11・5 「9条変えるな署名連絡会」講演会  安川寿之輔さん(名古屋大学名誉教授)

1万円札から見える日本の過去と未来

11月5日、ボルファートで開かれた講演会には130人が集まり、約2時間、熱心に安川さんの講演に耳を傾けました。主催者を代表して長谷川FC事務局長が、この講演会を機会に憲法を見つめなおし、9条改憲を許さない国民の共同行動への第一歩にしたいと挨拶。講演で、安川さんは、福沢諭吉が、戦後、日本の民主主義の先駆者として、尊敬されてきたが、これは丸山真男の思い入れが誤った福沢像(「福沢神話」)を作ったためだと指摘し、福沢の思想の本質に迫り、それが、アジア太平洋戦争へとつながったことを解明しました。宮井清暢さん(「憲法9条の会inとやま」呼びかけ人)が閉会挨拶を行い、3日、「大学人9条の会」が発足したことを紹介し、連帯してたたかう決意を表明しました。講演要旨を掲載します。原稿は安川さんに校閲をいただきました。(柴田健次郎記)


講 演 要 旨


【1】はじめに

私たちは自国のことを知らなさ過ぎる。それを象徴するのが、福沢諭吉が1万円札の肖像に収まっていることだ。韓国では、近代化の過程を踏みにじった、民族全体の敵だと評価され、1万円札に福沢が印刷されている限り、日本人は信じられない、と語られている。このように、福沢がアジアから批判・憎悪されている事実を日本人がほとんど知らないのは痛ましい。

【2】福沢諭吉についての日本人の誤解

最大の誤解は、福沢は「天は人の上に人を造らず」と主張したという誤解だ。しかし、彼は「天は人の上に人を造らずと云えり」と伝聞態で書いて、他からの借用であり、その考えに同調していないことを伝聞態で表明している。

また、福沢研究史上最大の誤読は、『学問のすすめ』第3篇の「一身独立して一国独立すること」の解釈だ。福沢の「一身独立」は国のために財を失うのみならず、一命をなげうっても惜しくないという国家主義的な「報国の大義」でしかないのに、丸山真男等は「民権の確立」や「近代的人間類型」の自由や独立と勝手に解釈してきた。日本の近代を「明るい明治」と「暗い昭和」に分断する「司馬遼太郎史観」は丸山の「諭吉神話」に基づいて「明るい明治のナショナリズム」を創作・再生産したものだ。これでは、なぜ「明るい明治」が「暗い昭和」に帰着したのか理解ができない。福沢の全面的なとらえ直しは「明るくない明治」と「暗い昭和」に学問的な架け橋をかける作業である。たとえば、日清戦争時の約2万人といわれる旅順虐殺事件は世界中の新聞に紹介されたが、伊藤博文や陸奥宗光によって隠蔽された。福沢らのジャーナリストもこれに加担したが、これが「暗い昭和」の南京大虐殺につながった。この事実の解明によって、私たちは日本近代史像の分断を克服することができる。

【3】福沢(日本)は、なぜアジア蔑視・侵略と靖国神社

政治的利用の道を歩んだのか 

(1)初期啓蒙期の天皇制認識―冷静で批判的天皇制認識

初期啓蒙期の福沢は、歴代天皇の不明不徳をあげ、「聖明の天子」などというのは偽りだとし、天皇制に批判的だった。そして、鎌倉以来700年、人民が王室の存在を知らないのに、人民を王室の赤子にしようというのは困難だ、と冷静な判断を保持していた。

 ところが、福沢は「一国独立」は文明の本旨からすれば些細なことだとする、優れた歴史認識をもちながら、弱肉強食の国際情勢から、自国独立を最大最上の目的に設定した。これが彼の思想の分岐点である。「一身独立」を先送りして、自国の独立のため、“忠臣義士”などの封建的思想や運動の総動員を呼びかけた。これは「権力偏重」のタテ社会における信条を拡大し、アジアへの抑圧と侵略に結びつく、排外主義的ナショナリズムを提起したに等しい。

