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「記憶」が持つ普遍の力を信じて −クーパー師講演録
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サイモン・ヴィーゼンタール・センターは、ナチスドイツのユダヤ人に対するホロコーストの歴史を追究し啓蒙するために、「寛容の博物館」を運営し、歴史教育に関するイベントを世界中で催すなどの活動を続けています。
私たちは、2月17日夜、日本による戦争の史実究明を目的とする国際委員会設置を提唱している、同センター副館長・エイブラハム・クーパー師を迎え、その豊かな経験に学ぶ機会を得ました。
また、同日午後には、恒久平和議連総会において、議連とクーパー師の懇談がありました。
この総会には、「恒久平和議連」設立総会以来の50人の国会関係者(国会議員本人出席25うち与党議員11名、代理出席25)が参加。総会ではクーパー師の講演を受けて、自民、公明の議員らにより熱心な質疑応答が行われたそうです。クーパー師は質疑応答の中で、「真相究明のため、日本で活躍している国会議員が大勢いることを、アメリカの議会関係者は知らない。一度超党派でアメリカに来てはどうか」という提案を行いました。「恒久平和議連」事務局ではこの提案に関して前向きに検討中で、当面は常任幹事会を中心に昨年11月に米国上院議会にファインスタイン上院議員により提案された「日本帝国軍資料公開法案」の学習会を行うことを計画中です。
今日、皆さんと私を引き合わせたものは何なのでしょうか。共通の言葉でしょうか。いいえ、私は有能な通訳がいなければみなさんと対話を持つことはできません。共通の文化でしょうか。いいえ、私たちは共に野球を愛し、最新技術に魅せられ、同様のファッションを追いかけたりはしますが、それぞれの持つ文化の違いは、私たちの間に横たわる太平洋ほど深いものです。それでは共通の宗教でしょうか。いいえ、今日お集まり頂いたみなさんの中にユダヤ教信者の方がおられるとは思えません。
私が、今日こうしてみなさんと共にいるのは、サイモン・ウィーゼンタール・センターと寛容の博物館を代表する私が、私たちの間にあるさまざまな違いを超越したところで私たちが共有している普遍的真実があるはずだということを、信じているからです。そしてその真実こそは、私たち全員の将来にとって最も重要な鍵であると信じるからです。
■忘却のなかに破滅への道が
ユダヤの賢人は、「記憶の中に再生への可能性が秘められ、忘却の中に破滅への道が潜んでいる」と説きました。
確かに、歴史の真実を知ることは必ずしも快い体験とは限りませんし、何かを保障するものでもありません。今世紀は、ユダヤ人にとって、祖国を持つという2000年来の夢が叶った時代でした。1950年生まれの私は、同世代の何千人という若いユダヤ人と同様、聖なる地イスラエルでモーゼの伝統を学ぶという機会に恵まれました。しかし同時に、今世紀のユダヤ人の体験は、そのような輝かしい出来事以上に暗い出来事で、新しい命の息吹ではなく民族の絶滅のイメージで、希望ではなく恐怖で彩られていたと言えると思います。アウシュビッツ、トレブリンカ、マイダネックといった土地の名前、或いはヒトラー、アイヒマン、メンゲレといった人物の名前を耳にするだけで、ホロコーストの生還者は、犠牲となった600万人の愛する者達の亡霊を垣間見るのです。そしてその中には、150万人の子供達が含まれていました。私たちの世代がそれらの名前によって掻き立てられる感情は、怒りであり、不安であり、時としては叶うことのない復讐への欲求でさえあります。
