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社説

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株価暴落―不安の連鎖を断ち切れ

 株価暴落の世界的な連鎖が止まらない。きのうの東京では日経平均株価が一時1000円以上も安くなり、バブル後の最安値7607円まであと500円ほどに迫った。7日間の取引で3000円以上も下落した。

 主要国のなかでも、日本株の落ち込みが激しい。6年余の景気回復を支えた日本経済の強みと、陰で温存された弱みが同時に売られている。

 強みは輸出だった。しかし、一時1ドル=97円台に突入する円高と世界不況による業績悪化の予想で、自動車や電機など主力株が売り込まれた。

 弱みは、証券市場が海外からの投資に頼りすぎていたことだ。欧米の投資家は金融危機を受け、海外での資金運用を縮小し引き揚げている。そのあおりを東京がもろに受けた。

 株と同様に外資依存で膨張してきた不動産市場でも収縮が止まらず、上場されている不動産投資信託(Jリート)が初めて破綻(はたん)した。

 さらに、このリートや米国のハイリスク金融商品での資産運用が多かった中堅生保の大和(やまと)生命が破綻に追い込まれた。高利回りの保険で資金を集め、高リスクで運用する無理な経営が、金融危機に直撃された。

 日本の金融機関は傷が浅いから大丈夫。日本は金融危機の経験者として、対応策を外国へ伝授する役だ。これまでそう思いがちだったが、足元から火が噴き出した。不意を突かれた株式市場は不安感が頂点に達している。

 政府・金融当局は、まず不安の連鎖と増幅に歯止めをかけるよう、全力をあげなければならない。

 大和生命の破綻は特殊なケースではあるが、株安がさらに進めば、苦境に陥る金融機関が出るかもしれない。当局は金融機関の経営内容を、いまいちど総点検してほしい。

 同時に、破綻に備えて安全網を整備し直さないといけない。中小金融機関へ公的資金を注入するための「金融機能強化法」は、今年3月に期限が切れ失効している。生保への公的支援制度も来春で切れる。

 これらの復活・延長などを盛り込んだ対応策を自民、民主両党が検討している。地方経済の不振もあって、経営が苦しくなってきた中小金融機関もある。取るべき対策を総まとめにして早急に実現させるべきだ。

 主要7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)が開かれる。金融危機に対する主要国首脳会議(G8サミット)の開催も検討されている。日本はサミットの議長国として国際協調を主導しなければならない。

 また、日本の主要企業にも注文したい。たしかに世界不況は逆風だが、これまでの好況でため込んだ蓄積も各企業にはある。逆境のときこそ、それを次の成長のために使ってほしい。

ノーベル平和賞―紛争の時代が彼を求めた

 この人がいなければ、紛争の犠牲者はもっと増えていたことだろう。

 今年のノーベル平和賞は、フィンランドのマルティ・アハティサーリ元大統領に贈られることになった。

 旧ユーゴスラビア、インドネシアのアチェ、北アイルランドなど多くの地域紛争で、和平の仲介や交渉にあたってきた。30年に及ぶ貢献を評価するとともに、とくに冷戦後の世界における紛争調停の重要性に光をあてたいというのが贈る側の意図だろう。

 ノーベル平和賞は一昨年に貧困撲滅、昨年には地球温暖化問題に着目した。今年の選考結果は、戦争の悲惨を食い止めるという平和賞の原点に戻ったとも言える。

 アハティサーリ氏が初めて紛争調停を経験したのは70年代末、40歳そこそこの外交官だったころのことだ。アフリカ南部ナミビアの紛争で国連代表に任命され、紛争当事者の対話仲介にあたった。

 冷戦終結後の90年代、地域紛争が世界各地で起きるとともに、アハティサーリ氏の出番も増えていった。

 旧ユーゴのボスニア・ヘルツェゴビナ紛争では、国際和平会議の座長として和平交渉を進めた。セルビア共和国とコソボ自治州の対立では、当事者の間を走り回って「コソボ独立」への道を開いた。

 旧ユーゴでは宗教や民族が激しくぶつかり、民族浄化と呼ばれた集団虐殺も起きた。そのなかでの調停がどれほど忍耐を要する仕事であることか。

 「バルカンの諸民族の間には数百年にわたる深い対立と憎悪がある。紛争解決にはそのことを踏まえねばならない」。今年6月に来日した際、アハティサーリ氏はコソボ紛争の仲介を振り返って、そう語っている。

 輝かしい実績とそれを支えた豊かな経験は、時代が求めた結果でもある。

 忘れがたいのは、インドネシア北部アチェでの紛争解決で見せた手腕だ。分離独立を求めてゲリラ闘争をしてきた自由アチェ運動とインドネシア政府との和平交渉を仲介した。

 当事者の主張にじっくり耳を傾ける一方、時を見計らって妥協案を示し、受け入れを迫る。長年の経験で培われた柔軟で豪胆な仲介術が発揮され、見事な成功をおさめた。

 この時、アハティサーリ氏はすでに大統領を退き、NGOの仲間とともに交渉を仲立ちした。さらに欧州連合に話を持ち込み、武装解除や元兵士の社会復帰など、和平を定着させる作業でも国際支援の仕組みを編み出した。

 アチェ紛争では日本政府もかつて和平仲介を試みたが、うまくいかなかった。アジアではスリランカ、フィリピンのミンダナオなど地域紛争は今もなくならない。アハティサーリ氏の業績から学ぶことは少なくない。

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