ラビ・バトラ博士へのインタビュー

SI誌1992年6月号より

「資本主義の凋落」

聞き手:ベツィー・ホィットフィル

ラビ・バトラ博士(Dr Ravi Batra)はパンジャブ大学で文学の学士号を取り、インドのデリー経済学院で文学修士号、アメリカの南イリノイ大学で経済学において博士号を取得した。彼は同大学およびカナダの西オンタリオ大学で教えた後、アメリカの南メソジスト大学で経済学教授となり、そこで3年間にわたり学部長を務めた。
 1978年に彼は『資本主義と共産主義の凋落』を著し、2000年までに二つの体制が共に終局を迎えると予測した。1983年にバトラ博士は、ニューヨーク・タイムズのベストセラーに取り上げられた『1990年の大恐慌』を著し、株式市場の崩壊と「重大危機とも言える規模の」不況が10年間は続くであろうことを予測した。
 バトラ博士の予測は、経済における周期の歴史的研究と、彼の先生であるインド人哲学者P.R.サルカルの提唱する社会的周期の法則とに基づいている。ベツィー・ホィットフィル(Betsy Whitfill)はシェア・インターナショナル誌記者として、博士にインタビューを行った。

 社会的周期の法則によると、どのような社会でも心的傾向の3つのタイプ、つまり3つの社会階級に順に支配が移って行く。まず最初に戦士タイプ(恐れを知らず、訓練ができていて、冒険好き)、次に知的タイプ(この世離れして、理論好き)、最後に所有欲タイプ(金や金で買うことのできるものに価値を認める)が続く。最終的には所有欲タイプが超物質主義を作り出し、それに伴って、犯罪や人間の堕落、富める者と貧しい者との分極化が生じる。他の社会階級がそれ以上我慢できなくなって、自分たちのリーダーである所有欲タイプの支配を倒して、戦士の心的傾向を持った人々が支配層に戻って来て、こうして周期が続く。
 西洋を支配している、アメリカ合衆国の所有欲タイプの傾向は滅びようとしており、「戦士階級の民主主義」がこれに取って代わるだろう、とバトラは言う。ロシアとCISにおいてはロシア的な戦士の時代は、おおかた終わろうとしていて、「知的階級の民主主義」がそれに取って代わるだろう。日本の所有欲時代は上昇しつつあるが、60年にわたる危機の最初の段階に直面し、それは合衆国の1929年の大恐慌にも匹敵し、それ以上に広範囲に影響を及ぼすものとなるだろう。日本経済は西洋経済と非常に緊密な関係にあり、世界中に貸し付けている借款の総額は巨大であるため、この危機は世界経済に深刻な影響を与えるものとバトラ博士は見ている。


SI:あなたが世界の株式市場の崩壊と世界規模の不況を予測し、さらに2000年までに資本主義が終わると予測している根拠は何ですか?

RB:わたしは予知能力者ではありません。わたしは科学者でして、資本主義の歴史を研究してみれば、特定の変化を伴う周期が存在することが明らかとなり、その周期によると合衆国の南北戦争に続く20年間を除けば、インフレ率や資金の成長、行政の規制はいずれも30年毎に頂点に達しており、その後、景気後退が起こっています。この景気後退が深いものでなければ、その20年後に続く10年間には、ほんの少数の人々の手に富が極度に集中するため不況が起こります。60年ほど前の1920年代後半アメリカは大恐慌を経験しましたが、それに先駆けて富裕な階級が異常なほど興奮した経済的拡大の時期があり、その間に裕福な者と貧しい者との差はますます大きくなって行きました。異常に興奮した経済的拡大は1980年代になって再び訪れましたが、今度は大きな負債をも抱え込んだものとなりました。そしてわたしたちの目には裕福な者と貧しい者との差は明らかです。バブルがまさに弾けようとしており、恐らくこれは1992年に、そして恐らくは日本に始まる株式市場の崩壊が起こることでしょう。1990年の7月に景気後退の兆しが見え始めましたが、歴史上ではこれは10年間にわたる1990年の不況として知られるでしょう。ペルシャ湾岸戦争によって延期されることがあり得たかも知れませんが、その結果、資本主義体系は滅び、社会改革によって所有欲の時代は終わりを告げるでしょう。

