崩壊すると、仕組債全体が売却できなくなり、急いで売ると額面の5%といったfire saleになる。こうした損失にもレバレッジがかかって何倍にもなるので債務不履行の連鎖が起こり、それがCDSをもつ投資銀行の資産を破壊する・・・

というように悪循環が起こる。個々の金融商品は独立性の高い疎結合(loose coupling)になっているのだが、それを複雑に組み合わせて特殊なポートフォリオを組むため、相対決済しかできなくなってcounterpartyが密結合(tight coupling)してしまい、コーディネーションの失敗が起きたわけだ。ブックステーバーもいうように、金融システム全体がスペースシャトルのようにデリケートで脆弱になっているため、Oリングが1本切れたただけで墜落してしまう。

だからこの問題の長期的な解決策は、ブックステーバーの言葉でいえばゴキブリのように、細かく最適化しないで標準的なモジュールだけを使うことだ。これは収益という点では高度に最適化した仕組債に劣るが、今のような状況になっても売却できる。この点で流動性が最大なのは現金だから、ケインズのいう流動性選好が大恐慌で強まったのは合理的だ。ゴキブリ並みの金融技術しかない邦銀が助かったのも、このおかげだ。

ITでいうと、これはインターネットの思想である。自律分散型のパケット交換は冗長性が高いので、効率は悪いが、災害や戦争になってもとにかく動く。派生証券は、効率は高いが事故に弱いATM交換機のようなもので、情報産業ではもはやレガシー技術である。投資銀行は最先端のようでいて、実は一昔前のPSTNと同じ構造なのだ。今回の事件を教訓として、金融システムをloose couplingにし、インターネットのようなゴキブリ型ネットワークに変える必要があろう。
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