在日と日本 -強制連行という嘘-

tech.gifなにやら、ふざけたことぬかしとる奴らがおるらしい

依存症の独り言さん 朝鮮総連を解散させろ!より

制裁に抗議し座り込み/国会前で朝鮮総連の若者ら

もひとつ

これはアカピー

朝鮮総連国際局長、制裁措置の撤回求める 

 また、「核実験には賛成も反対もしないが、状況は理解できる。わが国は核実験をしても、世界の核廃絶を目標に掲げている」などと語った。

 拉致問題については「金正日総書記は遺憾の意を表し、再発防止を約束した。拉致被害者は全員帰国し、共和国には残っていない。日本側が拉致問題を政治利用している」と主張した。

tech.gifなめとんのか? こいつらは

そんなに言うならお帰りください、もういいから

で、いつもいつもいつもいつも被害者ヅラしやがって・・・
たまにゃあ、あっしも書くぞ
その代わり、脊髄反射の感情論じゃなくて、おまいらの一番嫌がる資料を出してやる

まずは、絶版になってるこれを復刻


朝鮮総連と、共産党、そしてなぜか池田のバカまでが買い占めとったらしいね
その残滓は、こんな感じでしか残ってない
このサイトにある資料、全部持ってるから・・・意地悪く、不定期に復刻してやるよ(笑み)

まずは、Wikipediaの在日コリアンの項が頼りにならんので・・・

ちなみに、これ書いた人は、相当朝鮮にシンパシー抱いとる
で、日本のこと悪く書いたり、こともあろうに陛下の悪口まで書いてる
そんな人が書いた本の中の朝鮮人に関する叙述、しかも引用資料が明記されてるから、始末が悪いとも言える、朝鮮総連とか、朝鮮シンパの人にとってね
 

1、日本渡航の由来


底辺の労働力

 日韓併合の前年(1909年末-明治42年)、日本にいた朝鮮人は790人で、これらの人々の大部分は留学生であった。その頃は、ロシアに勝ったアジアの先進国日本の声望は高く、1906年には清国からの在日留学生は7,000余を数え、フランス統治下のヴェトナム留学生も200名以上(1908年)といった時代であるから、朝鮮からも官費、私費の留学生が東京に集まっていたのである。これら留学生たちは、いわば在日朝鮮人前史にあたり、在日朝鮮人問題は1910年の併合に始まった。

 併合により一応日本国民となった朝鮮人には、外国人としての居住や職業の制限がなくなった。
朝鮮における、農民の貧困による労働力排出のプッシュ力と、日本内地の方が雇用の機会と高い賃金を得られる可能性があるというプル力から、第一次大戦終了間もない頃(一九一九年)在日朝鮮人は急速に増大し、その人数はこの年には1万5千人に迫った。しかし同年の3・1独立運動直後の4月、総督府は治安上の顧慮から「朝鮮人ノ旅行取締リニ関スル件」を制定し、渡航には所轄警察署の旅行証明書を要することとした。

 だがこの取締まりは、「日韓一体の原則に反する」として、1922年早くも廃止された。それにともない、翌年から再び朝鮮人の渡航は激増したので、折から内地の失業も深刻化していた時代であるから、この問題は内務省、総督府(後に拓務省も加わって)の頭を痛めることとなった。その後若干の変遷はあったが、日本政府は間接的に各種の手段を尽くしてその流入を防ごうとした。しかし絶対禁止という厳しい方法をとらない限り、「人は所得の高いところへ流れる」という移住の原則を止めることはできなかった。

 特に満州事変による軍需景気以後その数は急増の一途をたどった。内務省警保局の調査によれば、1936年に70万余、大戦末期の1944年には193万6,843人とあり、終戦の年の1945年には30万人、あるいは220~240万にのぼったとも見込まれている。朝鮮人は日本資本主義経済をになう底辺の労働者として渡航し、最後には、戦争経済を支える必須の労働力として酷使されたのである。
(てっく注)当時は日本人も苦役についてたよ


取締まりの対象

 朝鮮からの渡来者は労働者以外に、朝鮮人の有産階級の子弟の留学生も多数在留していた(1932年には約5千名、1942年には約3万名)。この留学生というのは、大学、高専在学生だけでなく中学生も含んでおり、その生活水準は日本人並みであったが、多くの場合、彼らもただ朝鮮人という理由だけで、しばしば屈辱的な思いをさせられた。
(てっく注)それは、悪さをする人間が多かったし、反政府運動する奴らがおったから

