ジャイアンは慰められると傷つく。「配慮」でさえ要らない。こういうジャイアンの心理を理解する一つの方法は「尊厳」を考えることだ。
「尊厳死」の問題を想像すれば分かると思うが、「尊厳」が問題になる場面では、表面的な優しさや同情などが無意味になるような「真剣」な場面だ。そこでは本人の自己決定権、「自分で自分の人生を決められる」 ことが最大限に大事に、尊重される。これこそがジャイアンが求めているものだ。
多数派に理解できるように書けば、「年中全ての場合に、尊厳死のような厳密な自己決定権を真剣に問題にし続けている」という表現になるだろう。
だからジャイアンへの最大の配慮は、「一切ジャイアンのせいにしないで相手が自分の責任で接する」という、「表面的には全く配慮しない」ことになる。
例えば引きこもっているジャイアンが居たとして、「あなたの引きこもりを解消するために出かけよう」では余計に落ち込ませるだけだ。相手が、「自分は出かけたいがもしもあなたも行きたいなら一緒に行こう」というのが一番うれしい。
私はこの接し方と共通する場面を二つ知っている。
一つは思春期を迎え自立していく子供を持った親の立場、もう一つはAddictionの治療スタッフの立場だ。いずれも相手の「自立」「自尊」を尊重し、そのために表面的で薄っぺらな優しさや、自己満足の善意が全く無効になる、人間対人間のギリギリの真剣さが要求される場所である。
かつて私は最初の大学で図書館にこもり、「利他」とは何かを考え続けたことがある。「利他は自分の自己満足でない」とすれば、結局最後は「相手のことを考えないで自分が自分本位に自分の好きなように接する」ということが「利他」の最低条件ということになる。
相手が別の人間として根本的に正確には知りえないことを認め、「決め付けない」という形で尊重することが、厳密な意味で相手の人格を大事にすることになるのだ。
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コメント
コメント一覧
これはものすごく分かります。
あなたの為にやってあげている...
なにかあった場合はあなたの為にやってあげたのに...
そういうのはツライし、大きな負担になります。
同情されると惨めになってしまうのです。
>「自分は出かけたいがもしもあなたも行きたいなら一緒に行こう」
これだと重くないし、自分の意見がはっきり言えます。
私の為に出かけるのであれば断ったらいけないようなプレッシャーもあるのです。
あなたのためにコンサート行ってやった
と言われるのが大嫌いです。
そうではなくて
親が行きたいと思うから行った
という態度を取ってもらいたい
大変ね
と言われても
だってそういう仕事だから当たり前
と思う
機嫌が悪いと
この位で私が大変なんてナメてるのか?
と思う
かわいそう
と言われれば
私はそうは思わない
と言う。
かわいげないですねぇ
下手な慰め、同情は本当にいらないです。
基本的に猫科なので
こちらが「ごろにゃん」という態度をとった時のみ
よしよししてくれればお散歩等犬のような
面倒の見方はしなくてよいです。
彼は離婚してくれ、と言っていた、当初。でも今は新居を購入しようとしていて、社内ローンの審査などを積極的にやっている。何が彼の本音なのか、どうしたいのか、まず洗い出すべきなのか。
私は私で、「私は私の人生を歩きたいから離婚しましょう」で接するべきなのか。「子どもの為に、頑張ろう」では、ひずみが生じるのだろうか。
あるいは、ドライに「子どもの養育の為に、経済的に安定したいので、とりあえず婚姻続けてください」という理由が一番なのか。別れても特に経済的に問題は無いので、形式的な理由なのですが。
あなたのために、云々、という台詞がこちらから出てしまうと、ジャイアン夫はすごく拒否反応することは、経験上、わかっています。
お互いに利己的理由を提示し、うまく利害が一致するところだけ、すり合わせていくのがベスト、って気がしますね。なるほど。
結婚したら
親のコネ使って○○県議員の名前使って○○県でコンサート開かせてあげる
と言った人がいましたがお断りしました(まだ手もつないでないのに、そんなこという相手もどうかしてるよ。)
そんな為に結婚はしたくない
相手には自分の仕事を頑張ってもらいたい
私は私で頑張る
相手の人生の尊重といえば聞えがいいが
ようは相手に優位に立たれたくないだけだと思う。
自然に「あなたの為に!」って思って行動しそうだ!
いや、行動してた!
でも、そう言う気持ちは重たいのに、結果は自分の思う通りになって欲しいってのは正直言って滅茶苦茶自己中心ですよね。「あなたの自由意志で私に尽くしなさい」って聞こえます。あ、尽くしてもらう必要もないのか!「あなたの自由意志が私の希望に一致するなら一緒に居ても良い」なのかな?
ところでちょっと話が逸れますが、ジャイアンは「誰それの為に」って事自体がダメだったりしますか?元妻は「子供の為にはこう」って私の意見に時々ですが凄く不満そうでしたので…
>「利他は自分の自己満足でない」とすれば、結局最後は「相手のことを考えないで自分が自分本位に自分の好きなように接する」ということが「利他」の最低条件ということになる。
何のかんの言って、ミーティング仲間は、これ出来てると思った・・・(毎回毎回、「私たちはほかの人に対して無力であり、思い通りに生きていけなくなっていたことを認めた」というハンドブックを音読しているせいかも知れませんが・・・)
子供の引きこもりで悩んでいる親御さん、アデイクションにはまっている人、色々いますが、みそっかすのジャイアンの
私にも、余計な忠告をしてくる人は皆無ですね。”表面的で薄っぺらな優しさや、自己満足の善意”は無いです。だから行っちゃうのかなぁ。(最近お休みしてますが。)
いまひとつ表現できなかったものが、また1つ表にでてた、という感じです。
どんどんと核心に近づいていく感じでもあります。
>「年中全ての場合に、尊厳死のような厳密な自己決定権を真剣に問題にし続けている」という表現になるだろう。
・・・・確かにこのような「核」からの思考を持っていて、
がしかし、そうだとしたら自分のしていること(考え方も含めて)が、いかにしんどいものか!!(笑)
これほどまでに渇望するにはするなりのワケがあって、それが脳の構造か育った環境によって、得られなかったがための欲求なのか(その両方も)。
ひとつ前の「丸投げ」でもそうですが、それを「依頼」に変化させるプロセスにおいても、この部分は顔を覗かせていると思います。
当面の目標=現状の変化を達成するには、「尊厳」について
1.こだわって得られる利益・損失
2.ほどほどですませたことで得られる利益・損失
を、自己に介入していく方法で対処していくのがいい、というか、そうしないと目標には程遠い・・・ですね。
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