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うなぎ/質の高さに老舗も安心2008年02月06日
「吾輩は猫である」「坊っちゃん」で一躍、文壇の寵児(ちょうじ)となった夏目漱石は1907(明治40)年、朝日新聞社の社員になった。 連載小説として紙面で「虞美人草」や「三四郎」などを発表する一方、文芸欄の編集にあたる。つまり、作家にしてサラリーマン。給料日には何を食べたのだろう。 ごちそうのひとつはうなぎだったのではなかろうか。『吾輩は猫である』の中には、苦沙弥(くしゃみ)先生が静岡から出てきた人を「(略)久し振りで東京の鰻(うなぎ)でも食っちゃあ。竹葉でも奢(おご)りましょう…」と誘う場面が出てくる。 「竹葉」とは1866年創業のうなぎ料理店、竹葉(ちくよう)亭のこと。元は京橋に近い新富町にあったが、現在、東京では木挽町本店(銀座8丁目)と銀座店(同5丁目)の2店。兄弟でのれんを守る。 7代目で弟の別府允さん(62)は銀座店を営む。妻の千鶴子さん(60)は03年に脳内出血で倒れ、左肩や足に後遺症が少し残ったが、週に2日は、びしっと着物を着こなして店に出る。「実は主人が着せてくれるんです」。仲むつまじいご夫婦だ。 千鶴子さんによると、竹葉亭のうなぎの味付けは、しょうゆとみりんだけ。ふっくらと柔らかいのは「蒸し」を利かせているからだそうだ。うなぎは天然ものの数が減り、今は養殖を使っている。とはいっても、天然の味に近くなるよう、餌を吟味したうなぎを吉田町から生きたまま取り寄せている。 「老舗(しにせ)はいつ来ていただいても同じ味でなくてはいけないと思っています。質に関しても安心して食べていただきたいですね」。質を守るには信頼が大切だと千鶴子さんは言う。 仕入れ先である吉田町の「かねやす商店」とは40年以上におよぶ信頼関係がある。かねやすの3代目、菅沢和也さん(44)によると、もともとは東京・南千住で川魚問屋を営んでいたが、質のいいうなぎを求め、静岡に移ったそうだ。鉄分の少ない南アルプスの伏流水がうなぎの身を締め、おいしくなるという。 「うなぎはさばいて見なければわからない。でも、かねやすさんはいつも安定していて安心」。千鶴子さんはやさしい笑顔を見せた。 漱石のごちそうは人と人の信頼によって守られている。 (文・写真 フリーライター 築地魚子)
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