 日本政府は朝鮮人の子弟が日本で高等教育を受けることには好感をもっておらず、彼らが釜山の港を出発するときからすでに警察の許可を必要としたし、その後も、朝鮮人労働運動の指導者とともに、彼らの多くは〝要視察者″であり、常に警察の取締まりの対象であった。1939年から終戦までの6年間、在日朝鮮人の知識層で治安維持法違反として検挙されたものは1,220名にも及んでいる。

 1938年以降(ことに40年以後)には、学生のみならず、全在日朝鮮人が警察の監視統制下におかれることになった。朝鮮人に対する〝皇民化″のための指導を目的とする〝協和事業〟なるものが、内務・厚生両省の共管のもとに発足し、在日朝鮮人は一人残らずこの協和会に加入させられたのである。協和会は日本語の普及、家庭に神棚奉斎、女性に和服奨励なども行なったが、実際には、あるいは結果的には、その主要な仕事は特高警察を中心とした朝鮮人の取締まりであった。
在日朝鮮人の全員は 「協和会手帳」 の常時携帯を義務づけられたのである。


強制連行

 朝鮮人労働者渡日の最終段階において、悪名たかい〝強制連行″が登場する。このことについては第二章ですこし触れたが、強制に先立ち、自由募集は1939年に始まった。この年7月、内務、厚生両省は 「朝鮮人労務者の内地移住に関する件」 の両次官通達を発し、朝鮮各道から労働者を募集することを許可した。やがて太平洋戦争突入とともに、ますます労働力が枯渇した結果、1942年には、従来より組織的かつ迅速に募集するため、民間の募集から「官あっせん」に切りかえた。
そしてさらに1944年終戦の前年には国民徴用令を発動して、その徹底を期したのである。
(てっく注)「国民」徴用令だよね? 日本人も一緒

 朝鮮半島から多くの朝鮮人が、職と食を求めて故郷を捨てて日本に流亡することを余儀なくされたのは、統治者である日本政府の責任であることはいうまでもないし、二十世紀の奴隷狩りともいわれる強制連行の事実に対しては、われわれは今次大戦における各地の残虐行為とあわせて、日本人の持つ非人道性を改めて自認せざるを得ない。
(てっく注)それはあんたの単なる主観

誤っている議論

 しかし、このことをめぐる議論のいくつかの誤りは正しておく必要を感ずる。まず第一に、「韓国人がその先祖の時代から住み慣れてきた故郷を追われて、日本、満州、シベリア等へ流浪してゆかねはならなくなった歴史は、その起点を1910年(日本の朝鮮統治開始の年) に置くことができ……」(在日韓国青年同盟中央本部編著『在日韓国人の歴史と現実』)とあることであって、この叙述の少なくとも半分は正しいとはいえない。

 朝鮮人農民は十九世紀の早い時期から、朝鮮と中国が接する中国の間島地方に流入していた。もともとこの地域は清朝政府にとっては王朝の出身地であったため、中国人にも移住は禁止されていた地域であった。そのため無断入植した朝鮮人の問題は、清朝政府と大韓帝国政府、ひき続いて総督府との長い間の外交上の懸案となったのである。
                                              
 シベリア方面の移住も十九世紀にさかのぼることができる。1858年清朝とロシアの王愛琿(アイグン)条約、および1860年の北京条約によって黒龍江の北方一帯がロシア領となり、豆満江をへだてて朝鮮とロシアが直接国境を接した頃から、朝鮮人のシベリアへの移住は始まった。ちょうどそのころ北鮮に干ばつがつづき、食べていけなくなった農民はロシア領へと流出した。ロシアも新領土開拓のためこれを歓迎したので、数年ならずしてたちまち朝鮮人移民は万をこえたと推定されている。ロシアは間もなく移民防圧政策に転じたが、なおその数は年々増えつづけた。日韓併合の1910年には、黒龍江以北および沿海州のロシア領に約10万、間島をはじめ満州各地におよそ二八万の朝鮮人が移住していたのであって、「1910年が朝鮮人の海外流亡の元年」というのは明らかに間違っているといわねばならない。

 誤りの第二点は、朝鮮人の日本への渡航を「日本の植民地政策がうみ出した〝間接的強制″だ」と主張し、〝強制連行″と同一視しようとする議論である。(『韓日会談白書』) だがこのような主張は〝強制連行″という言葉の乱用であろう。資本主義の農村への浸透により伝統的農村共同体が崩壊し、農村から多数の労働力が流出するのは、いずれの国においても見られた現象であり、朝鮮の農村人口の大量移動もその一例にすぎない。この経済的理由による農村からの人口流出を〝強制連行″ のカテゴリーに入れるのはあまりに乱暴である。

