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伊東 乾の「常識の源流探訪」

日本にノーベル賞が来た理由

幻の物理学賞と坂田昌一・戸塚洋二の死

 こうしたプロジェクトの言いだしっぺは小柴さんですが、本当に粉骨砕身で努力されたのは戸塚さんたち小柴研のスタッフでした。ところが、そもそも計画をし、装置を作るまでの責任者だった小柴さんにはノーベル賞が出ましたが、本当に賞を授与すべき大業績、この装置を使って得られた「ニュートリノ振動の観測」を、ノーベル財団は永遠に顕彰する機会を失ってしまったのです。

戸塚洋二さんの死/間に合わなかったノーベル賞

 この「永遠に」というのが実は非常に重要なポイントです。1987年、神岡(岐阜県神岡町)のニュートリノ観測で「仁科記念賞」を得た小柴さん、戸塚洋二さん、須田英博さんの3人のうち、ボスの小柴さんだけが現在も存命で、戸塚さんも須田さんも亡くなってしまいました。須田さんは国際学会中の突然死で、過労死という声も聞きました。ちなみに小柴研の後継者、折戸周治さんも50代で亡くなっています。

 小柴グループの主要な「武将」たちがつぎつぎに早世して、小柴さんが一番お悲しみ、と思います。しかし同時に「一将功成って万骨枯る」と手厳しく批判する人も少なくありません。というのも小柴研は体育会系の研究スタイルで、スケールの大きな優秀な人たちが、寸暇を惜しんで物理に24時間、文字通り献身して、ニコニコしながらウルトラハードなプロジェクトを進めていたからです。戸塚さんも豪傑で、大学院入試の前日に山岳部の仲間と呑みながら徹夜マージャンだかなんだかをして、時間を間違えて1年留年したりしたのだったと思います。私は大学院の特講か何かで1単位もらった程度のご縁しかありませんでしたが、人格はおおらかで素晴らしい物理学者でした。

 小柴研の、本当に素晴らしい業績は得られたけれど、志半ばで若くして亡くなっていったアシスタントたちを知る人は、彼らこそ本当に顕彰されるべきだと確信を持っていると思います。日本では、ノーベル賞などをもらってしまうと誰もが奉ってしまって、こうしたことが言われませんが、小柴さん以外にも、すさまじい体育会系のグループ研究を率いる科学者は存在しますし、そこでは「アカデミックハラスメント」のような言葉は出てこないし、「過労死」という言葉も聞かれないことになっています。でも、本当にそれでよいのか? 個人的には疑問を持っています。

 去年の秋のノーベル賞の季節、戸塚さんはご存命でした。もし去年「ニュートリノ振動」にノーベル賞を出していても、今年、去年の授賞業績「巨大磁気抵抗」の2人とも元気なのですから、賞を出すことが可能でした。賞の権威を本当に皆が認めるためには、当然出すべき対象の業績に漏れがあるべきではありません。「ニュートリノ振動」こそは、万人が認める大業績でした。ノーベル財団・選考委員会は、完全に読みを誤りました。

南部先生は「日本」の物理学者か?

 一方で、益川さんも「うれしい」と言った南部先生は、87歳でのご受賞ですが、以前『バカと東大は使いよう』にも書いた通り、ノーベル賞を2回もらってもおかしくない大物理学者で、30年前の1978年に文化勲章を受けています。

 南部先生はすでに渡米60年近く、米国籍を得られて40年近くになり、ノーベル財団も「USA」と報じる「日系米国人」の世界的物理学者で「日本人が」と日本の学術界が喜ぶのは、微妙に筋がずれています。元来は日本の環境に問題があって頭脳流出した物理の南部先生であり、化学の下山教授だった事実がどこかに行ってしまうからです。正直な話私も、よりよい環境があればいつでも日本を出る用意がありますが、この国では、国内問題山積のまま、海外に出て行った人に何か賞なぞが出ると、すぐに「日本が、日本人が」と騒ぐ。これには背景があります。とりわけ研究費や知材にまつわる問題は深刻で、これは次回に記すことにします。

 南部先生の主要業績は「自発的対称性の破れ」の導入と呼ばれるものですが、これは一種のアイデア、発想の根本的な転換と言ってよいもので、実証科学というより大胆な「卓見」に基づく精緻な論理の組み立てという、パイオニア的大業績です。この点で南部さんのお仕事は、湯川秀樹さんと近いところがあります。湯川さんの中心業績(「指数型ポテンシャルの中間子による強い相互作用」というアイデア)も、経済的に限界があり、いまだ大規模実験などできなかった1930年代の日本で、旧来の慣習を破る大胆な発想と細心の論理で、いわば鉛筆一本で成し遂げられた「純日本産」の業績でした。南部先生は湯川さんがノーベル賞を受賞した直後に頭脳流出して、欧米で「鉛筆一本」、財力などではなく純粋に知的資産100%で、60年にわたって、理論物理の第一線を牽引してこられたのです。

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このコラムについて

伊東 乾の「常識の源流探訪」

私たちが常識として受け入れていること。その常識はなぜ生まれたのか、生まれる必然があったのかを、ほとんどの人は考えたことがないに違いない。しかし、そのルーツには意外な真実が隠れていることが多い。著名な音楽家として、また東京大学の助教授として世界中に知己の多い伊東乾氏が、その人脈によって得られた価値ある情報を基に、常識の源流を解き明かす。

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著者プロフィール

伊東 乾(いとう・けん)

伊東 乾

1965年生まれ。東京大学大学院物理学科博士課程中退、同総合文化研究科博士課程修了。松村禎三、レナード・バーンスタイン、ピエール・ブーレーズらに学ぶ。2000年より東京大学大学院情報学環助教授(作曲=指揮・情報詩学研究室)、2007年より同准教授、東京藝術大学講師。基礎研究と演奏創作、教育を横断するプロジェクトを推進。『さよなら、サイレント・ネイビー 地下鉄に乗った同級生』(集英社)でオウムのサリン散布実行犯豊田亨の入信や死刑求刑にいたる過程を克明に描き、第4回開高健ノンフィクション賞受賞。メディアの観点から科学技術政策や教育、倫理の問題にも深い関心を寄せる。他の著書に『表象のディスクール』(東大出版会)『知識・構造化ミッション』(日経BP)など。

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