市場のパニックにあわてた当局が、切羽詰まって新対策を決め、またパニックが起きては次の策を検討する。その繰り返しが止まらない。
難航の末、ようやく成立した米国の金融安定化法だったが、不安の解消に向かうどころかその後も世界の金融は激震が続いている。危機はむしろ、未知の局面に近づいているかのようでもある。
警戒を強めた米欧など主要国の中央銀行が同時利下げを実施した。各国が協調して危機に対応する覚悟があることをアピールし、市場で拡大を続ける不安心理に歯止めをかけようと狙ったものだった。
協調利下げ自体、望ましい対策だったといえるが、流れを変えるには力が足りなかったようだ。主要国の協調といっても、「利下げ」という伝統的な手法にとどまっているためだろう。市場はなお神経質な動きを続けている。
協調利下げに先立ち、異例の公的資金注入を決めた英国のブラウン首相は、「もはや従来型の思考や時代遅れの教義にこだわっている時ではなく、問題の核心にメスを入れる革新的な(政府)介入の時だ」と述べた。まさにその通りである。
今の最大の問題は、金融の大前提となる「信用」がほぼ消滅してしまったところにある。焦げ付きを極端に恐れるあまり、誰も資金を出さなくなった。マネーという血流が詰まり、実体経済の活動を脅かし始めている。
従来型の発想に基づく対策を、市場からさんざん催促された末に、しかも小出しで実行するというのでは到底、信用を回復させることなどできない。これまでの思考にとらわれない革新的なアプローチが求められている。
しかも、相当なスピードで動かなければ、市場に対抗できない。米国のポールソン財務長官が、公的資金注入に前向きな姿勢を見せたが、可能性に言及するだけでなく、素早く実行に移すことが必要だ。
市場の関心がかつてないほど集まる中、先進7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)が開かれる。新思考に立った画期的な協調の時だ。各国がそれぞれの課題を解決することは当然だが、危機がグローバルな様相を強めている以上、従来の枠を超えたグローバルな政策対応が重要だ。
例えば一国での危機対応が困難になり、放置すれば国際的な金融システムに重大な支障が起きる恐れが生じたら、どうするのか。国外の金融救済に参加することは、国内の公的資金問題よりはるかに難しいが、金融破綻(はたん)の影響が国境を超えて波及する以上、グローバルなシステムを守るのは主要国の責務である。創造力と勇気が試される。
未曽有の危機は、新たな思考と協調体制でしか乗り越えられない。
毎日新聞 2008年10月10日 東京朝刊