イエスの惑星BBS

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共同宣教司牧の恐ろしさ  投稿者:ダンボ  投稿日:2008年10月11日(土)20時49分51秒
  大阪教区では3〜5か所の小教区ごとにブロック化し、そのブロックをいくつかまとめて地区を作っています。修道会が司牧するところは協力宣教司牧ですが。

それに付随して、小教区の評議会規約を改正するように教区から要求されています。

教区の求めるものは、恐ろしいものです。ブロックのモデラトルが会長となり、全権限を集中させます。各小教区評議会も会長出席なしには開催できません。ということは、会長であるモデラトルは受け持ちのブロック内小教区の評議会に全部出席しなくてはならないのです。そして、会長ではない司祭は、評議会に参加されていても、一評議員です。小教区内、ブロック内の権限は会長司祭に一極集中していますから、何をするにも、会長司祭にお伺いを立てなくてはならないので、小教区活動は滞ります。すぐ近くにいらっしゃる司祭方に相談できず、不在の会長司祭が実権を持っているのです。主任司祭・見習的な助任司祭なら分かりますが、経験を積んだ司祭方の中で、ヒエラルキー外の位付けですね。

これには長所として、問題行動をされる司祭に権限を持たせず、ミサだけを挙行していただくことがあげられますが、短所の方が大きいかと思います。
先にもあげましたが、教会活動の滞り、教区は教区内の全小教区を特別な意図をもって監視し、そちらに導こうとするとき、各ブロックに意に沿う司祭を会長に据えればよいので、少人数のYESマン的司祭で掌握できますね。

幸いなことに、教区の呼びかけに対して、なかなか応じる小教区は少ないようです。特に大きな教会ほど。

教区での規約の担当司祭は、松浦信行師とのことですが、この方、菓子パンでミサをされた方ということですが。どうやら、無効とかで問題にせず、有耶無耶にされたらしいですが。
ご受難会から教区司祭に移籍された方ですが、何となく疑心暗鬼になってしまいます。

教区事務所で規約を担当されている職員も、補佐司教の秘書です。余計に疑心暗鬼に。

この方々のご希望は、規約の各箇所で会長の権限についてやたらと、繰り返し繰り返し、書き込むようにとのことです。偉ーーーい司祭で、全権限は会長司祭、彼一人にあるんだぞ!!っていわんばかり・・・

世間知らずの司祭が、自分の徳に応じた尊敬以上のものを要求し、権力を振りかざすようになったとき、信徒は「小さくされた者」(←こういうときに使うべきです」)ですね。
まぁ、どんな司祭の手からでも聖変化してくださるイエス様の寛い御心を思えば、私たちはミサを挙行される権限を与えられた司祭として敬意は払いますが・・・。
 

インドのカトリック司教協議会の公式HP  投稿者:Pas  投稿日:2008年10月11日(土)12時44分14秒    編集済
  CATHOLIC BISHOPS' CONFERENCE OF INDIA(C.B.C.I.)
http://www.cbcisite.com/
オリッサ最新情報
http://www.cbcisite.com/OrissaUpdates2008.htm
インドのカトリック教会の概観
http://www.cbcisite.com/church%20in%20india.htm
インドのカトリック教会に関連する諸々の写真
http://www.cbcisite.com/Photographs.htm
Indian Catholic - C.B.C.I.のニュースサイト
http://www.theindiancatholic.com/
CCBI(Conference of Catholic Bishops of India) - ラテン典礼の司教たちによる協議会のHP
http://www.ccbi.in/What%20is%20ccbi.php
オリッサ地域の六人の司教
http://www.ccbi.in/orissa%20region.php

シロ・マラバル典礼のカトリック司教たちのHP
http://www.smcim.org/
シロ・マラバル典礼教会の歴史
http://www.smcim.org/history.htm
シロ・マランカラ典礼のカトリック司教たちのHP
http://www.syromalankara.org/
 

脱北者は語る  投稿者:ノムさん  投稿日:2008年10月10日(金)07時34分2秒
  すぐ出かけますので、案内だけさせて下さい。
http://www.nomusan.com/zzz/dappoku.pdf

http://www.nomusan.com/~essay/index-jubilus.html

 

YouTubeで見つけた中国の教会のミサの光景  投稿者:Pas  投稿日:2008年10月10日(金)03時50分57秒    編集済
  おそらく信者ではない中国人が撮影・投稿した動画だと思われます。

天主教弥撒场面(カトリックのミサの場面)
http://jp.youtube.com/watch?v=DW_o2T0IooU&feature=related
2007年12月24日夜のミサの動画で、南阳(南陽、河南省)の教会のもののようです。

天主教南阳教区
http://zh.wikipedia.org/wiki/天主教南阳教区
靳岗天主教堂(南陽教区のカテドラル)
http://zh.wikipedia.org/w/index.php?title=靳岗天主教堂&variant=zh-hans

中国語のWikipedia(維基百科)の情報によれば、
1950年代前半にイタリアのミラノ外国宣教会の聖職者たちが南陽教区から追放され、
1956年以降は「愛国会」の管理下に置かれたようです。
1995年からは「朱宝玉」という方が「主教(=司教)」をされているようですが、
バチカンから認められているかどうかについては、情報は得られませんでした。

「天主教南阳教区」の公式ホームページ
http://www.nycatholic.org/
公式ホームページによる南陽教区の年表
http://www.nycatholic.org/showtree.php?id=1324
公式ホームページによる朱宝玉主教の略歴
http://www.nycatholic.org/showtree.php?id=1786