そうであればこそ、本当に長い年月、自由主義諸国の政治指導者達が、ユダヤ人指導者達が、そして親や教師達が、同じアドバイスを与え続けてきたのです。…もう過去のことは忘れよう。許し忘れて、未来に向かおうと。…
たった一人を除いて誰一人、ナチスによるユダヤ人絶滅計画がやがてカンボジアやイラク・ルワンダ・そしてユーゴスラビアでの大量虐殺に繋がっていくことを、考えた人間はいませんでした。このたった一人のホロコースト生還者がいなかったなら、世界はホロコーストの悲劇を忘れていたかもしれません。しかしサイモン・ウィーゼンタールは、決して世界にホロコーストを忘れさせはしませんでした。彼は、決して次の世代の若者に憎しみを引き継ぐことをさせなかったのです。
■記憶の守り手として
今年91歳になるサイモン・ウィーゼンタールは、戦前は建築家になる勉強をしていましたが、ホロコーストで夫人と共に89人の家族を失い、自分自身は45キロまで痩せ衰えて地獄の淵から生還しました。そして彼は、記憶の守り手になったのです。1945年5月の解放の日から、ヴィーゼンタールは兵を持たない戦士として、肩書きのない外交官として、教会を持たない伝道師になりました。絶滅収容所の絶望のどん底にあって、彼は、世界がその後50年かかってやっと学ぶことができた教訓を、既に本能的に悟っていたのです。すなわち、戦争と人種偏見と反ユダヤ主義と大量殺人によって破壊されてしまった世界に、正義と理想を取り戻す唯一の方法は、罪もなく犠牲になった一人一人を決して忘れないことであり、人々が他人への思いやり・公平・寛容といった価値観を取り戻す唯一の方法は、犯罪者を公正な法の下に裁くことであるということを。
ウィーゼンタールは、殺人者の子供達にも犠牲者の子供達にも同じメッセージを伝えてきました。すなわち、集団としての責任を考えることは大切だが、新しい世代が集団的罪悪感をもつ必要はない、ということです。復讐心に根ざした行動ではなく、法の下での正義を求めなさいというメッセージです。つい先ごろストックホルムでは、スエーデン政府が、ホロコーストの歴史と向かい合う国際会議を主催し、40ヶ国の元首が参加しました。しかし、ウィーゼンタールは、それに先立つ55年間もの長い年月に渡り、無関心な世界に向かって「毎日が追悼の日でなければならず、沈黙は過去の容認である。歴史を忘れることは、次の世代の殺人者を生み出す可能性につながり、過去の犯罪の隠蔽をもたらす。」と訴え続けてきたのです。サイモン・ウィーゼンタールが、祖国オーストリアにヨーク・ハイダーという危険な政治家が登場するのを見届けるまで生き長らえたという事実には、何か正義の力が働いているように思えてなりません。確かにハイダーは、民主主義に乗っ取った正当な方法でその権力を手にいれました。また、彼は1943年当時(ユダヤ人殺戮のピーク)のヒトラーほど危険ではありませんし、1933年(ヒトラーが政権を掌握した年)、1923年(ミュンヘンで政権転覆を図ったヒトラーが国家反逆罪で逮捕された年)のヒトラーでさえないかもしれません。しかし、ウィーゼンタールは、ヒトラーが頭角を現した当時、人々が彼をまともに相手にせず無関心でいたことを、世界中に思い出させるのです。そして、人々の無関心こそが、扇動政治家には何よりも必要だったのです。ですから、今回世界が、ウィーゼンタールが訴え続けてきたメッセージに耳を傾け、沈黙を選ばなかったことに、私たちは希望を見出すことができます。欧州連合の諸国をはじめ幾つかの国々が、オーストリアで起きたこの政治的展開を断じて容認できないと、明確に伝えたからです。
■なぜ記録公開が必要か?
