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伊東 乾の「常識の源流探訪」

日本にノーベル賞が来た理由

幻の物理学賞と坂田昌一・戸塚洋二の死

「対称性の破れ」と中国人女性物理学者のノーベル賞排除

 1900〜20年代、20世紀の新しい物理学(主に相対論・量子論)が進展した時、多くの物理学者は未知の領域を探索するのに数学的な「対称性」をヒントにしました。ところが1950年代のシカゴで、中国出身の2人の若い物理学者、楊振寧(1922-)と李政道(1926-)は、ベータ崩壊の一部で自然法則の対称性が破れていること(「パリティ非保存」)に気づきます。私たちの右手と左手は「同じ形」をしていますが、実は「鏡像対称」になっています。普通の自然法則は鏡に映すと鏡像対称(パリティ保存)ですが、「弱い相互作用」のごく一部で、「右手を鏡に映したら、その像も右手だった」という、非常に不思議な挙動を示すことが理論的に予測されたのです。

 この仮説は直ちに、やはり中国出身の女性物理学者、コロンビア大学のマダム・ウー(呉健雄Chien-Shiung Wu 1912-97)によって実験的に検証され(1956年)て物理学会に大センセーションを呼び起こし、楊と李の2人は翌1957年に中国人として初めて、ノーベル物理学賞を受賞しました。当時35歳と31歳、シカゴで同僚だった南部先生が37歳の時です。

 この時、初めての中国人への授賞に際して、普段は「実験に篤く、理論に冷たい」ノーベル賞が、理論家の楊と李に受賞させ、実験家としてこの自然現象を決定的に検証した、当時45歳だった女性の呉を排除したことは、「アジア人女性科学者への授賞は時期尚早」という白人中心主義の民族差別、女性差別として、国際的に大変な非難が巻き起こりました。

 こうした批判を受けるたびに、ノーベル財団、委員会は、失われた権威を保つべくフォローを画策しますが結局、呉教授にノーベル賞が授与されることはありませんでした。

 後に呉教授にはイスラエルのウルフ財団が設置した第1回ウルフ賞物理学部門を受けました。これにはスウェーデンの科学権威の失墜分を、イスラエルが持っていったパワーゲームの側面があります。

小林・益川理論と「CP対称性の破れ」

 この57年、物性物理学のフィールドで「超伝導現象」を初めて記述する「BCS理論」が発表され、後に72年ノーベル賞を受けるのですが、南部さんはこの「超伝導理論」の中に「対称性が破れる」部分があることに気がつきました。なぜそうなるのか? 面白い、と思った南部さんは、熟慮の末にある「悟り」に達します。物理法則には因果性がありますが、ここでの「対称性の破れ」は「たまたま」起きた、自発的spontaneousに起きたのだ、として「なぜ?」と問うことをいったんやめて、逆にそれを出発点=原理として、そこから先の物理を構築するアイデアを提出します(1961年)。

 この「対称性の破れ」は実験的にどんどん検証されてゆきます。1964年、東京オリンピックの年にジェームズ・クローニンとヴァル・フィッチは楊・李+呉の「パリティ(P)対称性の破れ」に加えて(説明は省きますが)「パリティ(P)+電荷(C)対称性の破れ」=「CP対称性の破れ」を実験的に観測し、モスクワオリンピックが物議を醸した1980年にノーベル賞を受賞します。

 この「CP対称性の破れ」を最初に理論的に記述し、整合した説明を与えたのが、小林誠さんと益川敏英さんの「小林・益川理論」(1973)でした。クォークが6個ある、現在の標準的な素粒子理論(標準理論)の基本的土壌を整える大業績で、いつノーベル賞が出てもおかしくない、自然科学史上不朽の仕事です。

 ただ、ここで強調しておかねばならないのは、こうした「自然科学史上不朽の仕事」が、物理学にも化学にも、はたまたノーベル賞に設置されていない専門分野(環境科学、地球科学、情報科学、認知科学etc etc etc)にも、大変な数存在しているという基本的な事実です。

 賞を貰うだけが大切な研究成果ではない。まったくそんなことはありえない。

 世の中では「ノーベル賞を取った」というと、大変な騒ぎ方をする。でも、本当に大きな仕事をした人は、みんなむしろ自分の内側に向かって謙虚で、自然界の真理に最初に触れることができた、という内的に深い満足を持っているものです。亡くなった戸塚さんの最晩年は特にそうだったと思います。

 末期ガンで余命いくばくもないと自他ともに知りながら、戸塚さんは毎年ノーベル賞を待たれたと思います。でも、周りがやきもきするのと違って、ご本人は、人間が作り、人間が毎年決めるノーベル賞ごときを超えて、自分は自然法則の根幹に触れたという、揺るぎのない確信を持って、若者向けに自然科学の喜びを淡々と教えるような、充実した最晩年を送られ、静かに息を引き取られた。エジソンやコンピューターを作ったフォン・ノイマン、ニコラ・テスラなど、ノーベル賞を受けることなく、それを超えてしまった人々の列に彼は足を踏み入れたと私は思っています。大江健三郎氏はノーベル賞をもらって文化勲章を拒否しましたが、1964年ジャン=ポール・サルトルは「いかなる人間でも生きながら神格化されるには値しない」とノーベル文学賞を拒絶して、ノーベル賞を超えています。戸塚さんもまたノーベル賞を超えた。ある意味では小柴さんを超えたと言ってもよいでしょう。むしろ短慮によって賞が間に合わなかったノーベル財団が非難され、負けているのです。

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このコラムについて

伊東 乾の「常識の源流探訪」

私たちが常識として受け入れていること。その常識はなぜ生まれたのか、生まれる必然があったのかを、ほとんどの人は考えたことがないに違いない。しかし、そのルーツには意外な真実が隠れていることが多い。著名な音楽家として、また東京大学の助教授として世界中に知己の多い伊東乾氏が、その人脈によって得られた価値ある情報を基に、常識の源流を解き明かす。

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著者プロフィール

伊東 乾(いとう・けん)

伊東 乾

1965年生まれ。東京大学大学院物理学科博士課程中退、同総合文化研究科博士課程修了。松村禎三、レナード・バーンスタイン、ピエール・ブーレーズらに学ぶ。2000年より東京大学大学院情報学環助教授(作曲=指揮・情報詩学研究室)、2007年より同准教授、東京藝術大学講師。基礎研究と演奏創作、教育を横断するプロジェクトを推進。『さよなら、サイレント・ネイビー 地下鉄に乗った同級生』(集英社)でオウムのサリン散布実行犯豊田亨の入信や死刑求刑にいたる過程を克明に描き、第4回開高健ノンフィクション賞受賞。メディアの観点から科学技術政策や教育、倫理の問題にも深い関心を寄せる。他の著書に『表象のディスクール』(東大出版会)『知識・構造化ミッション』(日経BP)など。

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