「略歴」を要約しますと、
ヨゼフ朱宝玉主教は1921年7月2日に生まれ(87歳)、6歳で父親を亡くし孤児院に入り、8歳で受洗。
1957年に司祭となるも、一年と経たぬうちに「右派」とされ、労働による「再教育」を強制される。
1967年に帰郷後、(カトリックが完全に禁止された「文化大革命」期間に)秘密裏に信徒たちを司牧。
1981年に「反革命」の罪名で懲役十年の刑を言い渡される。1988年釈放され、故郷に帰って司牧活動を行なう。
1995年3月19日から南陽教区主教。1950年代の困難な時期から50年以上信仰を証しして来た。
......この朱宝玉主教は、中国の「政府公認」の教会に属する人物とみなされているのかもしれませんが、
なかなか苦難の多い生涯を送って来られた方のようです。

それはさておき、動画は短いものですが、一見して、いくつかの点で興味を引かれることと思われます。
 

キリストが愛した子供たち(差し替え)  投稿者:ワンダー  投稿日:2008年10月 9日(木)23時11分1秒
  こども地球共和国の女の子より、内閣総理大臣になられる方へ

自民党の総裁選で麻生氏が選出されたことは神の計画の一部です、御心に沿うべく
しっかりした証をすることが求められていると思います。
しかしながら、徳川幕府が終わったように自民党政権も終わる事が避けられない。ならば、幕末の本当の意味での優れたバランス感覚を持った女性が、立つ鳥跡を濁さぬごとく、さわやかに、穏やかに政権を譲り渡したように、天章院内閣的感覚が必要ではないかしら。麻生氏の所信表明演説は、挑戦者的でそれなりに御心にかなうもので良かったと思います

今回の自民党総選挙には小池百合子元防衛大臣が立候補しましたが、今や女性がトップに立って当然な時代です。身分や性別に囚われないほぼ平等な時代の象徴に思えるわ

対立的にものを考え勝利する事にこだわったり、強さ、賢さ、カッコよさにあこがれる観点から、批判的観察的に、他人責任として意見を述べる睾丸思考(男性ホルモン思考)ではなく、自分自身も該当者として、茨の道を歩みながらも、その一方で、さわやかなバランス感覚で暖かく人々を包み込む子宮思考で政権をあけ渡すことが国益と考える。
「青い大気」という壁で囲まれた子宮の中に私たちがいると考えてください!

                                        女の子として私の目から見たこの地球世界(ちきゅうせいかい)はひどいものだわ
大人たちの世界、子供たちの目にどう映(うつ)っていると思う?
次々に与えられる重い荷物を、弱い立場の人々に押し付けることで、自分(達)が背負うことを避(さ)けようとしながら、人類の終末に向かう遠い道を、みんなが、スピードを上げながら、歩き続けているように見えるの

世界中どこへ行っても、未来を生きる子供たちの常識は、変わることがなく、大空のような澄んだ目と、太陽のような暑さ、暖かさと、火山や嵐のような激しさで、大人のやって
いることを、理解しようとしているわ

賢(かしこ)くて強くてかっこいい人達(ひとたち)とそのようになりたい人達が作り出す廃棄物(はいきぶつ)や危険物(きけんぶつ)で、地球(ちきゅう)が取り返しのつかないほど汚(よご)れ、危険(きけん)になり、ますます住みにくくなってきているわ、戦争(せんそう)のせいでたくさんの人々が死に続け障害者(しょうがいしゃ)も増え続け(ふえつづけ)ているわ、戦争はもちろん、貧しさや、世界的(せかいてき)な食糧不足(しょくりょうぶそく)のために食べるものがなくて死んでしまう人たちも増え続けているわ

地球(ちきゅう)という限(かぎ)られた地域(ちいき)の中で、人口が爆発的(ばくはつてき)に増え続(ふえつづ)け、地球(ちきゅう)に住む(すむ)全ての(すべての)人間に、とても怖(こわ)いことや、とても苦(くる)しくて辛い(つらい)ことが無く(なく)なって、誰(だれ)とでも仲良し(なかよし)の平和(へいわ)な生活をすることがむずかしくなっていきているわ


  悪いのはあの国、あのグループ、あの人であり私は間違っていない
しかも、私や私の国、私のグループを助(たす)仲間(なかま)がたくさんいる
そのように、訴え(うったえ)て、相手の責任(せきにん)を強調する人は
自分と、自分の仲間が不都合(ふつごう)になるような
責任から逃れる(のが)れる工夫をしているのではありませんか

私たちは間違(まちが)っているかもしれない、しかし、間違っているのは私たちばかりではなく、他の人たち(グループ)も同じことをやっているのだから、私たちだけが責(せ)められるのはおかしいという開き直り(ひらきなおり)もあるわ、もし私たちだけが間違いを直(なお)しても、仲間はずれになって、生活できなくなるのだから、今の社会の仕組み(しくみ)の中でやって行くしかないわ
「生活の保障(ほしょう)は誰(だれ)がしてくれるの?」という開き直りの大人たちが
未来(みらい)を生きる子供たちの社会の仕組みを不安なものにしていくのではないかしら

もっと悪い世界にならないように出来るのは、私たち子供だけだわ
世界の子供たちがひとつの共通(きょうつう)の言葉ではなしあえれば、
共通の価値観(かちかん)が生まれるわ
大人たちの歪んだ(ゆがんだ)感性力(かんせいりょく)を修正(しゅうせい)できるわ
わたし、きっと出来ると思うの    だからやりましょうよ
あなた、この地球を救いたくないの?

http://6015.teacup.com/wonder/bbs

 

天晴くんを救いたい  募金終了  目標達成だそうです  投稿者:おつる  投稿日:2008年10月 9日(木)01時26分37秒
  ホームページより
http://www.tensei-aid.com/wiki.cgi?page=FrontPage