今回中央ヨーロッパで起きた出来事は、過去の暗い歴史の記録をなぜ私たちが全て公開しなければならないかを、改めて教えてくれます。また、ウィーゼンタールの名前を冠する私たちのセンターが、合衆国議会での「ナチ犯罪資料公開法」の通過を強力に支援したこと、その法律が上下両院で圧倒的多数の賛成を得て成立したことをどれほど誇りに感じているかも、ご理解いただけると思います。この法律によってようやく人々の目に触れることになった新しい資料は、ナチスドイツばかりでなく、それに対して当時のアメリカがどんなに不適切な政策を採っていたかという問題に関しても、さらなる洞察を提供することになるでしょう。それらの政策のあるものは、ヨーロッパユダヤ人の運命を封じてしまうという悲劇をもたらしましたし、戦後においては、夥しい数のナチ戦争犯罪人のアメリカ入国を可能にしてしまったのです。
私は、クリントン大統領がこの法律にホワイトハウスの執務室で署名する式典に招かれ参列したことを、アメリカ市民として大変誇りに感じました。ウィーゼンタール・センターは、ダイアン・ファインスタイン上院議員が提出した、アジア太平洋戦争に関する全ての資料にも同様な取り組みを求める法案をも、当然支援しています。そしてこの法案も、ホワイトハウスでの署名式典で正式な法律になるものと確信しています。
■真摯な歴史究明を
私は、今日このようにして、私たちと全く同じ目的のために努力を続けてこられた日本のみなさんと同席できますことを、本当に光栄なことだと感じております。みなさんがなさろうとしていることは、恒久平和の達成のために、大変つらい過去であっても、歴史の真実という重要な遺産を次の世代に残そうとするご努力だからです。
しかし残念なことに、1930年代・40年代の戦争犯罪への取り組みに関する限り、日本ではまだコンセンサスは出来上がっていないようです。みなさんの努力にも拘わらず、この問題に関する日本での論議は、私たちの目には往々にして、冷静で真摯な歴史究明ではなく感情的な応酬に陥ってしまっているように映ります。日本の戦争犯罪の問題は、あまり話題にならない時期が長く続いていましたが、最近になっていくつかの出来事があり、世界の関心を集めることになりました。中でも特筆すべきは、アイリス・チャン氏が書いた「レイプ・オブ・南京」という本が、多くの読者の心を捉え世界的なベストセラーになったということです。しかし日本国内では、ストックホルム会議の壇上でドイツのシュレーダー首相が過去に対する責任を改めて認め、ナチ主義の犠牲となった人々への追悼を表明しているまさに同じ時期に、国粋主義グループが、南京虐殺を否定或いはその規模を小さく見せようと試みる会議を、大阪で開催しました。またある人々は、昭和天皇の歴史的評価を高めようと、アジア諸国の何百万人の人々に訪れた"解放"が、日本の占領と支配の結果によるものだったと、歴史を美化しようとしています。右寄りでも左寄りでもない普通の日本人でさえ、加害者であった自国の歴史に向かい合わず、原爆の被害者としての意識だけを持ち続けているという意味では、間接的にこれらの歴史修正派の手助けをしていると言えるでしょう。そうであればこそ、みなさんが目指している法律の成立が何より重要なのです。みなさんのご努力は、日本の若者達が人道的価値観を育んでいく過程において大きな助けになるにちがいありません。
カリフォルニア州ロサンゼルスに本部を置く私たちのセンターは、環太平洋地域にある唯一のユダヤ人人権擁護団体です。また、世界で最も数多くの会員を有するユダヤ人団体でもあります。サイモン・ウィーゼンタール・センターと日本との繋がりは、もう15年も前にさかのぼります。私たちの最初の活動は、この国で反ユダヤ主義の書物が数多く出版された時、反ユダヤ主義が歴史的にどんな悲劇を巻き起こして来たかを日本の人々に知ってもらうことでした。私たちの次の活動は、ホロコーストの歴史或いは他のユダヤ人歴史に関して、日本のメディアで報道された誤りを正すことでした。私は、私たちのセンターが製作した展示「勇気の証言」の日本語版が、日本全国40余りの都市で100万人を越す方々にご覧頂けたことを、大変誇りに思っております。
■歴史の真実と記憶の価値を守る為の戦い