 明治中期以降日本でも農村から都会へ大量の人口が流れ、あるいはアメリカやブラジルへ、さらには南太平洋の離島から西インド諸島の孤島まで移民が流亡していった。これらの人びとを〝強制移民″と名づけるなら、海外移民だけでなく、日本の大都市住民の大半は国内への強制移民の子孫となろうし、ヨーロッパ各国の困窮化した農村から押し出されたアメリカの開拓者も、ヨーロッパから強制連行されたことになろう。

 趙確溶(徐龍達訳)の『近代韓国経済史』には、「十九世紀になって農民に対する過重な租税賦課のために離村現象もはなはだしく、農業生産高は減少していたのである」と、農村からの人口移動がすでに十九世紀の前半に始まっていることを証言しており、伊泰林氏も、次のように農民の離村が李朝時代きわめて盛んであったことを記している。農民の故郷からの流出が日本の総督政治だけの責任でないことが理解できよう。


 李朝時代の農民たちがどんな状態にあったかは、彼らが懐かしい故郷や土地よりも搾取なき無人島を望んだことから充分に推察できるであろう。隷農が悲惨な境遇にあったことは言うまでもないが、自分の土地を自分の手で耕作する一般農民の中からも、過重な収奪のゆえに逃亡、離散するものが生じた。そうなればひとつの家が他の多くの家の分まで賦課を負担するようになるため、残った家もすべて逃亡するのが普通であった。無人島を求めて集まった農民が定着して有人島になれば、再び流浪の途にのぼることになり、結局は餓死するか、さもなければ群盗となった。


現在の在日韓国・朝鮮人の大部分は強制連行と無関係

 さらにここで指摘しておきたいことは、在日韓国・朝鮮人(その父祖を含め) と、強制連行との関係である。朝鮮大学校編『朝鮮に関する研究資料(第四集)』によれば、「日本に住んでいる大きな部分を占める朝鮮人は太平洋戦争中に日本の官憲によって強制徴用され……」とあり、在日韓国・朝鮮人は口を開けば必ずのように、「われわれは日本政府によって強制連行されてきたものだ」と主張する。だがこの表現は正確ではなく、むしろ事実に反するというべきだと思われる。

 1974年の法務省編『在留外国人統計』によれば、在日韓国・朝鮮人の日本上陸年は上の表のようになっている。

 この表によると、日本政府が朝鮮人の来日をむしろ取締まっていた昭和十年までに渡来したものが全体の53.7%と、半分以上になる。昭和11~15年はまだ民間の自由募集の期間だし、次の16~19年の中でも、国民徴用令による徴集は19年の9月以降のわずか四月間であるから、単純に計算すると、この期間に徴用されたものは16~19年間の14,514人の12分の1、つまり1,210人(全体の1.46%)にすぎないことになる。これに、次項「昭和20年9月1日以前」の679名(0.8%) を加えた
概算1,889人(2.3%) ほどが、真に強制連行の名に値する在日朝鮮人
だということになる。

(てっく注)「徴用」を強制連行といっていいものかどうか・・・

 かりに「官あっせん」を強制徴用の概念の中にいれ、官あっせんが行なわれていた昭和17年2月~19年8月の来日者の推計数を全部加えても、約2,300人余(14%)にすぎない。この推定は、昭和16~19年間の月間来日数を均等として考えたものであるが、実際には、関釜連絡船の運行は終戦が近くなるにつれ次第に困難になりつつあったから、19年後半の来日徴用者も減少しているはずである。すなわち、どんなに強制連行の概念を広く解釈しても10%を大きく超えることはまずあるまい。

 

民団も韓国青年会も自認

 この数字は在日韓国人自体の調査によっても裏付けられている。一九八八年二月に発刊された
『〝我々の歴史を取り戻す運動″報告書』(在日本大韓民国青年会中央本部)には、全国千百余人の一世から直接聞きとりした調査結果が収録されている。これによると、渡日の理由として「徴兵・徴用」は22.3%にすぎず、経済的理由(39.6%)、「結婚・親族との同居」(17.3%) に次いで三番目である。この22.3%のうち、徴兵は0.5%で、残りが徴用ということになる。しかし、「渡日年度別にみた渡日理由」によると、徴用は1926~30年に6人、1931~35年に9人、1936~40年に51人とある。国民徴用令が公布されたのは1939年7月であって、これが朝鮮に適用されたのは前述のように1944年9月であるから、この 「徴用による渡日という」回答は思い違いによるものと考えられる。従ってこの人数は除かねばならない。

 1941~45年の徴兵、徴用と答えた76人も、その大部分は記憶違いというよりほかはない。
徴用が実施されていた1944年9月以降終戦までの1年分だけを前記の方法で算出すれば16人、すなわち全体の1.5%にしかならない。また、法務省の数字のアンケート調査の場合と同様、官あっせんを徴用と考えても(1942年2月以降) 59人-5.4%となり、徴兵を加えて5.9%である。
(てっく注)徴用期間ってのが、たった1年間だけだったって事をみんな知らない

