政治家・梶山静六氏が亡くなり八年になる。自治、通産相や自民党幹事長など歴任し、橋本内閣で官房長官(一九九六―九七年)を務めた。政治改革論議の際は守旧派とされたものの、豪腕、名参謀として政界の中心を走り抜けた。
私が知る梶山氏は官房長官時代だ。一日二回の定例会見のほか、担当記者が囲んだ取材(記者懇と呼ぶ)で接した。「大乱世の梶山」と称されバイタリティーあふれるが、言葉遣いや視線に繊細さが感じられた。茨城なまりを交えた語り口に妙に親近感がわいた。
ある夜の記者懇。干し芋をさかなに、キンキンに冷えたビールを手にした梶山氏が山積する課題を挙げて「官邸にいると情報が入ってこないんだよな」とこぼした。私は相づちを打ちながらも「そんなことはないだろう」と思っていた。
「梶山静六 死に顔に笑みをたたえて」(講談社)を読むと、その時の政治の表裏が分かる。長年、梶山氏を取材した時事通信の記者が綿密に描いた。記者は、情報網や人間関係を張り巡らして政治をぐいぐい前進させた梶山氏を「政治をこよなく愛し、官僚がハッとするような提言を行う。戦うときは全人生をかけ全力を尽くす」と評している。
どこへ進もうとしているのかはっきりしない中央政界、財政難で萎縮(いしゅく)した話を聞くことの多い地方。梶山氏ならこの時代をどう切り開くだろう。
(メディア報道部・江草明彦)