「14歳の少女への暴行事件の被害者」と「ネットセクハラの被害者」を同じと考える意見は私は見たことあると思うんですが、いかがなものでしょう?
未熟者だし山田はいないし、ookoさんは世間に絶望して逃げてしまわれたし、私どうしましょう?私は実際セクハラの被害にあったことないんです。上司であり恋人である(あ、関係ない?すみません)山田は決してそんなことしないですし、お国にもそんな人いなかったし、あら、困ったわと大変困難な壁にぶちあたり、安寧な日々が見えない状況で固唾を呑んでいます。
PledgeCrewさん;
「重篤な被害」と「軽微な被害」といった被害の軽重による差異化という論理を持ち出すことは、その人の主観的な意図がたとえそうでないとしても、そのような苦しみを訴える人らの中に分断と対立を持ち込むことでしかあるまい。
ということは、差異化しないということですよね。「差異化しない」=「同じ」ではないのでしょうか?
麻婆豆腐、バカだからよくわかんない。tanakasabuちゃん、好きな豆腐料理を麻婆豆腐って言ってくれてありがとね。先生が発つのは火曜日よ。だからやること山積みで。。。忘れ物があったりしたらきっと慙愧に耐えないと思うから。
「PledgeCrew氏」―この人は、自分は何を書いても「比喩」で済ます人ですから。相手にしない方がいいですよ。
http://s01.megalodon.jp/2008-0822-2305-38/d.hatena.ne.jp/Kakinoki/20080725/1216972386 のコメント欄。
「とりあえず、今は彼女が首をつりたくなるほどの「自己嫌悪」に陥っていることを祈るのみ。
あっ、「首をつる」というのは、もちろん、比喩ですからね。ここでは無用でしょうが、どっかには、訳の分からんいちゃもんをつける人がいるかもしれないから。」PledgeCrew 2008/07/25 20:22
もし、書かれた人が首をつれば間接的な「殺人」でしょう。比喩とはいえ。《首をつりたくなるほどの「自己嫌悪」〜を祈るのみ》。当事者でもない第三者であるはずのPledgeCrew氏が「他者の首つりを祈る」ということは、自らの気にくわないことを書いた人には、何を書いてもいいということでしょう。そんな人に「分断と対立を持ち込むことでしかあるまい」と書かれてもです。「お前が言うな」ということ。
「ネット呪詛文」なるものは存在します。