 民団発行の『法的地位に関する論文集』(1987)にも「一世の大半が一九三〇年代初期に渡航して永住するに至った経緯からすると………」と、みずから、徴用による渡来が僅少であることを認めている。

 このことは理屈の上から考えても当然のことであろう。着のみ着のままで徴集され、人里離れた炭坑や鉱山で虐待酷使されていたものが、日本に残ろうと考えることは想像しがたいことである。
彼らは日本の一般社会とほとんど関係なく生活してきたのであって、言葉もろくにできず、日本で生活していく基盤ももっていない。彼らは日本に来て、一番長いものでも - 官あっせんを徴用とみなしても ー 五年そこそこなのであるから、故郷とのつながりは充分持続しているはずである。

 特に彼らは、妻子をおいて一人だけで徴用されており、その移動はきわめて容易であった。これら徴用された人々の大部分は終戦直後早々に、この〝恨みの島″から故郷へと飛ぶようにして帰ったものと思われる。
(てっく注)んじゃ、今お残りになってる方々ってのは・・・どんな人? 自ら居残ったと・・・
まあ、日本のほうがいいわな、擬似戦勝国を詐称できたから・・・「特権階級」だもんね

 いずれにしても在日韓国・朝鮮人が 「自分たちは 〝強制連行″ によって日本に連れてこられたのであるから、現在自分たちが日本に住んでいる理由、責任は全面的に日本政府にある。したがって、われわれの移住の歴史的経緯にかんがみ………」 という常に用いる言葉は、おそらくは数%、最大に見つもっても10%ほどの人にしかあてはまらないことであって、在日韓国・朝鮮人について語るときの修飾語としては事実に反するということである。

tech.gifどの本、どの資料を、いつ復刻させるかは、あっしの気分次第

次は・・・共産党がいいかな?
それとも創価にしようかな?
あるいは・・・「科協」の話で、テポドンにからめますか・・・

にゃはは・・・バックアップもとりながらやるもんね♪
 
 


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投稿者:tech : 2006年11月11日 04:52

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» 強制連行ですか
from 日本の傳統(伝統)を守らう!

今だに朝鮮新報(=朝鮮總聯)は「強制連行」と言ひますか。。。 一部の言説のやうに「朝鮮人は日本の統治に感謝しろ」なんて言ふ氣は有りま... [続きを読む]
トラックバック時刻: 2006年11月16日 22:31

コメント: 在日と日本 -強制連行という嘘-

日本側も悪いぜというと骨髄反射する人もいると思うけど、自分は悪くない、自分は差別されたから正義だを肯定してきたのだから、朝鮮民族の劣化に大いに手を貸してきたわけだ。まともな日本人ならまずわが身を振り返るわな。日本人ではないけれど秋の園遊会で王監督という台湾国籍の人間が陛下からWBCに関して賞賛の言葉をたまわったら、いやあれは部下の成果であって自分ではないと謙虚になる。こういう謙虚な態度があるから朝鮮は台湾に幾ら頑張っても産業比較でも相手にならない。味方のような顔をしてその朝鮮民族の劣化を助けているのが韓国の酋長だと言うお笑い種である。

投稿者 機械計算課長 : 2006年11月11日 06:29

はじめまして。
半年ほど前から拝見しております。
かの国を思わせるニュースが来たのでお知らせしてみようと。こういうことは、すでにご存知かもしれませんが。

モロッコ出入国時における注意
http://www.anzen.mofa.go.jp/info/info.asp?num=2006C351
一部引用:トラブルの背景には、近年、日本人と偽った東洋人が偽造パスポートを使用し、欧州方面へ密入国する事件が多発していることがあり・・・


彼らはこんなところでも日本人に迷惑をかけているのだなと。。。

投稿者 ふく : 2006年11月11日 07:46

 来ましたね、てっくさんの”剛速球”。
日韓併合以降の政府は、朝鮮人に対し終始徹底して日本人と同等の待遇に努めていますね、権利義務・賞罰合せて。
法制度に差別的な要素があれば「朝鮮人ノ旅行取締リに関スル件」に見られるように、速やかに是正している。
国民徴用令はその最たるものでしょう。鉄の規律と敵味方の厳然たる区別が生死を分ける戦場への動員こそ、
国家の朝鮮人への信頼の証しであった筈。
 戦前・戦後を通じて悉く日本を裏切り、食い物にして来た連中には、もはや「つける薬は無い」のでしょうか。