SI:あなたは、優先すべき事柄の再編成が行われるだろうと述べていますね。

RB:その通りです。どの社会においても何らかの不公平が存在する時、下からの持ち上げによる大変動があります。人間の生存状態には3つの局面、つまり肉体的、知的、霊的な局面があります。不公平は神の計らいによる下からの大変動を生み出すのであり、それはわたしたちに教訓を与えて、わたしたちが自然から課せられた限界を越えてはならないことを教えるためだとわたしは思います。もしそれを越えれば罰が待っているので、わたしたちは教訓を学び取り、こうして進化していくのです。このような進化が存在するために、一つの新しい制度が生まれた時、それは常に以前のものより優れていました。資本主義にはそれ自体欠陥がありますが、工業生産機械を生み出し、過去の搾取に基づく多くの体制よりは優れたものでした。しかし現在では金が経済、政治、社会を支配するようになって、資本主義そのものが搾取的になりました。わたしたちのまわりには、超物質主義、麻薬社会、極端な利己主義や貪欲、犯罪といったものがあります。

進化の次の段階として、わたしとわたしの先生であるP.R.サルカルが、進歩的活用理論(Progressive Utilization Theory)を省略してPROUTと呼ぶものがあります。これはそれによって人間が、歴史上初めて、均衡の取れた生活―生命の3つの局面の均衡を保った―を大規模に送ることのできる制度となるでしょう。その結果、現在わたしたちが用いている多くの機械装置が時代遅れになってしまうような大きないくつかの科学的突破口が開かれ、高度な惑星間旅行に拍車をかけるでしょう。いま人々が科学に興味を持っているのは金が儲かるからです。しかし、アインシュタインやニュートンは発明をするのに金を必要としませんでした。超物質主義を信奉している時のアイデアはそれほど優れたものではありません。
未来の制度はずっと優れたものであり、特にそれは新しい「戦士の時代」の幕開けとなるためにそうなるでしょう。どの時代にも上昇期と下降期があります。現在の所有欲タイプの時代は、ケインズ経済学が古典経済学に取って代わった1930年代末まで上昇し、それから実業階級を支持する考え方が現れ始めました。今やこの時代が滅びようとするに従って、実業階級に対する反発がたくさん起こっています。現代の生活は惨めです。これは大多数の人々が生活するためにだけ働かねばならない一方、経営者や政府高官たちが手盛りで給料を上げるというこの時代が終わる徴候です。これは、この体制が途方もなく腐敗したものであることを示しています。しかし間もなく戦士タイプの民主主義が現れ、訓練を積んだ指導者たちが犯罪、麻薬、過剰な物質主義を社会から駆逐するのをわたしたちは目にするでしょう。

SI:さまざまイデオロギー的敵対意識についてはどう思われますか?

RB:新しい大きな宗教的感情が台頭するでしょう。これは500年ごとに起こり、前段階のシステムの腐敗を根絶するものです。心の平安のため、そして人間が自然を制御するまでになるため、例えば瞑想などが行われるでしょう。それは売り物ではありません。

SI:アメリカ合衆国は今でも間違った方向に進んでいますか?経済的破局は回避できないのでしょうか?

RB:ええ、そうです。それは富の過剰なまでの集中があるためです。政治についてわたしたちが耳にするのは資産売却税の削減ばかりです。大統領候補たちを見るなら、その体制が消滅に向かっているのが分かるでしょう。この国でも、また前共産主義諸国でも当然ながら、いま人々はどうして良いか分からなくなっています。ゴルバチョフ氏は共産主義体制を崩壊させましたが、それは極少数のものの手に権力が極度に集中されていたために既に滅びつつあったのです。合衆国と同様、利己的な考え方は破産することが人々には分かってきています。新時代のための中心的考え方が現れ出て、新時代が始まるでしょう。

SI:ロシアに資本主義を輸出しようという西洋世界の努力は間違っていますか?

RB:ある程度はそうだと言えます。利益を上げている国営企業の独占体制をまず解体することによって人々を支援するということをせずに、彼らは自由価格にするのを急いでいます。公正で自由な競争がない限り、自由価格体系は無理です。他の誰もが高い値段を払って、あるいは払えずにいる時に、国営独占企業は単独、利益を上げています。

SI:国家間で資源を分かち合う計画についてはどうでしょうか?

RB:理想的には良いことでしょう。しかし、それぞれの国家が自国の資源を利用して、独立した生計を立てられるようにする方がたぶん良いでしょう。わたしたちはこれまで分かち合いを行ってみましたが、国々は外部に頼るようになってしまいました。

SI:どのような貿易政策が良いと考えられますか?

RB:歴史的に見て、アメリカは、英国、フランス、ドイツや日本ほど貿易に頼ってきませんでした。近年になってアメリカは、この国際貿易市場の一部分を占めるようになり、その結果、わたしたちの生活水準は下がり続けています。わたしの観点では、競争に基づく保護貿易主義が一番良いと思います。アメリカの産業は外国の競争勢力から保護されるべきですが、国内では中小企業が大企業に取って代わるというような、今まで以上の競争が必要です。

SI:あなたは、金銭欲が、未知の領域への冒険や美の探求、精妙なるものの追究に取って代わられるだろうと述べられていますが、これはどういう意味でしょうか?