おめでとうございます!! そして ありがとうございました

*******************************************

募金目標額:
138,500,000円
現在の募金達成額:
141,499,257円
(2008/10/08時点)

ご支援、ご協力をいただきました皆様へ

9月2日から募金活動を始め、10月8日の時点で141,499,257円となり、目標としておりました1億3,850万円を達成することができました。ご厚志深く、深く御礼を申し上げます。

至らぬ所も多い「救う会」ではございますが、数えきれないほどの励ましのお言葉とご支援を頂戴したことは、私共一同にとって、望外の喜びでありました。

本人と家族は、これからいくつものハードルを越えていく訳ですが、皆様の物心両面のご支援をフォローの風として、天晴くんが健康を回復すると、固く信じております。「救う会」は今後も最大限のサポートをして参ります。現時点では、年明け前後に、渡米を計画しています。入院先は、現在入院している東京大学附属病院の医師を通じて入院の内諾を得ているUCLA病院の予定です。

天晴くんの状況については、随時ホームページでお伝えしてまいります。引き続き、暖かく見守ってくださいますよう、お願い申し上げます。皆様、本当にありがとうございました。

天晴くんを救う会 一同
クリックで拡大

http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/

 

彦左衛門様  投稿者:グレゴリオ  投稿日:2008年10月 8日(水)23時32分42秒
  >その主張は色々ありますが、まずは教会内での男女平等を説き、女性司祭の否定を決めている教会法を非難、その他、司祭の結婚の自由選択、離婚、再婚夫婦などへ聖体拝領解禁など主張しています。

なるほど。正平協の誕生以来の教会(大阪教区は特にです。)の流れは、これで辻褄が合います。
女性の侍者、聖体奉仕者と、着々と女性司祭へのお膳立てが整いつつあること、
修道司祭から教区司祭への転属もあったりで、後はタイミングを見て「女性司祭」「司祭の独身制打破」を声高に叫び始めるのは時間の問題ではないかと危惧しております。

これ以上、世間を、時代を神とする思想が教会内にはびこり、教会を破壊していくことに我慢なりません。わたしたちはどう対応し、行動していけばよいのか、主に祈り求める毎日です。
 

Re: 脳死について  投稿者:ノムさん  投稿日:2008年10月 8日(水)22時33分27秒
  「ヴァチカンは脳死について、教会の教えとしては、まだ定めていない。
ただ、ヴァチカンが運営する病院では、“脳死をもって死”とはしていない。」
http://www.catholicculture.org/news/headlines/index.cfm?storyid=239&repos=4&subrepos=2&searchid=319148

というようなことでしょうか?
ヴァチカン内部にも相反する意見があるようです。
ここにはありませんが、「死刑」についても同様のようです。

http://www.nomusan.com/~essay/index-jubilus.html

 

脳死について  投稿者:Vincent  投稿日:2008年10月 8日(水)19時25分10秒
  脳死についてネットで調べましたが、どうも脳死と宣告された患者から臓器を摘出する時に麻酔をかけているようです。死んでいる人間に麻酔をかけるのは、どうも不自然な気がします。

http://www6.plala.or.jp/brainx/anesthesia.htm

以前教皇立科学アカデミーは脳死を人の死であるという立場をとっているという記事を
載せましたが、この判断は重大な過ちなのではないかと私は考えています。
 

正平協批判  投稿者:彦左衛門  投稿日:2008年10月 8日(水)19時13分57秒    編集済
    サボテン さん、おっしゃるとおりです。正平協の木邨が勝手に反バンチカン組織に加盟し、それがもし解消されず今日までで続いているならば、その非異を当然信徒は、各自の所属担当司教に問うべきです。

  しかし司教の多くはそんなことがあったとは知らないのではないでしょうか。正平協の事務局長、そしてその監督責任者松浦師、司教団の一部局でありながら、他の司教の総意をを諮ることなく、自分の恣意に基づく勝手気儘な言動を繰り返しているのです。

 "We Are World"  への加盟もそういうものの一つでしょう。ごう。

 しかし、それは制度上、日本司教団の公式見解、公式言動となっているのです。此処に日本カトリック教会の根本的問題が伏在しています。

   内閣であれば絶えず閣議を開き、政府としての統一意見を作ります。会社その他の組織でも同じです。  ところが日本の司教は、教皇に直属、各地に分散、司教会議は年に一回か二回、それ以外は、各司教委員会の長として分散、各個ばらばらに、職務を遂行することになっています。職無遂行に当たって、全司教の意見を徴すると言うことは、殆どないのじゃないか、。

  そこで、各自が自分の私的で、勝手極まる見解を教会の権威を背景に、信徒に押し付ける、教会内に普及するということが始まる可能性が出てきます。
  誰も他の司教はこれをチェックすることは出来ません。

  正平協はまさにこの点を利用し、教会堕落、政治団体化、親朝、反米路線化を諮って
いるのです。

  司教さんたちよ、どうかこれに気づいて下さい。
 

Re:正平協の非異 3  投稿者:サボテン  投稿日:2008年10月 8日(水)11時20分32秒    編集済
  >1996年に発足したこの反バティカン組織に、正平協の事務局長木邑が、正平協の名において加盟している

 加盟しているということは、日本の教会から、お金も流れているのでしょうね。

 即刻脱退するように抗議するべきだと思います。信徒には、「日本の教会が新教会法典に則って存在するように求める権利」があると思います。日本の司教協議会の下部組織(正平協)の事務局長が、組織の名を付けて、教会法と異なる主張をする単なる「信徒の組織」に加盟することは、許されることではないでしょう。

 司教協議会会長に知らせ、正平協担当司教に知らせ、説明を求めたいです。

 すべての教区司教にも責任はあると思います。各司教区に正平協の支部があり、正平協の主張が全国紙であるカトリック新聞に毎号のせられています。信徒が正平協の名の下に行われている事実について疑問に感じていることについては、まず、教区司教が受けて立ち、説明できなければならないと思います。責任逃れは卑怯です。即答できなければ、期限を明らかにし、答える責任があるでしょう。それとも、直接ローマに報告するべきでしょうか?