投稿者 てっくさんの一ファンです : 2006年11月11日 08:11

>農村から多数の労働力が流出するのは、いずれの国においても見られた現象であり

開発論的には問題です。 開発や貧困で農村を追い出された農民が行き着くのは都市で、そこで職にあふれスラムを作り、売買春 暴力事件 など犯罪の温床になっています。 同じことが朝鮮半島であったわけでしょう。

日本では、自給率をがた落ちさせ、過疎過密の問題を生み、地方と中央の格差を生みました。

もはや、経済成長さえすればどうなってもよしと考える研究者は多くないでしょう。

もちろん、人間の安全保障という言葉が出てきたのは最近で当時は経済成長すればすべてよしみたいな能天気な考え方が主流だったでしょうから、「違法」にはなりませんがほめられたものではありません、違法にしろ合法にしろ元農民にとってはかなりの不満が残りますし

投稿者 つよぽん : 2006年11月11日 08:44

アマゾンで、販売しているようです。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4562020733

投稿者 とおる : 2006年11月11日 11:00

在日と日本-強制連行という嘘-このエントリーを読んでいて幾つか思うこと
があった。かねて村の長老達から聞いた話や回顧録の編集を手伝った折り等、
戦前戦後の農村の暮し振りを知ることが出来た。

<以下引用>
小学校へ入学の頃、大正が終わり昭和に年号が変わる。
二年生に進学した昭和三年四月、昭和天皇の御即位。日本中が御大典記念、
村でも各部落で山車を引き村中を歩き山車の上では太鼓や踊りで老いも若き
も多数の人が参加した。成妙寺の庭が起点だったので寺の庭で記念写真を撮
った。部落内の生活は各戸共、農業を主体。作物は米麦をはじめ現金収入は
養蚕で生計を立てる。しかし繭の値段は三、七五キロ当たり二円五十銭。

味噌醤油は各戸で造り、野菜は自給自足。食べる物は毎日オバク(麦食)で、
米が四、麦が六の割合。毎日味噌汁に漬物、夏は瓜、なすのドブ漬、秋は大
根のたくわん漬、その他瓜、なすの味噌漬等で肉類は家で飼っている鶏の肉
ぐらい、魚類は盆、正月、いわし、さんま位、飴玉などは一銭で五ヶから六
ヶぐらい買えた。

農家は自作農と小作農とがあり、自作農の家庭では収穫した物は全部自分の
ものになる。小作農は地主からの借用地故、畑は金納、水田は物納と言って
一反歩(十アール)に対してで五俵(六十キロ)を納める。
どこの家でも子供は五、六人くらい居たので特に小作農家の子供は長男の跡
取りを家に残し二男、三男は口べらしで東京、横浜方面へ。女の子は義務教
育の小学校六年を卒業すれば野麦峠で有名な信州の岡谷の製糸工場へ一年間
働いて、正月帰ってくる。腕の良い娘は一年間働いて百円くらい持ってくる。
当時女の子が二、三人居たら、その家庭は暮らしも大変良かったようだ。
正月になると部落内もにぎやかになる。隣近所へみかんなどを配り、子供達
はそれが楽しみだった。
<引用終り> 

ことさように貧しい日本であったことが分る。この中に出てくる昭和三年11
月、昭和天皇の御即位を祝う御大典の記念写真、我家にもあるが映っている
村の人々(大概が物故者)の名前を長老から教えてもらった時、一人なかな
か判明しない人物がいたが、それは地主宅の奉行人で朝鮮人のしょうちゃん
だと言うことであった。戦前は地主制度があり小作人といった階級?があっ
たことが分る。また、別の長老は(現在91才)敗戦で満州から帰ってきた時、
村の若者から軍国主義者と侮蔑を受けたと聞いた。その若者は共産主義に傾
倒していたらしい。その若者は今は70代であるが、ソ連共産主義が崩壊した
年、ある宴席で一緒になった時、お酒で赤らんだ顔を突然、私に向け、「や
っぱり間違っていた。」と吐いた・・・きっと我家の明治生れの祖父とも言
い争ったことがあったのだろう。

戦後GHQの命令で農地解放がなされたが小作人の子弟なら共産主義という言
葉に大きな期待を寄せるのも頷ける、が・それを巧妙に煽り利用していった
朝鮮人達がいたことを知ることが出来た。すべては貧しさから、生きる為の
人間の非業悲劇なのだろうと思う、しかし、どんなに貧しくても人間として
非道の上に身を処すことは人種を超えて犬畜生にも劣るということだろう。

