来年四月一日付で岡山市が政令指定都市に移行することが、閣議で決まった。政令市の指定は二〇〇七年の新潟、浜松両市以来で、岡山市は全国で十八番目、中四国では広島市に次いで二番目となる。
岡山市は、平成の大合併で御津、灘崎、建部、瀬戸町を編入し、人口約七十万人。国が〇一年、政令市の人口要件の目安を百万人から七十万人に緩和した特例の適用を受けた。
移行に伴い国・県道の整備と管理、小中学校教員の採用など千五百以上の事務・事業が県から市に移譲される。財政規模も拡大し、当面、年間約六十億円を市民サービスの向上に回す余裕が生まれる見通しだ。住民に最も身近な自治体の権限と財源が拡大することで、より主体的なまちづくりが可能になる。
岡山市は近畿と九州、山陰と四国を結ぶ高速交通網の結節点で、三千メートル滑走路を持つ岡山空港もある。一方、市の資料によれば市を含む政令市十八市の中で、人口十万人当たりの医師数が三位、高齢者福祉施設数では一位だ。医療や福祉、それに教育が充実している。
しかし、岡山市は地理的優位性や都市集積を生かし切れていないと指摘されて久しい。今春、本紙に掲載された日本政策投資銀行のデータでも、広島市に比べて市中心部のオフィス機能の弱さや夜間人口の少なさが目立つ。分権時代もにらみ、政令市移行を機に中四国の拠点都市としての存在感を高め、飛躍していかなければならない。
山陽新聞社が今夏行った市民アンケートでは、政令市移行に対する賛成、反対を問う質問で「どちらともいえない」が過半数を占めた。「良い点が分からない」「政令市になって何をしたいのかが見えてこない」といった理由が多かった。
政令市の意義やメリットがまだ十分浸透しておらず、実感がわかないといったところだろう。移行後の主体的なまちづくりには市民の積極的な参画が欠かせない。権限と財源が増し、新たに区制を敷くことで暮らしがどうよくなるのか。市は、なお丁寧に市民に説明していく必要がある。
何より、都市の未来図をまず市が示すことだろう。市は昨夏決めた都市ビジョンで「中四国をつなぐ総合福祉の拠点都市」「水と緑が魅せる心豊かな庭園都市」の政令市像を掲げた。ビジョンを基に、本年度中に次期総合計画を策定する。
イメージを肉付けして具体的な設計図とし、活発な議論を経て新たなまちづくりに踏み出すときである。
今年のノーベル平和賞にインドネシア・アチェ州独立紛争の和平合意をまとめ、世界各地で紛争解決に当たってきたマルッティ・アハティサーリ前フィンランド大統領が選ばれた。
ノーベル賞委員会は、授賞理由について「三十年以上にわたり、国際紛争解決に尽力してきた」ことを挙げ、「より平和な世界」の構築に貢献したとたたえた。
アハティサーリ氏の「和平請負人」としての手腕が示されたのがコソボ紛争での活動だ。難民流出と多数の民間人の死傷者が出る中で、当時のミロシェビッチ・ユーゴスラビア大統領を粘り強く説得し、一九九九年にコソボ自治州からのユーゴ軍撤退を実現させた。
その後、国連事務総長特使として、コソボ独立を勧告する仲介案をまとめ、今年二月のコソボ独立宣言に道を開いた。
約三十年にわたり約一万五千人が犠牲となったアチェ紛争では、スマトラ沖地震・大津波で被害を受け和平機運が出てきたのを利用し、インドネシア政府と独立派「自由アチェ運動」を仲介、和平合意の調印にこぎつけた。二〇〇六年には元独立派の州知事が選挙で誕生し、和平は定着しつつある。
当事者からの信頼も厚い。イスラエル軍によるヨルダン川西岸の難民キャンプの虐殺疑惑調査団長に就任した際は、当時のパレスチナ自治政府のアラファト議長から「難局打開には最適の人物」と評価された。
〇一年の米中枢同時テロをきっかけに、米国はイラク戦争へ突き進んだ。今回の平和賞は、武力に頼らず外交交渉によって国際紛争を解決する努力の重要性を国際社会に強く訴えたといえよう。平和国家を自任する日本にとって、国際貢献の在り方を考える契機としたい。
(2008年10月11日掲載)