      ※   ※   ※   ※   ※   ※   ※   ※

 こういう主張をする信徒は、プロテスタント教会にいらっしゃればいい。意外と、カトリックから離れると生活できないシスター方が糸を引いているのかな?と思ったりします。または、ジェンダーフリーを手始めにカトリック教会に左翼の毒をまこうとしている組織のしわざでしょうか? 日本の修道女連盟会長のシスターなども、正直なところこの運動に惹かれるものはあるのではありませんか? 私はごめんこうむりたい!
 

正平協の非異 3  投稿者:彦左衛門  投稿日:2008年10月 7日(火)23時26分41秒
     諸兄、諸姉、

 International  Movement ”We Are Church”(IMWAC)と言う 世界信徒の組織をご存知でしょうか。これは要するに教会の民主化を推し進める事を目的としている組織で、世界中に支部を持つかなり有力な(特に米国での)組織です。
はs
  その主張は色々ありますが、まずは教会内での男女平等を説き、女性司祭の否定を決めている教会法を非難、その他、司祭の結婚の自由選択、離婚、再婚夫婦などへ聖体拝領解禁など主張しています。

 いま彼らの主張の詳細をここでお報せしようとも、その是非を論じようとも思いません。いずれにせよそれらの多くは現教会、バティカンの公的立場を非難、これに反するものです。

  詳細をお知りになりたい方は、この投稿の終りに載っている英文をお読みください。

  今小生が問題としているのは、1996年に発足したこの反バティカン組織に、正平協の事務局長木邑が、正平協の名において加盟していることです。

  正平協は痩せても枯れても日本司教団に属する正式部局です。それがこの組織に加盟していると言うことは、日本司教団が加盟していることになるのです。

  その後、正平協がこのWACから脱退したと言う話しは聞いていません。

  ということは日本の司教さんたちは,知ってか知らずか、WACに同調、反バティカンの立場をとっていることになるのです。

  続く:





3.3 Among the essential treasures of human rights is the right of women to full equality in society and Church. For those baptized in the name of Jesus, "there is no difference between Jews and Gentiles, between slave and free, between men and women" (Gal. 3:28). No Scripture passage declares baptized women unworthy of the Church´s ordained ministries. There can be no such position in the teachings of the Church. Church structures must involve full participation of men and women. The cause of women is the cause of humankind.

3.4 Current Canon Law still contains decrees that are in direct contradiction to human rights. As members of the laity women experience double discrimination (Canon 230). There is no separation of powers: Bishops simultaneously hold legislative, executive, and judiciary power (Canon 391). Parents who allow their children to be baptized or brought up as non-Catholics and people who refuse blind obedience to their Bishop or Pope are threatened with penalties (Canon 1366). Sexual continence, described as a "special divine charism," is made a "permanent" obligation for all members of the clergy ordained in the Western Rite.

3.5 We, the Catholic Church, believe it is time for the Holy See to reverse their disgraceful refusal to sign the European Convention on Human Rights. It must demonstrate its full and unequivocal support for women’s equal rights within the Church itself – not merely in words, but in actions.

We also feel compelled to work to abolish the death penalty in all countries of the world.

Within the Catholic Church, those who seek new ways of spreading the Gospel and of dialogue with other religions and the world, and who support an extensive reform of the Roman Catholic Church, should no longer be repressed and antagonized. We ask that, in the spirit of the Second Vatican Council, a season of creative dialogue is launched, without exclusions or excommunications.

The year 2000 is the occasion for initiating bold changes in ecclesial structures and in some Papal decisions, which cause so much suffering to many Christians (e.g., not allowing those belonging to a diocese to choose their Pastors; forbidding contraception; denying the Eucharist to divorced and remarried people; forcing priests to remain single; rejecting the full equality of women and men in ordained ministries; disregarding the rights of homosexual people; forbidding the interconfessional Eucharist of sisters and brothers of different Christian Churches; refusing the reintegration of married priests).
 

ダンボさんへ  投稿者:サボテン  投稿日:2008年10月 7日(火)21時56分24秒    編集済
   ロザリオについては、ダンボさんのおっしゃる感じで落ち着くように、願います。

 栄唱で「父と子と聖霊と」を唱えるところで、聖三位一体への敬意を表わすために、頭を下げる。この習慣は、前の教会では今も残っています。

 同じように、栄光の賛歌で「イエズス・キリストよ」と唱える(歌う)2箇所も、神父様が手を合わせて頭を下げられるので、侍者も会衆も自然にそうなっていました。
 使徒信経「おとめマリアから生まれ」(受肉の神秘)のところも、年配のシスターなど頭を下げる方、おられます。
 お告げの祈り、「みことばは人となり、私たちのうちにすまわれた」(受肉の神秘)、同様です。

 ミサ中だと、拝領前の信仰告白「主よ、あなたは・・・・」のところ、ここは年代により差が出ます。東京教区は、拝領前の信仰告白は跪いていました。(聖イグナチオ教会、2月)
 また、感謝の賛歌が終わったあと、奉献文結びのアーメンまで跪いていました。私のところは、感謝の賛歌が終わってから「信仰の神秘」まで跪いています。

