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伊東 乾の「常識の源流探訪」

日本にノーベル賞が来た理由

幻の物理学賞と坂田昌一・戸塚洋二の死

 益川さんが「自分はちっともうれしくない」と言われますが、その背後には、今日の核子物理学の主要なデザインを構想し、小柴―戸塚のニュートリノ振動も予言しながら、やはりノーベル賞を受けることなく40年前に亡くなった坂田先生以来の蓄積が存在しているのです。

 科学は決して一人の力でできるものでなく、多くの人の協力で成立するものです。と同時に、科学は多くの人の才能を伸ばすことで成立し、ちょっとでも出すぎた杭があると叩きつぶすことに汲々とする日本の風土は、クリエイティヴなサイエンスを育てるのに、極めて不向きです。ノーベル賞が出た、というと「母校」や「ゆかりの大学」がお祭りをしたり、後追いで「文化勲章」など急ごしらえで出すことを相談しているらしいですが、なぜ人々は日本から頭脳流出せざるを得なかったのか、そういう観点はノーベル賞お祭り報道の中で全く顔を出しません(このことは現役の東京大学教員としても、声を大にして強調したいと思います)。

日本が真に自覚すべきオリジナリティ=コア・コンピタンスの重要

 歴年のノーベル物理学賞受賞業績を見ると、様々な国籍の科学者が貢献していますが、「パリティ非保存」の楊・李+呉で、中国の科学者が西欧中心の科学の価値観に決定的にオリジナルな貢献をしたのと並んで、「ニュートリノ振動」の坂田+小柴+戸塚+須田は、日本の素粒子物理学の決定的なオリジナリティを内外に示す、本当に大切な成果です。こうしたオリジナリティを誇れる非欧米の国が、日本と中国のほか、この地球上には存在しません。

 アジア、アフリカ、ラテンアメリカのどの国でも、理論と実験の双方で、その国の中でサイエンスを実現したサイエンスでノーベル賞の承認を得ている国は存在していません。途上国出身の大科学者の活躍の舞台は主に米国、次いで欧州なのです。今年日本人と日系人(この違いが決定的なんですが!!!) にこれだけ一挙にノーベル賞が出たことには、一定以上の意味が(結果的にであれ)明確に存在します。

 日本の科学技術水準がその品位を本当に認められ、一目も二目も置かれるのは、こうした確かな足元があってのことなのです。

 本当に日本が誇るべきことは何か? そして、世界でモノが分かっているひとたちは全員知っている事実は何なのか? それは、今年のノーベル賞の表層だけでなく、その背後で結局、ノーベル財団が「授賞すること=顕彰することが出来なかった」ニュートリノ振動という、完全に日本産の大業績の、ノーベル授賞業績表からの「喪失」にたいする配慮と思います。

 次回記すように、ビジネス上でも「基礎科学はよく分からない」で済まされる時代ではありません。

 科学技術で立国するしかない日本の、他の追随を圧倒的に寄せ付けない、決定的な力の根拠がどこにあるか。

 これを、とりわけビジネスマンを中心に、日本国内の多くの皆さんに知っていただきたいと思います。それは次回の、知材をめぐる日本の「構造的やまい」を理解するうえで、決定的な前提ともなるものです。オリジナリティを知材とマネジメントの言葉に翻案すれば「コアコンピタンス」となります。ちなみに僕自身、ノーベル賞受賞者はいろいろ存じ上げていますが、自分自身はノーベル賞に科目のある専門に関わってはいません。でも、自分のオリジナルの仕事をきっちり立ち上げる基本は、まったく同様に押えています。このコラムでビューの伸びた「セックスと脳」の測定なども含め、すべて、田中耕一さんの居られる島津製作所を初め、国内の企業・研究所との協力で、技術の根の根から純日本製のテクノロジー&サイエンスだけで確定して、決して誰からも追随者と呼ばれない固有の仕事をきっちり囲い込むようにしています。

 そうでないものは「フォロアー」二番煎じとして、決して価値は認められません。学問や芸術の分野でのフォロアーは、ちょうど普通のビジネスで東南アジアなどで模造されたパチモンのコピー商品と、大して変わらない扱いしか受けられないのが普通です。

 ちなみに皆さんは、今年の自然系ノーベル3賞での「欧州系米国人」の数の少なさにお気づきでしょうか? スウェーデン・ノルウェーが胴元の「科学の最高権威」承認をめぐるゲームには、経済学賞や平和賞と同様、様々な水面下のやり取りが存在します。

 そうした駆け引きと、サイエンスの成果は独立で、今回光の当てられた素晴らしい物理学の大業績はすべて無傷intactなものです。

 酸いも甘いも、裏も表もすべてさておいたうえで、小林誠博士、益川敏英博士、そして南部陽一郎博士のノーベル物理学賞受賞を、心からお祝いしたいと思います。

(つづく)

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このコラムについて

伊東 乾の「常識の源流探訪」

私たちが常識として受け入れていること。その常識はなぜ生まれたのか、生まれる必然があったのかを、ほとんどの人は考えたことがないに違いない。しかし、そのルーツには意外な真実が隠れていることが多い。著名な音楽家として、また東京大学の助教授として世界中に知己の多い伊東乾氏が、その人脈によって得られた価値ある情報を基に、常識の源流を解き明かす。

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著者プロフィール

伊東 乾(いとう・けん)

伊東 乾

1965年生まれ。東京大学大学院物理学科博士課程中退、同総合文化研究科博士課程修了。松村禎三、レナード・バーンスタイン、ピエール・ブーレーズらに学ぶ。2000年より東京大学大学院情報学環助教授(作曲=指揮・情報詩学研究室)、2007年より同准教授、東京藝術大学講師。基礎研究と演奏創作、教育を横断するプロジェクトを推進。『さよなら、サイレント・ネイビー 地下鉄に乗った同級生』(集英社)でオウムのサリン散布実行犯豊田亨の入信や死刑求刑にいたる過程を克明に描き、第4回開高健ノンフィクション賞受賞。メディアの観点から科学技術政策や教育、倫理の問題にも深い関心を寄せる。他の著書に『表象のディスクール』(東大出版会)『知識・構造化ミッション』(日経BP)など。

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