生産性を上げる為という農地解放から60余年、農業は衰退。皮肉にも大規模
農業経営が叫ばれる時代となった・・・嗚呼、振り子は左に右に絶えず。

温故知新、てっくさん、どんどん教えてやってください。


投稿者 銀一 : 2006年11月11日 11:44

私事で申し訳ないのですが、以下、お年寄り達とした話です。
父と伯父が同じ特別養護老人ホームに入所しております。
先日お見舞いに行き、悠仁親王殿下の御生誕を記念した御写真集をお土産に手渡したところ、伯父は開口一番「神々しい」と喜んでくれました。
施設の中には認知症の方もいらっしゃるのですが、「喜ばしいことだ。私も欲しい」と口々に皆さん方の眼はとたんに輝いたのでした。


来年90歳になる伯父は、「昔から支那人はずるいし、朝鮮人は裏切る」と言い、日本の自虐史観を悲しそうな眼で憂いておりました。
「伯父さん、この頃ではね、学校では習わなかったけど、日本の近代史をきちんと理解している若者が増えてきたよ。私ももっと勉強して子供達に良い未来が残せるよう頑張るよ」と握手して帰路に着きました。


本を読んで自分の頭で考えるということは大切なことだと思っております。
てっくさん、いつも良い書籍のご紹介ありがとうございます。

投稿者 u : 2006年11月11日 14:59

自分の頭で考えるということは、「自虐教育」に流されることでもなくその伯父に流されるということでもありません。

自分の頭で考えるということは、冷酷な試みです。ある人の本を買うことでその人の考え方に支持を示しているように見せかけて、自分独自の視点(価値判断)で考える、同意しているかのように振舞いながら、その人の発言について疑問を心の中で投げかけ続けること。

「あるもの」に出会って「一般に言われていること」が間違えだったと気づいたとする。もちろんその「一般に言われていること」を信じたりはしないが、しかし、その対極にある「あるもの」が正しいのかそれも疑い続けなければいけない。世の中は、二極なのではなく他極なのだから

投稿者 つよぽん : 2006年11月11日 22:57

てっくさん、今後の復刻もますます期待しております。で、疑問点が。
在留外国人統計からの算出の記述で、

>単純に計算すると、この期間に徴用されたものは16~19年間の14,514人の
>21分の1、つまり2210人(全体の1.46%)にすぎない

これがおかしいです。12分の1で1210人にならないでしょうか?転載ミスか、本自体の記述ミスかと思われます。

いずれにせよ、在日が日本で我々とともに生きて行きたいのなら、でまかせに基づく弱者利権にいつまでもしがみついている間はダメですよね。なぜわからないんでしょう?
私は在日シンパだったんですが、この事実を知って一気に彼らへの情を失いました。よくも愚直な我々をだましたな、と憤りを感じます。この怒りと不信はおそらく一生消えないでしょう。

で、
つよぽん中学生かな?
ちゃんと自分の言いたいことを整理してから書き込みなさい。何が言いたいのかわかりませんよ。
戦時の「強制連行が本当なのか」というのがここでの話のポイントです。
戦前の徴用の話をしている時に

>日本では、自給率をがた落ちさせ、過疎過密の問題を生み、地方と中央の格差
>を生みました。

キミはいつの、何についての話をしたいのですか?

投稿者 ななす : 2006年11月12日 14:01

労働力流出が目に見えない強制連行であるという主張に対し、てっくさんは、世界のどの時代のどの場所でも見られたこと(つまり問題ないことを暗に意味していると自分は勝手に考える)という反論をなさいました。そのことに対し自分は、現代 開発途上国でおこっている人口流出の問題をあげ、先進国である日本でも人口流出の問題があることを示しました。つまり、目に見えない強制連行論も一理あるのではと

もし、朝鮮総督府の朝鮮半島統治が続いたならば、朝鮮半島の地方部は山古志村以下の過疎地域になり、平壌や京城、釜山そして内地の諸都市は流入者であふれ失業者が増大し、様々な問題が起こっていたでしょうということです。
確証は全く持てませんが、東京の犯罪率が他地域に比べ高いという話を聞いたことがあります。それは、地方からの人間の流出が影響している可能性があるかもしれません。少なくとも、隣三件なんちゃらかんたらという関係を作るのは難しいでしょう。

中学生という言葉は、自分がもし小学生ならば最大の褒め言葉になります

投稿者 つよぽん : 2006年11月13日 12:11

>つよぽんさん
そうやって拡大解釈していくのはそろそろ止めにしませんか?
強制連行と言う文字をみて”目に見えない強制連行”にまで
思いを馳せる人を探すのは難しいと思いますよ。
討論をするなら惨いバイアスの掛かった人のみを対象に
するのではなく一般に解りやすく誤解の無い様配慮したいですね。

