9月下旬から10月初旬まで、金融危機に揺れるニューヨークとワシントンに滞在した。ちょうど、経営不振に陥っていた金融機関の接収・譲渡、7千億ドルの政府資金投入を含む金融救済法の当初案の否決、株価の暴落、金融市場の機能まひなど、米国の金融システムが大きく変転している時期だった。
エコノミストや当局関係者の多くが、徒労感を強くにじませていた。金融機関の脆弱(ぜいじゃく)性に対する相互不信の高まり、連銀の大量の流動性供給にもかかわらずしつこく残る信用収縮圧力、公的資金投入に対する国民の強い批判など、さまざまな手立てを迅速に講じてきたにもかかわらず、期待したような事態の改善がみられないことに対する疲労感、不安感を、彼らとの議論の中で強く感じた。
しかし、バブル崩壊後の日本の金融危機を経験した人間からみると、米国人の感覚はまだ甘い。
皆の目が金融市場にくぎ付けにされている間も、経済は着実に悪化している。住宅市場の縮小、住宅価格の下落は続いており、下げ止まるとしても、それはまだ先の話だ。雇用者数は9カ月連続で減少し、個人消費も冷え込みが顕著だ。家計の過大債務の削減が加速すれば、米国経済はさらに悪化するだろう。頼みの輸出にも、世界経済減速の影響が及びつつある。
そこに信用収縮の悪影響が加われば、経済はさらに悪化するだろう。そして、景気後退は新たな不良債権を生み、金融システムは一段と脆弱化してゆく。つまり10年前の日本で起きたような金融危機と経済危機の悪循環が深まる可能性がある。
米国経済の低迷は、深く長いものになるだろう。それは日本経済にとっても、停滞が予想以上に長引くことを意味する。(山人)