 東京の聖グレゴリオの家宗教音楽研究所では、夕べの祈り(ヴェスペレ)と、寝る前の祈り(終課=コンプレトリウム)は、聖書朗読のみ日本語、他の祈りはグレゴリアンなんです。長〜〜く続く詩編(グレゴリアン)の後に、栄唱を歌う時、皆きれいに頭を下げられます。神言会の西脇純神父様、祈りに満ちた発声も所作もすばらしかったです。(数年前の話)

 跪くことも、頭を下げることも、祈りの表現の一つだと感じました。

 今年8月、グレゴリオの家のミサに与った方の話では、聖体拝領が???だったとか・・・。故ゲレオン神父様が嘆かれているかも・・・、です。
 

正平協の非違 2  投稿者:彦左衛門  投稿日:2008年10月 7日(火)20時43分24秒
    先に小生述べたように2001年6月、正平協は、拉致問題なんぞ、真偽不明の話は棚上げし、一刻も早く日朝国交開始交渉を急げと、外務省に申し入れている。これは勿論北さんの立場に即したものだ。

  所が思いがけないことが起った。翌2002年、9月17日、小泉、金正日両首脳の平壌会談で、金が北朝鮮政府機関による拉致犯罪を一部認め、これを謝罪したことだ。

  これまで拉致問題を否定していた連中には晴天の霹靂だった。そして共産党は、殊勝にもこれまでの自分たち不明を率直に認め、、国民に謝罪した。

  かの朝鮮総連さえ謝罪している。

  とろがわが正平協は、頬被り。自分たちの誤りについては、一言の釈明も、謝罪も無し。わしがこれを問い正しても無視黙殺。

  人間は公私共に誤りは避けられないだろう。しかし自分が間違っているのがはっきりしたなら、済みません、間違っていましたと、謝らなければならない。

  しかし正平協は、信徒からの追求がないのをいいことに、知らぬ顔の半兵衛。
 彼らは人間的にも堕落。こういうのが、教会内で勝手気ままに振舞っている。

  そしてそれを許している司教たち。一片の反省もなければ皆地獄行きだろう。

   続く:
 

サボテンさんへ  投稿者:ダンボ  投稿日:2008年10月 7日(火)17時22分15秒
  別に、跪いていたかったら、跪いていればいいし、ミサの典礼ではないので、
別に細かく縛られることもないかと思うのですが・・・。
長崎の信者さんは、経験からよくいろいろとご指南されますが、
意味がわかってということではないかと思います。
皆さんが気持よくお祈りできるように考えられるのがいいかと思います。
ベンチのない教会だと、跪いていた方が楽ですね。
聖堂でロザリオを起立して祈っているのは、見たことないですね。
案内されるなら、「跪ける方は、第1玄義と第5玄義は跪き、
後はご自由になさってください。ご無理のないように。」でしょうか。
これなら、べンチがあろうが無かろうが関係ありません。
人それぞれに落ち着く姿勢がありますから。
昔は栄唱のところでは、礼をしていましたが、今は殆どされないでしょう?
 

ロザリオの祈り(その2)  投稿者:サボテン  投稿日:2008年10月 7日(火)01時40分25秒    編集済
   ダンボさん、ありがとうございます。

 私がお世話になっていた教会では、1連から5連までずっと跪いていたのです。
 それで、そうしていました。その方の説明は、ロザリオ終了後、ミサ開始前のことで、2連から4連は、「跪かないように・・・!」と、聞こえたのです。それで、えっ?と思ったわけです。

 ベンチのない聖堂だと、2連の玄義を唱えるところから、正座になるのでしょうか? または、起立? ベンチのある聖堂では、2連から4連まで、ベンチに座るのですか? それとも起立?

 来週からどうするかは、様子を見て決めます。教会で、ゆくゆく言いたいことはほかに山ほどあるので、まあ、お祈りの姿勢くらいは妥協するか、姿勢も信仰の表れだから少し言ってみるか、考えます。
 

長崎教区  投稿者:ノコさん  投稿日:2008年10月 7日(火)01時12分35秒
  >お人柄はノコさんが詳しいはずですが。

福岡サン・スルピス大神学院の教授ですね
長崎補佐司教に叙階される前に司牧経験を養うために
急逝した主任神父様の後をうけて3ヶ月だけ教会管理者をなさいました
旧約聖書を教えておられたようですが、眠いと評判の名講義でした

説教は、毒にも薬にもならないといったところが正直な感想

それまで私は長崎大司教区は「信仰の砦」と自負してましたけど
先人たちの犠牲の上に成り立つ立派な教会は賛美に値しますが
この小役人型司教様は尊敬に値しない方のようです
 

サボテンさんへ  投稿者:ダンボ  投稿日:2008年10月 6日(月)23時54分50秒
  そのロザリオの際の跪き方は、伝統的です。長崎では、私もやっていました。
長崎の教会は坂や急な階段が多いので、それを乗り越えて教会に来られる方は、跪けたのかも??? でも、膝が痛い方は跪かなくていいんですよ。それを咎める人はいません。
長崎でも、最近はロザリオを唱えられない若い層が出ているそうです。
 

長崎教区  投稿者:ダンボ  投稿日:2008年10月 6日(月)23時43分18秒
  Vincentさんが指摘されたように、あれは両形態の拝領ですね。聖体も御血も授けられなければならないのに・・・「キリストの体」「アーメン」は、なしですか?あれは主任司祭の少人数の取りまきと、恒常的にしておられる感じですね。まぁ、長崎信者は、公文書どころか聖書も自ら読む人は少ないですから、司祭がそのように指導すれば、従うでしょうね。

