「世界同時株安」を背景に、日米の選挙と金融・財政政策を情報の観点から見る、というのが、ここ数週間のこのコラムの通しテーマなわけですが、そこに「ノーベル賞」が飛び込んできました。物理学賞の南部陽一郎先生、小林誠・益川敏英の両教授、そして1日遅れて化学賞の下村脩教授と、日本の報道は「日本人」が4人受賞と大はしゃぎですが、ノーベル財団の公式ホームページでは、米国籍の南部先生は米国人としています。同じく化学賞も、ノーベル財団のホームページで下村さんは「日本国籍」となっていますが、所属と学術業績についてはUSAとなっています。
「暗い話題の中に明るいニュース」「日本人の快挙!」などと見出しが躍りますが、「日本人」として本当に喜ぶべきポイントは、実は報道されている表層とはおよそかけ離れたところにあります。
さらに「ノーベル賞受賞」の背景や延長には「研究予算獲得」にまつわる生臭い話や、知材ビジネスに関する構造的大問題なども存在している。そこで2回ほど、普段は描かれざるサイエンス&テクノロジーの背景を書いてみたいと思います。ちょうど、休職中外交官の畏友佐藤優が、役所の内部から問題を明らかにして通気をしたように、元崩れ物理学徒である音楽家の私は関連の問題に(よい意味で、予算配分などの)利害が一切ありません。この国のR&D(リサーチ&ディベロップメント・研究開発)が少しでもよくなってほしいという思いを強く持っています。
10月7日火曜日の夜、私は港区白金の日経BP本社でルワンダ国立大学のルワカバンバ総長との対談を行っていました(選挙明けにオンエアします)。そこにパートナーから「ノーベル物理学賞、日本人3人だって」と携帯電話が掛かってきます。
「素粒子物理学で3人だって」
「ふーん……じゃ、小林・益川でしょ」
「何で分かるの?」
「あと、マージャンの役のアタマじゃないけど、南部先生?」
「そうそう、どうして???」
物理の内情をご存じない方には意外な名前でも、内側を知っている人間には「素粒子…それなら小林・益川、それに南部先生以外あり得ない」と、瞬時にして分かる人選なのです。今年「日本」と来れば「素粒子」というのも、事情を知っていれば誰でも分かることでした。
益川さんのインタビューがいろいろ話題をまいていますが、とりわけ「ちっともうれしくない」「南部先生が受賞されたのは本当によかった」などと述べておられる背景は、知っている物理屋にはあまりによく分かりすぎる事情が存在しています。それにはノーベル財団の「大失策」が関係しているのです。
幻のノーベル物理学賞「ニュートリノ振動」
昨年、2007年のノーベル物理学賞はフランスのアルベルト・フェールとドイツのペーター・グリューンベルクが「巨大磁気抵抗の発見」で受賞しています。この仕事によって、私たちが日常的に使っているギガバイトサイズの磁気メモリーの開発が可能になった大業績で、物理の中で分類すれば「物性物理実験」のジャンルです(書くのも恥ずかしいですが私がかつて大学院で勉強した分野でもあります)。
1938年生まれのフェールさんと39年生まれのグリューンベルクさん、2人とも今もお元気だと思いますが、この1年の間に1人の日本人科学者が命を落としました。戸塚洋二博士(1942-2008.7.10)です。戸塚さんこそ、ノーベル賞をもらわないわけにはゆかない人でした。彼のボス、小柴昌俊氏に2002年にノーベル賞が出たのは、1998年に小柴研の後継者である戸塚さんたちが「ニュートリノ振動の観測」に成功した、20世紀最後最大の業績に対するノーベル賞授与の準備、布石と誰もが理解していました。
「ニュートリノ振動」について詳しくは記しませんが、「ニュートリノ(中性微子)」と呼ばれる微小な素粒子に質量があるか、ないかによって、私たちの住むこの宇宙全体の構造モデルの理解まで変わってくる、本質的な大問題です。
戸塚さんたちのグループは1998年、「ニュートリノに質量がある」ことを、世界で初めて示しました。これこそが物理学賞史上に永遠に残り、あらゆる教科書に記される本当の大業績にほかなりません。