(2)中期保守思想の確立―「強兵富国」のアジア侵略路線と「愚民を籠絡する」天皇制の選択  

自由民権運動に出会っても、福沢は、「一身独立」追求の好機と歓迎する気配もなく、@日本国民はすでに「暴政府」を倒し、政府も人民も自由に向かっている、と虚偽の主張をし、A民権運動の陣営を「無知無職の愚民」「無頼者の巣窟」等と非難、B「学問のすすめ」による国民啓蒙を断念し、「馬鹿と片輪」に宗教はよいとりあわせだ、と宗教教化を表明した。C国権拡張至上を表明するとともに、D兵力至上論を示し、敵国外患は国内の人心を結合して、立国の基礎を固める良薬だとする、権謀術数的な外戦の勧めまでも主張した。

 とりわけ、モデルの欧米先進諸国が、労働運動・社会主義運動で狼狽し、先が見えない状態であると認識し、新しいものをつくるには、すでに存在しているものを利用すべきで、華族、士族も必要だ、と後ろ向きの歴史的現実主義の方向に軌道修正した。これが、中期福沢の保守思想確立の宣言書である『時事小言』と『帝室論』だ。

A アジア侵略の強兵富国路線

『時事小言』で、福沢は「富国強兵」でなく、武力を増強して他国に進出するアジア侵略の「強兵富国」路線を選んだ。日本資本主義が、海外侵略と戦争を跳躍台に発展してゆく道のりの見事な先取りである。明治の人たちはこれに厳しい評価を与えた。元外務省勤務の吉岡弘毅は、日本を強盗国に変え、「不可救の災禍」を将来に残すことは間違いないと批判した。これは近代日本の道のりへの適切な批判的予言だった。

B 「愚民を籠絡する・・・欺術」としての天皇制

民権運動に背を向け、「一身独立」の課題を放棄した福沢は、「強兵富国路線」に国民を動員する鍵として、『帝室論』を刊行した。帝室は、国民がもろともに尊崇し、これに、忠を尽くすは万民熱中の至情である、帝室の尊厳は、開闢以来同一で、今後、永遠にかわらないとして、万世一系の神聖な帝室を日本人民の精神を収攬する主軸にすえ、兵士も帝室のために生死するもの(天皇陛下万歳!)とした。これは天皇制を、「愚民を籠絡する欺術」として選んだものである。

 こうして、福沢は、@軍人勅諭と同じ絶対服従の「天皇の軍隊(皇軍)」を提示し、また、A近代化のリーダーである「我日本国士人」(ブルジュアジー)の道徳の基準として「報国尽忠」を主張した。そして、臣民という新たな語彙を使い、「臣民」意識形成の啓蒙をはじめた。B欽定憲法を自明として、伊藤博文のプロイセン路線の支持を表明した。C帝国憲法発布直前に『尊王論』を刊行し、「政治社外論」をとなえ、天皇は日常的に政治に関与しないことによって、天皇制を政治に最大限に利用する効用を説いた。

C 「脱亜論」・日清戦争への福沢の道のり

福沢は、アジアを文明に誘導するという名目で、強兵富国、侵略を合理化し、武力行使の口実のために、朝鮮、中国人に対する蔑視、偏見、を撒き散らした。『脱亜論』では、日本がアジアの固陋を脱し、西洋の文明に移ったとし、西洋の文明国と進退を共にする、とアジア諸国への侵略の意向を表している。日清戦争にいたる時期、福沢はアジアと連帯することに猛反対で、アジアを蔑視し、「朝鮮人民は牛馬豚犬」「チャンチャン皆殺しは造作ない」などと書きたてた。1935年生まれの私は、子どもの頃、チャンコロという言葉を教わったが、そのルーツはここにある。

D 日清戦争と福沢諭吉−「滅私奉公」の「一億玉砕論」と靖国神社構想 

184年、日清戦争が起こるや、福沢は戦意高揚の論陣を張り、あらん限りの忠義を尽くし、「日本臣民」は老少の別なく、一人残らず死ぬまでたたかえと鼓舞した。アジア太平洋戦争中、国民学校で「一億玉砕」を教えられたが、福沢のこの言葉との出会いは衝撃だった。このように「天皇陛下のため」「お国のため」という滅私奉公、一億玉砕の天皇制論は、福沢によってすでに日清戦争時に確立していたのである。さらに福沢は靖国神社の軍国主義的な政治利用に着目し、戦死者と遺族にあらん限りの栄誉を与えて、戦場に倒れることが幸福であることを感じさせるようにし、天皇を祭主として、戦死者の遺族を靖国神社に招待し、天皇が英霊を慰める勅語を賜るよう主張している。

