2008-10-09
■記憶
先ほど、電車の中で席に座りながら、そのまま眠ってしまいそうな、でも意識のどこかではふしぎと目覚めているような、半覚醒の状態になりつつおもったのだが、世の中にはかつて、有名人と恋人として付きあった経験のある一般の人たちがたくさんいて、そういう人たちは、テレビをつけたり雑誌の広告を読んだりするたびに、かつての恋人の顔を見ていることになる。それはいったいどういう気持ちがするのだろうか。
たいてい、別れた恋人とは顔を合わせなくなるものである。今はなにをしているのか、どこに住んで誰とどうしているのか、知りようもない。それはしかたのないことだし、またポジティブな前進でもあって、われわれは過去とさっぱり決別して、次の段階にいける。忘れるのはいいことだしね。ところが、いったん有名人と付きあってしまうと、別れた後でも、その人はテレビや広告などに登場し、われわれの視界に入ってくる。考えてみると、これはけっこうしんどいのではないか。
JR恵比寿の駅には、わりと長いあいだ、はなちゃんがモデルをしている化粧品メーカーの大きな広告があって、わたしはいつも「はなちゃんかわいいな。もうちょっとだけ前髪を伸ばしてくれたらな」と、キュートなはなちゃんのことを想っていたのだが、ふと「あー俺、はなちゃんと付きあってなくてよかった。元カノがはなちゃんだったら、なんか恵比寿駅に来るたびに悲しくなるもんな」とおもって安心したのだった。しかし、考えてみれば、この日本には確実に、はなちゃんの元カレが存在するのであって、彼らは恵比寿駅に来るたびに、はなちゃんの声や、はなちゃんの匂い、はなちゃんの感触をおもいだしてしまうに決まっている。
また、今はインターネットがでてきてしまい、場合によっては、かつての恋人の消息がつかめてしまう、その相手が今日なにをしたのかわかる、というややこしい時代になった。なんかこわいよね、それって。別れた元恋人のホームページを、部屋でひとり閲覧している姿って、ちょっといやだな、わたしは。前に進むべき時間が、どこか澱んでいるような、止まってしまっているような感じがする。やはり記憶は薄れていくべきだし、過去は遠ざかっていく方がいい。
きっと停滞はいけないことで、いずれにせよわれわれは生きていて、犬は吠えるがキャラバンは進む。そこでなによりわたしが怖れているのは、わたしが綾瀬はるかと付きあってしまうことで、なぜならそうなった場合、もし彼女と別れたときに、彼女の出演する映画の予告編だとか、コマーシャルなどを不意打ちで見てしまうためであって、どんどんきれいになっていく綾瀬はるかをいつまでも見せられ続けることになるからである。忘れることができない。はるかを。それはなんとしても避けなくてはいけない。
わたしは、「ああ、またきれいになったな、はるか」とおもいながら、彼女がわたしのとなりで静かに寝息を立てながら眠っていたときの記憶を反芻して、もう何回も反芻しすぎて記憶の方が音を上げるくらいまでおもいだして、どうしてわたしたちはだめになってしまったのかと考え、げんなりするほど後悔させられるのだ。よって今後わたしは、綾瀬はるかには注意していこうとおもうし、もし仲良くなったとしても、うかつに連絡先など訊かないように心がけていきたい。