ちなみに、浦上教会の小教区エリアのすぐ隣はフランシスコ会の本原教会。何か関係あるのでしょうか・・・

あの最悪な崩れ方も、あの大司教のもとでなら、有り得ることです。あの神父様もそういう方ですから。あの方を浦上の主任司祭にということ自体が・・・

彦左衛門さま
私は、正平協の全国大会での分科会の後で、高見大司教に、拉致被害者のためにどうして祈らないのか尋ねました。素っ気ない感じでしたので、ついつい、あのようにガンガン言ってしまったのです。おつるさんにマシンガン・トークと言われるほどに。あれは、苦しむ人と共にある人の態度ではありませんでした。

松浦補佐司教のように、ご自身の信念や知識があるわけでもなく、煮え切らない態度でした。午前中のミサの説教も、何を仰ったのか掴めないお話でしたし。

あの方も、大阪教区長と同じく、裸の王様なのかも・・・
保守的な教区司祭方に受け入れられるはずがありません。

お人柄はノコさんが詳しいはずですが。
 

Re: 荘厳司教ミサ  投稿者:ノコさん  投稿日:2008年10月 6日(月)23時39分37秒
  >おつるさん

荘厳司教ミサ、お会いできることを楽しみにしております
私も当日、福岡から入ります

諸聖人の連祷が14時40分から始まります
ミサは二時間超に及びます
(侍者服は風通しが悪いので暑いんだな。これが..)
 

ロザリオの祈り  投稿者:サボテン  投稿日:2008年10月 6日(月)23時18分38秒
   10月、ロザリオの月。主日のミサ前にロザリオの祈りをささげておられる教会は多いと思います。私の意向は、「谷司教の大いなる回心のため!」と、怒っていてはいけませんね。

 ミサ前にロザリオの説明が長崎出身の代々信徒の方からありました。今さらロザリオの説明? 入門講座じゃあるまいし・・・、どうなっているの、ここの教会? と思いつつ聞いていると、「昔から、1連と5連は、跪くのです。」

 えっ??? 皆、神妙に聞いておられるのです。こうやって、ロザリオの姿勢まで統一するのって、私は疑問に感じました。

 私の年齢なら、膝の痛みもないし、ずっと跪いても平気です。その方が、低くなって、集中しやすい。高齢の方なら、ずっと座っておられても、いたし方ないと思います。

 1連と5連のみ、跪くって、長崎の伝統なのですか?
 

Re: 荘厳司教ミサ  投稿者:ノムさん  投稿日:2008年10月 6日(月)21時39分50秒
  おつるさん>

当日お会いできるのを楽しみにしています。
赤羽根さんにはご紹介しますね。
私は一時頃には行っています、番号札を貰わなければなりませんので。

二次会は、その積もりですが、前日10日に担当医の判定が出ます。
ひょっとすればまだアルコールが解禁されないかも知れません。その場合は失礼します。

http://www.nomusan.com/~essay/index-jubilus.html

 

Re: カトリック新聞の写真について  投稿者:ノムさん  投稿日:2008年10月 6日(月)21時24分37秒
  成程!

これは確かに手で直に取っていますね!
神父様はそれを眺めている。
ムムム、・・・

http://www.nomusan.com/~essay/index-jubilus.html

 

荘厳司教ミサ  投稿者:おつる  投稿日:2008年10月 6日(月)21時12分57秒    編集済
  10/11(土)〜12(日) 東京に行きます!!

荘厳ミサに参加して、典礼とオルガンと聖歌の勉強したいと思っています。
カトリックアクション同志会の方々とお会いできるのが楽しみです。
教会の政治的言動を憂慮する会の幹事の方にもお会いできたらいいな。
カトリック正平教2ちゃんねるスレの方も参加されるのかな

関東の皆様 よろしくお願いいたします♪

第18回 荘厳司教ミサ
日時: 2008年10月11日(土)午後3時(聖マリアの連願 2時40分より)
場所: 東京カテドラル聖マリア大聖堂
主催: カトリック・アクション同志会
主司式: 白柳誠一枢機卿
共同司式: デ・カステルロ大司教(駐日ローマ・教皇庁大使)
ヨゼフ・ピタウ大司教(当会顧問司祭) 他、司祭多数
ミサの意向: ルルドの聖母ご出現150年にあたって

http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/

 

姜哲煥(カン・チョルファン)氏  投稿者:ノムさん  投稿日:2008年10月 6日(月)21時11分22秒
  “朝鮮日報”サイト内で、「姜哲煥 脱北」で検索しますと、夥しいヒットがありますが、こんなのを発見しました。

http://www.chosunonline.com/article/20061227000023
在日2世声楽家・田月仙さん、兄を奪った北への怒りを手記に

内容はこの記事を読んで頂くとして、田月仙(チョン・ウォルソンさん)の自叙伝『海峡のアリア』を、早速amazonへ頼みました。

ブッシュ大統領が姜哲煥さんがに会った記事は、ここ↓にあります。
http://www.chosunonline.com/article/20050615000000

http://www.nomusan.com/~essay/index-jubilus.html

 

カトリック新聞の写真について  投稿者:Vincent  投稿日:2008年10月 6日(月)20時33分57秒
  今回のカトリック新聞で浦上から金沢への巡礼の記事と写真がありました。
信者が野外のミサで御聖体を祭壇から手で取っているというももです。

これは、指針「あがないの秘蹟」65ページの94、信者が聖なるホスティアやカリスを
「自ら手に取ること、まして互いに渡すことは」適法ではない。

に反しています。カリスの位置から判断すると両形態の拝領だったのかもしれません。
残念ながら、大阪教区だけではなく、長崎教区もだめかもしれません。
 

脳死に関する記事  投稿者:Vincent  投稿日:2008年10月 6日(月)20時20分38秒
  脳死に関する記事を見つけましたので、参考のため翻訳しました。不十分な点が
ありますが、お許し下さい。