RB:戦士は冒険を好みます。山があるから登ろうとするのであって、金銭のためではありません。戦士が権力を握る時には、西洋においては前回1460年代に起こったように、必ず冒険それ自体の追求が行動の基本となります。そうして、スペインの王女はコロンブスの旅行に資金援助をし、彼は全く新しい世界を開拓したのです。精妙なるものの追究とは、それ自体を目的とした知的生活、芸術、音楽をいいます。

SI:精神的な満足についてはどうですか?

RB:宗教は、現在では完璧に営利事業となっています。説教師たちが自分たちに寄付する人々に対し、神からの金銭的見返りを説いているのを見るのは興味深いことです。説教師たちがそんなに神に近いのなら、彼ら自身が神からお金を与えられるはずです。滑稽な話です。

SI:あなたが予見している黄金時代のために、何が世界を取りまとめるものとなるでしょうか?

RB:PROUTです。これは、人の生の物質的、知的、精神的な側面について、バランスを保って教えるでしょう。そして金が政治を支配することがなくなる時、指導者たちは諸国民を統合するでしょう。世界中にPROUTの核になるグループが約150あります。PROUTの指導者であるP.R.サルカルは昨年亡くなりましたが、彼はその考え方のため投獄されました。しかしその運動は60ヵ国に及んでいます。時が熟すれば、それは前面に出て来るでしょう。自然の摂理と人の行動が時期を決定するでしょう。それまではどんな努力も無駄になります。

SI:PROUTの基本的信条は何ですか?

RB:それには3つあります。1つは経済的民主主義です。大工場では経営権の過半数を従業員たちが持つべきです。また、従業員たちが取締役の過半数を占めるべきです。これによって民主主義と平等原理が育まれます。生産品の減産が必要な時には、労働者を解雇するのではなく、労働時間を短縮することができるので失業率は低くなり、それが体制に素早い回復の余裕を与えることにもなるでしょう。失業補償がなくなるので、政府の役所仕事は小さくなるでしょう。富の集中が極端にある時にのみ、大きな政府が必要となるのです。国会議員を見てご覧なさい。彼らは金持から金を受け取っています。しかし選挙になると貧者にも応えるようになり、そのために金を使います。金持ちが税金を払わないのは、その体制をコントロールしているからです。政治に関してPROUTは、正直な人でも政府を運営していけるようにすべきであると考えています。選挙の手続きは大変面倒なもので、高潔な人ならこれに携わりたいとは思わないでしょう。正直な人が選挙に出られることを保障する対策をし、政府が腐敗しないよう彼らが監視するでしょう。これは政治から金を取り除かねばならないということです。

 宗教の領域においては、PROUTは、すべての人間は、限りなきもの―苦しみと悲しみのない、限りない幸福―を求めてやまないと考えます。なぜでしょう。それは人間という存在が、限りなきものを精神的に必要としているからです。しかし限りなきものを限りあるもの、つまり物質的なものによって叶えることは決してできません。限りなきものを見いだすためには、人間は無限存在を追究せねばなりません、それが宇宙的存在です。人間は自分でそれをしなければなりません。だから将来、人々が物質は限りなき幸せの追求を満足させることはできないと知った時、人々は自動的に無限なるものに向かい、今のように互いに争うことはなくなるでしょう。有限を追求する時、わたしは10%取るので、あなたも10%取りなさいと言います。しかし無限を追求するならば、誰もが100%取ることができます。

 私のアイデアは非常に論争を引き起こしていて、その中に何らの非論理的な点も見いだされないにもかかわらず、お金のある人々や狭い考え方の人々はこれに反対します。わたしがこれらのアイデアを広めようとして大変な困難に遭い、まず最初に自分の著書を出版しなければなりませんでした。混沌がこの国を訪れる時、わたしの草の根運動SAD(Stop Another Depression,「これから来る不況を食い止めよう」)は準備できているでしょう。


The great depression of 1990;Simon and Schuster 1983。
『日本訳:1990年の大恐慌、佐藤隆三訳、1987年 第一刷、勁草書房』
The Downfall of Capitalism;McMillan Press,second edition Venus Books 1990.Available through Taylor Publishing,USA.
問い合わせ:SAD,PO Box 741806 Dallas,Texas 75374 USA 214/699‐3838.
 
 
 
国際月刊誌 『シェア・インターナショナル』 (SHARE INTERNATIONAL)へ戻る


シェア・インターナショナル誌 最新号: 2006年4月号の記事より

過去シェア・インターナショナル誌に掲載された方々のインタビュー記事の一例

↑メインページへ