「ついに過労死か」
倉敷支社の移転に伴ない、出稿を終えて箱詰め作業中の出来事です。働き者だったシュレッダーが、天に召されました。
個人情報やマル秘メモ、はては怪文書まで、いつの時代、誰が残したものか分からない書類を処分するためにフル稼働したからです。
代々引き継がれてきた机、ロッカーをチェックしていくと奥から出るわ出るわ。今は見なくなった夏目漱石の千円札は、ありがたく部費にさせていただきました。でも、本稿では書けないようなものまで出てきて、作業の手を休め、部員と爆笑したこともあります。
開かずのとびらだったのは、写真現像のための暗室。デジタルカメラ世代の若い記者は、存在すら知らなかったようです。十年以上前から使っていないので中は、倉庫と化していました。暗幕が張られたドアを開けると現像液のすっぱいにおいが立ち込めていて、駆け出しの福山支社時代、暗室の中で悪戦苦闘したことが思い出されました。
モノクロ写真の時代。フィルムを現像し、ネガを紙に焼き付けて写真一枚仕上げ、それを本社に電送する。一時間近くかかった作業も今は五分ばかりで完了です。
ツタの絡まる四階建ての現支社は一九六九年に完成したものです。倉敷エリアの取材拠点として、さまざまな人間ドラマを世に送り出してきました。十四日からは倉敷本社として白楽町に移転し、業務を始めます。暗室はありませんが、現支社で刻んできた伝統と地域を愛する気持ちはそのまま引き継がれます。
(倉敷支社・河原聡)