米ロサンゼルス市で1981年に起きた銃撃事件で、同市警に逮捕された元会社社長、三浦和義容疑者が拘置施設で自殺した。旅行先のサイパンで身柄を確保され、逮捕無効の申し立てなどが認められずにロスに移送された直後だった。動機など詳しい事情は不明だが、拘置期間が7カ月以上に及び、心身共にダメージを受けていたのではないか。
三浦元社長は保険金目当てに前妻の殺害を図ったとして85年、実行を依頼された元女優と共に逮捕され、殺人未遂罪で懲役6年の実刑が確定した。88年には前妻が死亡した銃撃事件でも実行役の会社社長と共に逮捕され、1審で殺人罪などで無期懲役の判決を受けたが、東京高裁で逆転無罪となり、最高裁で無罪が確定している。
ロス市警が改めて三浦元社長の立件を図った最大の理由は、米国には殺人についての時効がないことだ。判決が確定した同じ事件で再び罪に問われない「一事不再理」の原則は日本と変わりがないが、日本にはない共謀罪を適用すれば、抵触しないと判断したものとみられる。また、改正カリフォルニア州刑法では外国の裁判は一事不再理の対象外とされることなどから、殺人罪による訴追の可能性も残されていた。
三浦元社長側は引き続き逮捕の無効を訴える予定だったため、日米間の司法制度の違いをめぐって今後の裁判も長期化が予想されていた。さらに有罪と認定されれば、厳刑は免れないともいわれていた。いずれにせよ、三浦元社長が米国領に入らない限りは、逮捕されることはなく、仮に米国側が身柄の引き渡しを求めても日本側は拒否したはずだった。
その意味で三浦元社長はサイパンを訪問したことを悔やんだに違いない。事件発覚後、涙ながらに身の潔白を訴えた姿は今も多くの人々の記憶に残っている。米国の法廷でも無罪を強く主張すると思われていただけに、自ら命を絶つとは、あまりにも衝撃的で予想外の結末だ。
ロス市警側は有力な証拠を用意したとされており、未解決になっている79年発覚の女性変死事件なども含め、事件発生地を管轄する捜査当局による真相解明ができなくなったことには残念な面もある。
しかし、たとえ米国側に捜査権があるとはいえ、同じ事件で2度刑事訴追される事態は人権上、問題なしとしない。88年当時の日本側の捜査には米国側も協力した。再捜査に乗り出す以上は新証拠を日本側に開示するなどの手続きがあってしかるべきではなかったか。
国際化の中で2国間にまたがる事件は今後も発生が予測されるだけに、米国など邦人の往来が盛んな相手国との間で国外犯捜査についてのルールを確立する必要がありそうだ。
毎日新聞 2008年10月12日 東京朝刊