ノーベル賞受賞者の哀れ
ノーベル賞を日本人が受賞したといって、マスゴミは大喜びらしい。一般の国民も受賞理由はチンプンカンプンなのに、わがことのように喜んでいると見える。 「暗いニュースが毎日続くなか、明るいニュースが飛び込んできました」などとテレビでアナウンサーが叫んでいる。私には特段、明るいニュースでも、嬉しいニュースでもない。学問の世界の基準からすれば、こんなゴミみたいな研究で、世界的な発見だとは笑止である。 しょせんノーベル賞なんか、ユダヤ陰謀組織の配下の者へのご褒美か、世界中の人々をまやかしの研究に目をむけさせるために方策に過ぎない、ということが分かっている人は少なかろう。 化学賞をもらった下村脩氏は、なんとフルブライド留学生であったし、南部陽一郎氏も国外逃亡組の一人である。みんなユダヤ組織に忠誠をつくしてきた連中だ。 南部陽一郎氏は米国籍を取得しているのだから、日本人のうちには入るまい。下村氏も米国在住でやってきたのだから、アメリカで褒めてもらえ。 私は野球選手もそうだが、研究者がアメリカに留学や仕事を求めて行くことに嫌悪感を持っている。なんであんな学問のない、戦争ばかりやっていて、他国を植民地にして平気で、黒人やらヒスパニックやらを差別し、世界中から顰蹙を買っているアメリカなんかに嬉々として赴くのか、気が知れない。日本を幕末に脅して開国させ、やがて第二次世界大戦にひきずりこんで原爆やら都市空襲をやってのけたケダモノだ。 だから南部氏も下村氏も、嫌な顔になっている。何か心中に含むものがあるような、能面のような無表情の割に意固地でいじけたココロが透けて見える気がしてならない。これは異国でいたぶられたせいか、ユダヤの配下になった自分に自虐的になってン十年経過して、おかしくなったのか…。 そもそも理科系の人間は、認識を人間関係で創ることが少ないから、感性が薄くなりがちである。感性が薄いから平気でアメリカに渡れる。アメリカ人もまた感性が極薄だからだ。野球選手も感性が薄く育っているから、平気でアメリカに稼ぎに行く。南部氏その他、ノーベル賞をもらった人は感性の薄い顔をしている。 結婚はしていても、奥方と新婚旅行に行っていないという人が多かった。別に新婚旅行がいいというわけでもないが、これは新婚旅行ぐらい行きたいわと思う夫人の女ココロがわからない感性になっているからだ。 ついでに言うと、ノーベル賞をもらって喜ぶ当人の写真が新聞トップに掲載されるのだが、なんでいつも電話で話しているの? 誰か知り合いから、お祝いの電話を受けている、という場面なのだろうが、これも記者が「電話で話しているポーズをとってください」と命令してやらせているにちがいない。ご当人も舞い上がっているから、二つ返事でポーズをとる。みっともない恰好だとは思わないのだろうか。 南部陽一郎氏が、素粒子の「自発的対称性の破れ(非対称性)の発見」で賞をもらうことになったそうだが、素人ながら私でも、素粒子が非対称であるのは、言われるまでもなく当たり前ではないかと思う。素粒子は物質の最小単位なのだから、これは宇宙全体が非対称であるという論理のミニチュア版であって、宇宙の原則が素粒子にも貫かれている原理であろう。対称だと思っていた科学者のほうがどうかしていたのだ。 それにつけても。 毎度のことながら、これら研究者の業績があきれるほどに微細なものを対称としていて、それがアメリカの“科学”つまりアメリカが大事だとか有用だとか認めるかぎりに於いての研究に役立つレベルの小さな小さな発見にノーベル賞が与えられることだ。スウェーデンの王立科学アカデミーがノーベル賞を出しているところだが、国はどうでもよく、ロスチャイルドやロックフェラーにお眼鏡がかなった研究だけが、「褒めてとらすぞ」と言われる。 例えば、肝臓の大事な機能の発見があり、そのおかげですべての肝臓病が治るようになった、というような医学上の画期的な発見、発明があったとすると、まあそれが科学の進歩に果たす役割の最低限度だとすれば、現在はそういう大きな発見はなくなってしまった。肝臓のなかの何かの物質の発見があり、またその物質のなかのさらに微細な部分の研究をして受賞するといったありさまである。 どんどん微細な、枝分かれした研究ばかりになっていくから、ノーベル賞受賞対象者はどんどん増える。 しかも今度の下村氏のように、細かい研究の役にたつからという受賞理由。科学というより、技術に貢献したから、というようなもので、そんなものがノーベル賞なのか? くどく言うが、私は自動車を発明したぐらいのレベルがノーベル賞かと思っていたら、その自動車のエンジン部分の、シリンダー部分のそのまた一部の改良をした、とするレベルでノーベル賞なのだ。そんな程度なら、日本の技術者は数えきれないほどの発明や発見をやってのけているだろう。町工場のおっさんだって、あまたの発明をしている。例えば痛くない注射針は、ノーベル賞をもらってもなんらおかしくないものだ。 だがもらわないのは、ノーベル賞が白ンボどもの身内のご褒美だからである。アジア人がもらうのは、ほんのおこぼれなのだ。 今回だって、金融危機から目をそらすための策謀でノーベル賞騒ぎを演出しているのかもしれない。 今度のノーベル賞受賞にかぎらないが、まったく研究者は具体的事実しか究明できない、あわれなアタマになっているなあ、というのが偽らざる感想であった。あれらは学者ではない。研究者である。それをマスゴミは勘違いしている。ノーベル賞をとるほどに「偉大な学者」だと思っている。学者ならば、化学であれば化学の全体像がわかっていなければならないが、それがわかっているご仁は、ノーベル賞をもらおうがもらうまいが、誰もいない。 彼らがやってきたのは、微細な部分の具体的事実に関わる究明だけしかできない頭脳になっている、新発見の論理を提出できた者は誰もいない。 弁証法を知らないから、である。 だから今、全国の学校で、南部さんや益川さんを見習いましょうとか、科学の夢を持ちましょう、などと教師どもが子供に猫なで声で言っていると思われるが、私が教師なら逆である。ノーベル賞なんかほしがってはいけません。あんなものは微細な具体的事実にしかしがみつけなくなった哀れな研究者の末路なんですよ、と言うだろう。 なぜなら、学問とは論理の体系なのですから。そんな論理のカケラも究明できない人たちを学者とは言えないからですよ、と。 |
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あからさまに日本人のご機嫌取りなのに。
白人様がごほうびをくれてやったからちゃんとお金出せよって言うのがみえみえですよね。
ばかばかしい世の中ですな。
資源を輸入しなければ経済が廻らない日本に歯がゆい限りです。
早く
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