【4】戦後民主主義と戦争責任論−根底的な問い直し

平和と民主主義を標榜してきた戦後日本が戦争責任・戦後補償問題も未決済のまま、再び「戦争国家」への道を歩んでいる。侵略と植民地支配の戦争責任に封印・放置したために、民主化推進の善意を疑わないが、丸山真男を筆頭に、恣意的な研究によって、アジアを蔑視し、侵略を先導した福沢を民主主義の先駆者に仕立て上げたのである。

(1)戦争責任とは−騙される者の責任、戦後責任など

戦争責任と言えば過去にかかわる問題と考えるが、過去の戦争の責任は償いきれない。戦争責任のポイントは過去の誠実な謝罪と反省にたって、再び戦争の道を歩むことを許さないという「未来責任」にこそある。戦後世代の日本人と未来の主権者である「戦争を知らない子どもたち」にも戦争責任があるという主張は容易に理解できよう。

 映画監督の伊丹万作は「だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起こらない」と書いた。戦後の渡辺清(作家、わだつみ会事務局長)は、「国民を籠絡する欺術」としての天皇制に騙されていたことに気づき、天皇の戦争責任を追及するとともに、「天皇を責めることは、同時に天皇をかく信じていた自分をも責めることでなければならない」として、国民自らの戦争責任にきびしく向き合った。

 国民自身の戦争責任と戦後責任を考える上で、日本国憲法前文の内容は示唆的である。「日本国民は、‥‥政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」と書かれていることだ。つまり、「主権が国民に存する」という主権在民の宣言と、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすること」の決意が、一文の中において、密接不可分のものとしてとらえられている。 

(2)近代化の道のり−福沢諭吉と田中正造  

同時代を生きた二人の生き方と思想はあまりにも対照的だ。福沢は武力至上の「脱亜入欧」「強兵富国」を先導。田中は「鉱毒問題は対露問題の先決問題」と書き、勝海舟は勝利に酔う日本の民衆に「この次ぎ負けるのは日本の番」だと警告し、田中は日露戦争後は、勝利した日本だからこそ世界に先駆けて軍備を全廃する責任と権利があるという、憲法9条を先取りする主張をした。田中は自由民権の系譜につながる。

【5】未来展望に代えて

(1)深刻な学生の歴史認識

十数年にわたる大学生対象のアンケートの結果は深刻だ。アジア太平洋戦争について過半数が侵略の相手国や戦争の実態、靖国神社の危険な役割を知らない。ほぼ全員が侵略戦争の開戦日を知らない。戦前の青年同様、戦争への批判や抵抗の姿勢を期待することは難しい。その意味で、いま、日本の社会は戦後ではなく戦前を迎えている。

(2)敗北必然のイラク戦争

ビデオ『911ボーイングを捜せ』は、米国民を戦争支持に向かわせた「9.11テロ」自体が謀略であることを示している。イラク戦争が侵略戦争の本質を反映し、非道な実態にあることを示す数字はあまりにも多い。例えば、03年のイラクにおける米兵の自殺率10万人中17.3人はベトナム戦争中の自殺率15.6を超えている。056月でもアメリカ人の65%が「イラク戦争は泥沼化」という判断をもち、すでに半数近い45%がイラク戦争はベトナムの二の舞と懸念している事実は戦争を支える国内基盤の内部崩壊により、敗北の道をたどる可能性を示唆している。

(3)米軍再編−「亡国」への道をたどる日本

自衛隊がアメリカと一緒に世界の警察になる宣言だ。日米安保条約は公然たる攻撃的な侵略の軍事同盟に転換しようとしている。私には、日本人が、戦争責任不感症の小泉首相につづいて、さらに右よりの安部首相に高い支持率を与えている姿が、ワイマール体制の民主化を経験しながら、ドイツ国民が、自らヒットラーを総統に選んだ姿と二重写しになる。日独伊三国同盟を結んだ時のように、日本は、米軍再編の日米軍事同盟で、ファッシズムと侵略戦争への道を歩もうとしているのではないか。再び戦争への道を歩まないという未来責任としての戦争責任の課題が、いま、問われている。私たちは重大な岐路に立っている。