英語は以下のリンクを参照して下さい。
http://www.lifesitenews.com/ldn/2008/sep/08090310.html

ヴァチカン 2008年9月3日(LifeSiteNews.com) - ニューイングランド医学報に脳死は本当の死ではないという大々的な記事が出てから僅か2、3週後に、バチカンの新聞オッセルバトーレ・ロマーノは、新しい科学的研究を考慮すれば、『脳死』の宣告が生命の終焉であるとは考えられないという記事を第一面に掲載した。

そのような判定では、カトリック信者やカトリック系の機関では、生命維持に欠かせない個別の臓器提供、例えば心臓移植は禁じられるでしょう。カトリックの教えでは、ドナーは確実に死んだと宣言されなければならず、潜在的提供者が確実に死んでいるとされなければ、生命維持に欠かせない臓器の摘出は、事実上、ドナーを殺すことになるからです。

9月2日に出たオッセルバトーレロマーノの社説は、イタリア生命科学協会の副議長及びイタリア国家生命倫理委員会会員であるルチェッタ・サクラフィア教授によって書かれました。  彼女は、ハーバードメディカルスクールによって「脳死」が提唱されたとき、バチカンは40年前に脳死基準を受け入れた点、さらに1985年、1989年と2006年に、教皇庁立科学アカデミーは脳死が「本当の死の基準」であると主張し続けた点に言及しています。

しかし、スクラファ氏は教会が「多くの制約と共に」新しい死の定義を受け入れたといいます。それに、バチカン市国では、脳死基準は使われていません。

オッセルバトーレロマーノ記事について、バチカンのスポークスマンであるフェデリコ・ロンバルディ神父は、「興味深く、権威があるが、教会の教導権の立場と捉える物ではありません」とコメントしました。

カトリック教会の公教要理は、臓器提供に関して、死後の臓器提供は崇高で賞賛に値する行為で、寛大さの表現として奨励されることとなっています。 ただ、この声明は提供者の本当の死が立証されるかによります。そうでなければ、生命維持に必要な如何なる器官の完全な摘出も、ドナーを殺すことになります。 また、教皇ヨハネ・パウロ2世が2000年に、人体にある生命維持に必要な器官は、人の死後、つまり確実に死んでいる人の身体からでないと取り出せません。・・・さもなければ、臓器摘出により意図的にドナーを死なせることになるので、この要件は明白です。

一般大衆にとって、脳死状態であると宣告された患者やそれについて話す生活がますます報告されるように、臓器提供は常に論争の的になっています。  スクラフィア氏は、新しい科学的な調査結果を示しつつ、科学者に問題を投げかけています。彼女が指摘する新しい調査結果のうちの1つは、脳死を宣告された女性が生命維持装置につながれたままで子供を生んだケースです。

11月にローマでの臓器移植を促進するバチカンの会議が決められたこともあり、これからの何週間はこの問題が頂点に達するのは確実です。

以上
 

拉致問題無視  投稿者:彦左衛門  投稿日:2008年10月 6日(月)20時17分9秒    編集済
    正平協が、これまでどんな非違を重ねてきたか、小生の知るところを、若干書いて置こう。

  1901年当時日朝国交回復交渉はデッドロックに乗り」上げ、進展の目途がついていなかった。

  理由は、日本側が拉致疑惑を交渉の議題として要求していたのに対し北が、拉致などと言うことは、日本右翼の作り事で問題にならないこととして、交渉の議題とすることをつっぱねっていたからだ。

 そういう状況のもとで正平協は、2001年6月8日、当時の外務省東アジア局長、平松憲司氏に、他の団体とともに面会、一刻も早く日朝国交再開交渉を始めるべきだと要求している。

 これはまったく北朝鮮の立ち場を代弁しているもので、拉致問題のような真偽不明の問題は、棚上げして、日朝交渉を急げと言っているに等しい。

  ところで 正平教は痩せても枯れても日本カトリック司教団の正式部局だ。、と言うことは日本の司教たちは、拉致なんぞと言うことは問題にしてはいないと言うことになる。

  続く・
 

脱北者による講演会  投稿者:ノムさん  投稿日:2008年10月 5日(日)20時33分37秒
  この9日に在日二世の私の若い友人と、お昼を一緒しながら話します。
いま勝手にどこまでオープンしていいのか分かりませんが、11/20に、彼女も協力している講演会があります。

『宗教の自由がない国、北朝鮮。しかし、密かに、そして確実に増えているクリスチャン』

というようなメイン・タイトルです。
正平協にも呼びかけて見るかな。

=講師の略歴=

○金泰振(キム・テジン)氏
1956年生まれ。一度目の脱北後、中国にて炭鉱の仕事をしながら伝道を受ける。
2度目の脱北後、中国国内で洗礼。2001年韓国入国。2006年総神大学校卒業。
現在、神学在校生と卒業生のみを正会員とする「脱北民使役者連合会」で宣教局長として中国で脱北者たちに福音を伝えている。韓国基督教総連合人権委員、社団法人北韓民主化運動本部代表。

○姜哲煥(カン・チョルファン)氏
1968年生まれ。1963年、在日朝鮮人の祖父母が家族を連れ北朝鮮へ帰国。その5年後、平壌で生まれた。1977年、祖父がスパイ容疑で拘束され、9歳から19歳までの10年間家族とともに強制収容所で過ごす。その体験を綴った『平壌の水槽』(ポプラ社)を出版。2005年、英訳出版された著書に感銘を受けたブッシュ米大統領よりホワイトハウスへ招待される。現在「朝鮮日報」北朝鮮担当記者。

姜哲煥氏の著書は「平壌の水槽」も「北朝鮮脱出(上下)」も持っています。凄まじい内容です。又、同氏については[朝鮮日報]のサイトで“姜哲煥”で検索すると、ずらずら出るはずです。