投稿者 みぃ : 2006年11月13日 16:54

>つよぽんさん

>労働力流出が目に見えない強制連行であるという主張
まずは、「強制連行」の定義を明らかにした上で論ずること。
朝鮮人が富と自由を求めて新天地「日本」に押し寄せてきたのは、彼らの自由意思。事大しただけのことです。戦後残ったのは、そこに旨みがあったからに他ならない。

>東京の犯罪率が他地域に比べ高いという話を聞いたことがあります。
何の犯罪率? 外国人? 凶悪犯? 知能犯? 青少年?
誰から何を聞いたのかはっきりしないものを出すこと自体、議論に値しない。

>隣三軒
それを言うなら向こう三軒両隣。
私の住んでいる地区では地域で頑張って取り組んでいる。あなたの知識が常識ではない。

投稿者 じょーい : 2006年11月13日 21:39

 これを「強制連行」という名前で呼ぶかは疑問はないわけではないですし、少なくとも「合法」です。

 話はそれますが、自分自身はかつて国際開発に関心があり、フィリピンのサンロケダムの開発と人間の安全保障の関係を調べていました。ダム開発により貧富の格差ができて都市への農民の流出が起こること世界中でおこっていることがわかりました。 
また善意で行っている開発が現地では受け入れられないケースを知りました。
もう一つの趣味として、朝鮮総督府の統治をほんの少しかじり、サンロケダムやその他問題ある開発と、朝鮮総督府の統治に共通点あるのではないかと考えるようになりました。 そこで考えていたことといわゆる「目に見えない強制」は共通していました。

自分は、いわゆる「強制連行」論からこの問題を見ておらず、そもそも狭義の「強制連行」に関心はなく、それゆえ「強制連行」から思いを馳せる必要はありませんでした。

善意でやって実益を上げても受け入れられなければ意味がないです

「自由意思」ですか。第二次世界大戦中のアメリカ人の日系人への見方ににてますね。人間は本当に自由になれるんですか?(自分にとって自由とは障害なく選択肢をえらびとれることという意味です)少なくとも歴史的拘束はあります。それは仕方ないとして、残るか日本に移住するかの選択肢の中で、激貧の農民・漁民の場合、残って死ぬぐらいなら一か八かで日本に行って生き延びる選択肢をとる可能性が高いのではないでしょうか。朝鮮の米作の中で40パーセント近くは日本に移出されていましたし、朝鮮総督府は経済成長には力を入れていましたが格差是正には力を入れていませんでした。これは、歴史的拘束ゆえ無罪ですが、今でも昔でも貧しい側にとって格差社会は不快であり歓迎されないでしょう。というわけで、残るという選択肢が実質上なくなっていた人もいるわけです。
犯罪率はいい加減なことを言ってすみません。調べてみたところ(http://ms-t.jp/Domestic-statistics/Data/Prefect-Crimerate2004.html)2004年の東京の10万人あたりの犯罪率は2.29で全国平均の2.01より高いものも特別高くないことがわかりました。ただ、犯罪率の高い都道府県に大都市を抱える県(愛知県・大阪府・福岡県など)が多く、人口密集との関連性は否定できません

投稿者 つよぽん : 2006年11月13日 23:39

http://www.npa.go.jp/toukei/keiji4/hon68.pdf
によると東京都の自転車盗は62959件で人口一万人あたりざっと軽く計算して約6.9件 全国では34575件で人口一万人あたり同じように計算して一万人当たり約2.7件

自分のブログ「限りなく祖国を愛したい。だから、かぎりなく人を愛したい」(http://residents-in-japan.blogspot.com/)もよろしく

投稿者 つよぽん : 2006年11月14日 00:00

てっくさん、レスを汚しますがお許し下さい。
>つよぽんさん
あなたのコメント、何回読んでも、結局何が仰りたいのかわかりません。折角、真面目に、親身になってレス下さった「ななすさん」、「みぃさん」「じょーいさん」も、あなたが一切無視して、ひたすら、あさっての方向向いて書込みし続けるので、これ以上コメントの返しようがないのですよ。まずは、それぞれの方にきちんとお礼をして、しっかり読んで、「誰の、どの意見に対して異論があるのか」論点を整理してから書込みするのが、最低のマナーでしょ?
ご本人は何も反論されてないけど、あなたがいきなり噛み付いた「uさん」とその伯父さまには、大変な無礼を働いていること、わかりませんか?

投稿者 てっくさんの一ファンです : 2006年11月14日 03:18

ななすさん

>これがおかしいです。12分の1で1210人にならないでしょうか?

