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2008-10-08

任天堂が勝っている理由はただ一点「宮本システム」にしかない

任天堂が勝っている理由について、色んな人が色んな分析をしているようだけど、それらはどれも上辺だけのものに過ぎない。任天堂が勝っているただ一つの理由は、「宮本システム」を生み、これを育て、また堅持したことだけにしかない。全てはこれで説明がつく。


任天堂の平均給与がなぜ安いかなんて、理由は一つしかない。宮本さんの給料が低いからだ。ただそれだけだ。宮本さんの給料が低いから、みんな誰も給料を上げろとは言えないのだ。世界で一番の富を生み出した人が、非常識なまでの安い給料で働いているから、誰も文句を言えないのである。


任天堂がなぜ儲かっているかと言えば、これも理由は一つしかない。宮本さんが面白い遊びを提供し続けてきたからだ。宮本さんには、ハードとか、ソフトとか、あるいはゲームという枠組みさえも関係ない。彼にあるのはただ一つ「遊び」というカテゴリーだけだ。彼はこれまで面白い遊びを提供することだけに集中してきた。


宮本さんはよくゲームデザイナーとかディレクターに思われてるけど、それはちょっと違う。彼の職域は驚くほど広い。そして彼の開発してきたものはあまりにも広範に渡る。

なにしろ宮本さんの最初に作ったものがアメリカの遊興施設に置くためのビデオゲームである「ドンキーコング」なのだ。宮本さんはこれをほぼ一人で作った。デザインはもちろん、絵もプログラムも。そうしてこれをアメリカに送り、アメリカではこれが爆発的なヒットとなって、できたばかりの任天堂アメリカの倒産の危機を救ったと言われている。


そんなふうに、宮本さんはその最初期からして全方位的だった。そこには国際的なセンスや、経営センスさえあった。アメリカ人にはこれが受け、アメリカではこれが儲かるだろうと踏んで、「ドンキーコング」を作ったのだ。

その後、「スーパーマリオブラザーズ」や「ゼルダの伝説」を作ったのはもちろんなのだけれど、スーパーファミコンの設計やNINTENDO64のコントローラーのデザイン、ポケモンアドバイザーニンテンドーDSWiiのビジネス戦略や、ゲームを超えた新しい遊び、新しい楽しみである「Wii Fit」のビジネスモデルそのものを構築したりしている。

任天堂は、今ではちっとも「ゲーム業界」のオピニオンリーダーなどではない。便宜上、「Wii Fit」もゲームと呼んだりしているけれど、それはただ建前でそう呼んでいるだけで、宮本さんには「ゲームを作った」などというせせこましい考え方はない。彼にあるのは、もっと広い意味での「遊びや楽しみを作った」ということだ。そうして宮本さんは、人を遊ばせたり楽しませたりするために、これまで色々作ってきたのだ。


任天堂は、今ではゲーム業界の「正義」などでは全くない。むしろゲーム業界という枠組みはとっくに飛び越えた異端児であり破壊者だ。ゲームという枠組みを飛び越えたところで、ニンテンドーDSWiiを作ったのだ。だからニンテンドーDSWiiでは、任天堂のゲームは売れるけど他の会社のゲームは売れない。なぜなら、他の会社はまだ「ゲーム業界」にとどまっていて、そこでの「正義」を貫こうとして「ゲーム」ばかりを作っているから、ゲーム業界を逸脱した任天堂プラットフォームにはそぐわないのだ。


だいたい、任天堂ブルーオーシャン戦略を「ゲーム業界」の将来を考えての行動だと結びつけるのは無理がある。ゲーム業界などという狭い世界に縛られていたら、そもそもブルーオーシャン戦略などという発想は生まれなかったはずだ。ブルーオーシャン戦略は、「例えゲームじゃなくても人を楽しませることができれば良い」という、ゲームを捨てるところから始まっている。ゲームを裏切るところからスタートしているのだ。任天堂の社長である岩田さんは、体面上、ゲームを捨てるなどと言う過激なことは言えないので、「ゲーム界の将来のために」などと言っているけだけで、スケールの大きな彼には、ゲーム業界に対する思い入れはこれっぽっちもない。彼は宮本さんの考えや、宮本システムを生み出した先代社長の山内さんに大いに感化されているので、もともとはゲーム屋さんだったけれども、今ではゲームなどという小さな枠組みには全然とらわれていないのである。


そもそも、任天堂は三代目である先代山内溥社長になった時からブルーオーシャン戦略だった。山内さんは、京都花札屋さんだった任天堂を、何かもっと別の商売をやる会社に変えてしまったのだから。任天堂が今でも花札を作り続けているのは、任天堂をガラリと変えてしまった山内さんの、自分より前の社長に対する贖罪の気持ちが大きいからだ。初心を忘れないようにとの気持ちもなくはないだろうが、やっぱりどこかで花札を捨てたという思いがあって、それに対する申し訳なさから来ているのだ。


任天堂は捨ててきたのだ。花札を捨ててゲーム会社になったし、今はまたゲームを捨てて、まだ何も呼び方はないけれども、「Wii Fit」といった人に面白さを提供する会社になろうとしている。任天堂をゲーム会社だととらえようとすれば、それは本質を大きく見誤ることになる。