そして、私たちのセンターが日本の方々と一緒に活動していきたいと考える三つめの理由があります。それは、歴史の真実と記憶の価値を守る為の戦いです。この問題に関しては、第二次世界大戦中に日本軍によって被害を受けた人々に対する金銭的補償の要求など、それが正当な要求であるか否かはともかく、いろいろな団体がそれぞれ異なる理由から活動しています。それらの団体の中には、私たちが共感を覚える団体もありますが、私たちは決して彼らの行動をコントロールしてはおりませんし、コントロールしたいとも操りたいとも考えておりません。そしてさらに付け加えるならば、私たちは、歴史的根拠もないまま、第二次世界大戦中の日本の行動を非難したり、日本或いは日本国民、そして日米関係を傷付けようと試みるグループには、全く与するつもりはありません。私たちの目指すものは、他の全てのグループとは明確に異なるものです。サイモン・ウィーゼンタール・センターは、第二次世界大戦時の全ての資料の公開こそが、歴史の真実を究明し日本とその隣国との間の和解への基礎を築く道であると、信じています。これこそが、私たちが取り上げたい問題であり、日本そして米国両国に考えて欲しい問題なのです。
■国際歴史調査委員会の設立を
みなさんの同志としてここに立つことを、私が大変名誉に思う理由はそこにあります。なぜなら、サイモン・ウィーゼンタール・センターが日本・米国・中国・ロシアが現在所有している歴史的資料を国際歴史調査委員会に対して全て公開するよう提案している現在、みなさんの活動は、国際的な意味を持ってくるからです。私は、著名な歴史家によって構成されるそのような歴史調査委員会が、日本政府の呼びかけによって東京に設置されることを期待しております。そしてその委員会の唯一の目的は、歴史の真相究明という事業を政治から切り離すことにあります。一旦、この委員会がその事業を完成させ、その成果を公表したならば、それらは、将来の世代が過去の教訓を学ぶうえで、基本的な拠り所となることでしょう。
全ての歴史資料の公開という私たちの主張はワシントンにも向けられています。私自身ジャネット・リノ司法長官・国防省関係者と面談し、太平洋戦争関連の資料の公開を要望しました。それらの資料には、大戦終結後、非人道的な人体実験から得られたデータと交換にアメリカが日本の戦争犯罪人に与えた免責に関するものも含まれています。免責はアメリカが犯した重大な過ちでありました。なぜ免責を与えてしまったのか、いったい誰がその決断を下したのかを知ることは、歴史家や一般の人々にとって、生きた人間を使って行われた731部隊その他の恐るべき実験施設の実態を知ることと同じ位に、重要なことなのです。みなさんの多くも御存知のように、日本の政府高官は今日に至るまで、731部隊に係った者達に関する情報も含めて、これらの資料が存在することさえ認めていません。ワシントンの関係者達も、この問題に誠意をもって取り組んでおりません。しかしこの問題は、両国のこのような不誠実な対応を容認するには、あまりにも重要すぎるのです。歴史の真実は、政治を越えたところに存在するべきだからです。日米間の敵対関係を正式に修復するために戦後日本とアメリカの間で結ばれた講和条約は、政治的なものでした。それは日本国の主権回復に関するもので、責任に関するものではありませんでした。しかし「記憶」こそは、真の信頼関係の根底にあるものであり、将来の国際関係や国民と国民の関係を左右していくものなのです。
■日本が選ぶ二つのモデル
21世紀を迎えるに当たり、思慮深い日本人達がアジア太平洋地域との関係を考える際、参考にできる二つのモデルがあります。最初のモデルは、戦後のドイツとユダヤ人の関係です。ドイツが自らの過去に対して人道的責任を認めたことで、彼らは、ユダヤ人社会との関係を、徐々にではありますが正常化させることに成功しました。もう一つのモデルは、1915年に起った悲劇をめぐっていまだに癒されていない、トルコとアルメニアの間の対立関係です。
「陰謀」の専門家ではなく「記憶」の専門家であるサイモン・ウィーゼンタール・センターは、みなさんが日本政府に最初のモデルを参考にするようにと働きかけていく努力を、支援したいと思います。アジア諸国の人々の中に今でも残る心の傷を癒そうと努力することで、日本は、彼らの不信感を取り除くでしょうし、戦後、他の分野で達成した輝かしい成功に「信頼」という一項目も付け加えられることでしょう。●