12というのが、すべて21になっていました
ご指摘ありがとうございます、本文を訂正しておきました

投稿者 てっく : 2006年11月14日 07:47

>てっくさんの一ファンです
>uさん

uさんの伯父さんを非難したつもりはないのですが、そうとられてしまうようなことを書き込んだことお詫びいたします。

ある人が、特に当事者が、ある意見をもつことは否定されるべきではありません。しかし、その周りの人は、幅ひろく意見を聞き自分の立場を構成しなければならない

ということを言いたかっただけです。 自分を含め日本人は、あるアジテーターや学者・政治家・その他関係者のいうことと同じことを叫んでいるだけではないか(特に左の人々)、自分の立場というものが構築されていないのではないかということを思っていました。

投稿者 つよぽん : 2006年11月14日 08:23

>てっくさんの一ファンですさん

「さん」をつけ損ねました ごめんなさい 

投稿者 つよぽん : 2006年11月14日 08:25

>つよぽんさん
>問題ある開発と、朝鮮総督府の統治に共通点
開発行為と統治行為の共通点を見つけ出すのは難しい。それとも、朝鮮総督府の統治は開発行為と比較できるような単純なものだったとでもいうのか。

>激貧の農民・漁民の場合
朝鮮併合後、道路、住宅、教育、通信、病院、農業生産基盤その他ほとんど総ての基礎インフラを日本本土と同等以上にすべく投資した結果、極貧の生活を余儀なくされたのは、日本本土内の小作農民である。代わりに、朝鮮内では李朝以来の名物であった春窮期の餓死者はほとんどなくなった。

>朝鮮の米作の中で40パーセント近くは日本に移出
前記農業生産基盤の整備により、耕地面積は併合前に比べ2倍以上(昭和初年)となり、生産量が飛躍的に伸びた。農民は現金収入の唯一の手段として米を売ったのだが、北鮮では粟を常食としていたため、米を高く売り、常食であった安い粟を購入して食べたのである。
朝鮮で生産された米が大量に流入することにより、米価が下がり、本国内の米作農民への影響が深刻となったことから、日本政府は朝鮮総督府に対し、米の輸出を抑えるよう何度も通達を出している。

朝鮮総督府の統治は、台湾と同様、生活水準を内地のレベルに引き上げようと、文字どおり日本国民の犠牲の上に行なわれてきた。これが「格差是正」ではないのか。

支配される側とすれば快く思わない面もあると思うが、生活レベルが著しく向上した朝鮮人は、そのことを感謝したのである。
日本が併合していたときには、ことさらに日本人であることを誇張し、敗戦となった途端、掌を返したように日本人であることを嫌悪した朝鮮人など、信用に値しない人間以下の生き物だと私は思っている。

投稿者 じょーい : 2006年11月14日 10:14

てっくさん、重ねてのレス汚しをお詫びします。
>つよぽんさん
私へのお詫びなどはよろしいですよ。あとコメント下さったお三方へのお礼もよろしくお願いしますね。
ひとつだけご忠告差し上げますと、あなたが最初と三回目のコメントで、主張・反論なさっている「労働力流出が目に見えない強制連行である~」のくだりは、てっくさんの意見ではなく、引用された若槻氏の著作の一部です。いわゆる朝鮮シンパの著者が「語るに落ちた」箇所でもありますけど。
つよぽんさんは、お見受けするに学生さんでしょうか。怖いものなしのその姿勢には好感が持てますが、こういう所で論戦を挑もうという事であれば、もっとリテラシーを磨かれる事をオススメします。
日本の古典・近代文学をしっかり読んでみると良いと思いますよ。そしてリアルで自分より格上の方と議論してみて下さい。
かくいう私自身も、ここの常連さんとタイマン張るなんざ「10年早い!」と思っていますけどね(笑)

投稿者 てっくさんの一ファンです : 2006年11月14日 10:22

てっくさんの一ファンですさん、指摘ありがとうございます。
自分の愛読書は、夏目漱石の「現代日本の開化」ですが、今は他の夏目漱石の評論(演説)にアタックしようとしている未熟者です。

ちなみに、脱線しますが、朝鮮総督府の朝鮮統治は、朝鮮人にとって内部発生的でしょうか? 日本国憲法と同じ香りがします(欧米の香りという意味ではありません)。

>ひとつだけご忠告差し上げますと、あなたが最初と三回目のコメントで、主張・反論なさっている「労働力流出が目に見えない強制連行である~」のくだりは、てっくさんの意見ではなく、引用された若槻氏の著作の一部です。いわゆる朝鮮シンパの著者が「語るに落ちた」箇所でもありますけど。

そこは、わかっています。 てっくさんの反論に反論という形でさせていただきました

こうやってコメントが書けることについててっくさんに感謝します

投稿者 つよぽん : 2006年11月14日 16:22

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