今日が横田めぐみさんの44歳の誕生日だそうですね。娘が昨日なので、一日違いだったわけです。私なら、狂ったかも知れません。私なら、あの家族会の皆様のように、粘り強く、正しい方針で、諦めずに、活動できなかったと思います。私自身が崩れてしまったであろうと。

私にとっては、朝鮮半島への興味と正平協への興味は、重なり合って深まっていくのです。
正平協の中心が、なぜあれほど北朝鮮へのシンパシーを持つのか。強い興味です。
どのような経過があるのか。

しかし、理屈でなく、精神病理学のジャンルなのかも知れません。

上記講演会は、近々、詳細を宣伝します。

http://www.nomusan.com/~essay/index-jubilus.html

 

よきサマリア人の女の子 ?  投稿者:ダンボ  投稿日:2008年10月 5日(日)17時38分11秒
  >そのようになりたい人達が作り出す廃棄物や危険物で
>地球が取り返しのつかないほど汚れ、危険になり
>ますます住みにくくなってきているわ

そのようにとは先進国に追いつこうとしている国、中国等でしょうか。
自分の利益のためなら、ミルクに有害薬品を混ぜてしまう。
公害対策はせず、煤煙や汚水を垂れ流し、チベットの辺境の地に核施設を造り、
地震で施設に被害が出ても、国の繁栄のため、放射能にも知らん顔の国ですか?
日本にも、政・官・民 共に、金の亡者はいるけど、規模が違いますね。

>戦争のせいでたくさんの人々が死に続け障害者も増え続けているわ

イラクの他にもスーダンもそうですね。
どこの国が資源目当てに武器を供与しているんでしょうか?
アフリカで反政府ゲリラや国民を抑圧(虐待)している独裁者に
資源目当てに武器を供与している国(中国)は非難されてしかるべきです。
少年兵が持っている武器はどこから来たのでしょう?

>戦争はもちろん、貧しさや、世界的な食糧不足のために
>食べるものがなくて死んでしまう人たちも増え続けているわ

アフリカの大地は、内戦のために農地は荒れ果て、
人々は難民として流浪の民となってしまっています。
食べ物はおろか渇きを癒す水さえ、手に入れるのは困難です。

>地球という限られた地域の中で 人口が爆発的に増え続け

それはインドやイスラム圏でしょうか?
だからと言って、中国のように、半強制的に不妊手術や堕胎を
して良いのではないのです。

>地球に住む全ての人間に、とても怖いことや
>とても苦しくて辛いことが無くなって
>誰とでも仲良しの平和な生活をすることが
>むずかしくなっていきているわ

まず、自国の国民を政治的・宗教的理由で収容所に入れ、
虐待しているような国があるのですから。

>悪いのはあの国、あのグループ、あの人であり私は間違っていない
>しかも、私や私の国、私のグループを助(ける?)仲間がたくさんいる
>そのように、訴えて、相手の責任を強調する人は
>自分と、自分の仲間が不都合になるような
>責任から逃れるれる工夫をしているのではありませんか

戦争の謝罪を繰り返す日本に、自国の現状から目を逸らせる為に
戦争中のことばかり待ちだすのは、それに入るんでしょうか?
ベトナムに対しては、「責任から逃れる工夫」どころか、
責任があることさえ認めていない隣国もありますね。

>私たちは間違っているかもしれない、
>しかし、間違っているのは私たちばかりではなく、他の人たちも
>同じことをやっているのだから、私たちだけが責められるのは
>おかしいという開き直りもあるわ、
>もし私たちだけが間違いを直しても
>仲間はずれになって、生活できなくなるのだから、
>今の社会の仕組みの中で やって行くしかないわ

こういう瞬間、瞬間に良心や識別する力が、正しく働くように、
祈りや、ミサで福音化されることが大切なんです。

>「生活の保障は誰がしてくれるの?」という決定力や
>実行力を持った開き直りの大人たちが
>未来を生きる子供たちの社会の仕組みを不安なものにしていくのではないかしら

そんな大人ばかりではないし、
そんな社会にしないために懸命に努力する大人もいます。
その時その時を懸命に生きることが大切です。
人間の知恵だけだと不安になることも多いけど、
私たちは、祈りとともに、今を大切に懸命に生きて、
後は神様に委ねてはいけないのでしょうか・・・。

>もっと悪い世界にならないように出来るのは、私たち子供だけだわ
>世界の子供たちがひとつの共通の言葉ではなしあえれば、
>共通の価値観が生まれるわ
>大人たちの歪んだ感性力を修正できるわ

では、どうして「いじめ」はなくならないのでしょうね。
学校では同じ言葉を話しているのに。
良い面、悪い面とも、先人の知恵に学ぶことも大切ですよ。
大人も子供も、互いを大切に生きるという素晴らしい教えは
先人から受け継がれてきたものです。
自分たちの力で、他人の感性を修正しようとなど思うのは
大それたことです。
その人のために神様が導いてくださるように祈りましょう。
その人たちが、真の愛に気づくように。

>わたし、きっと出来ると思うの
>だからやりましょうよ
>あなた、この地球を救いたくないの?

誘うのはいいけど、「あなた、この地球を救いたくないの?」って
決断や同調を迫るのは好ましくありません。
人にはそれぞれの考え方や選択権があるのですから。
その言い方は、昔、赤軍派たちがよく使った闘争の語調です。
正平協やピース9の語調とそっくりですが・・・
 

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天におられる私たちの父よ
御名が聖とされますように
御国がきますように
御心が天に行われるとおり地にも行われますように
私たちの日ごとの糧を今日もお与えください
私たちの罪をお許しください
私たちも人を許します
私たちを誘惑に陥らせず
悪からお救いください
 アーメン


   
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