九州代表として菅原道真にひとこと言いたい。大宰府に左遷されたからといって、そんなに嘆かないで。水鏡に顔を映して落ち込んだり、天拝山に登って帰りたいと訴えたり。都人にとって大宰府は千里離れた辺境の地。でも地元の人は、その地を愛して暮らしていたはずだ。
きょう最終回の連載「わたしたちの九州」第11部では、地方の民意と中央の政治との断層を追った。成長や発展から取り残された地を「辺境」と位置付け、現場を歩いた。「辺境」は山村だけじゃなく、都市部にもあった。声を上げても政治には届かない、そんな怒りや悲しみが共通していた。
遠く離れた地方は辺境。中央の考えは道真の時代と変わっていない。格差の広がり、地方の切り捨てに触れるにつれ、その思いは強くなる。死後道真は自分を見捨てた都に雷を落としたとされる。「辺境」の怒りも沸点に近づいている。 (塩田)
=2008/10/05付 西日本新聞朝刊=