ところで、話を元に戻すと、任天堂が成功したただ一つの理由と言っても差し支えない「宮本システム」についてだけれども、これは一人の天才であった宮本茂という人物の才能をとことんまで生かし尽くすシステムを作り上げることで、売り上げも伸ばすし、儲けも出すし、収益性も高いし、果てはゲーム業界という業界を作り、今またゲームから脱却して新たなビジネスを構築しようとしている、任天堂という会社の生き方そのもののことを指す。


これは興味深い現象なのだが、いわゆる黎明期のゲーム会社というものは、どこもこの「宮本システム」のような「システム制」を取っていた。つまり、一人の天才に全権を委任し、その人物の才能を最大限生かすことで、収益を最大化しようとするビジネスモデルである。スクウェアは坂口システムだったし、エニックスは堀井システムだったし、セガは鈴木システムだったし、コナミは小島システムだった。あるいは、これほどのビッグネームではないまでも、どこの会社でも多かれ少なかれこのシステム制は採用していたはずだ。

しかしそのいずれにも言えるのは、こうしたシステムは任天堂を除いてどこも破綻したということだ。唯一堀井システムだけは現在も稼働中だが、これは堀井さん自身がシステムの膨張を拒否し、「小さな政府」ならぬ「小さなシステム」にこだわってきたので、それが奏功して現在まで破綻に至っていないというだけだ。それ以外は、別会社を作った小島さんを含めて、システムはたいていその膨張を止めることができずに、ついにはパンクしてしまって、維持ができなくなってしまうのである。


人間というのは難しいものだ。自分が莫大な富を生み出していると知れば、その功績に応じた富の配分を求めたくなるし、また人間であるがゆえの奢りとか油断も出てくる。一旦成功を収めると、そこでモチベーションを失ってしまって、それ以上の何かを生み出しにくくなる。

「人はパンのみに生くるにあらず」と言うが、成功した人間が何かを作り続けるのは本当に大変なことなのだ。例えば一生働かなくてもいいくらいのお金を手にすると、もうそこでたいていの人間はそれ以上何かを作れなくなってしまったりする。マイケル・ジャクソン然り、鳥山明然り。もちろん例外もなくはないが、よっぽどの精神力や動機付けがない限り、テンション高く何かを作り続けていくのは至難の業と言えるだろう。


そうして、宮本さんにもおそらくもうこれ以上才能を発揮できなくなるというピンチは何度だってあったのだ。彼の処女作である「ドンキーコング」からして、何年に一つ出るかどうかと言う大ヒットだったから、そこで人生が狂ってもおかしくはなかった。しかし驚くべきことに、彼にとってそのヒットはほんの序章に過ぎなくて、それ以降も、「ドンキーコング」以上の大ヒットをいくつも飛ばしている。


宮本さんは、いつ潰れてもおかしくなかったと思う。若い頃からこれだけの成功にまみれていたら、人生を狂わすような危険性とは常に隣り合わせだったはずだ。

しかし宮本さんは人生を狂わさなかった。そうして、才能を発揮し続けてきた。なぜそれが可能だったかと言えば、それこそが宮本システムの為せる業なのだ。山内さんが作り上げ、岩田さんが引き継いだ、任天堂が世界に誇る「宮本システム」の成し遂げた偉業なのである。


「宮本システム」とは何かと一言で説明するならば、それは「宮本さんにものを作らせ続ける」システムのことだ。そうして任天堂は(あるいは山内さんや岩田さんは)、宮本さんにものを作らせ続けるために、ありとあらゆることをしてきた。

山内さんのまず偉かったことは、宮本さんにお金を与えなかったことだ。お金を与えていたら、宮本さんはもうそこでゲームを作れなくなっていただろうからだ。そして次に偉いのは、宮本さんにお金を与えないことを承諾させたことだ。宮本さんだって人の子、きっとお金がほしくなかったわけではないだろう。若い頃から現在まで、破格の報酬を提示してきたあの手この手の引き抜きがあったはずだ。しかし宮本さんは、それらの引き抜きには一切応じなかった。なぜかと言えば、それだけ任天堂に魅力があったからだ。任天堂には、お金には換えられない、他の会社にはない大きな魅力があった。

そうしてそれは、山内さんが作り出したものなのである。山内さんは、宮本さんにお金は与えず、その代わり別の魅力を示すことで、彼を任天堂に引き留めた。それが宮本システム成功の大きな鍵となった。


山内さんが宮本さんに与えたものとは、「目標」であった。そして「夢」であった。さらには「モチベーション」であり「機会」だった。山内さんはいつだって、宮本さんに次から次へと目標を与えたのだ。ファミコンで成功したら、今度はディスクシステムを作るからその開発と、ついでにそれに最適なゲームを作ってくれと頼んだ。ファミコンを超えるものを作るという使命感に燃えた宮本さんは、不朽の名作「ゼルダの伝説」を作った。

山内さんは、手を緩めない。今度はスペックを劇的に進化させた「スーパーファミコン」を作るから、何か新しいゲームを作ってくれと言った。ここでも一念発起した宮本さんは、「スーパーマリオカート」というスーパーファミコンの性能を余すところなく生かした新しい遊びを作った。

さらに山内さんは宮本さんを休ませない。今度は3Dが自在に動くNINTENDO64を作るから、これをなんとかしろと言った。そこで宮本さんはまた燃えた。3Dのゲームデザインはこれまでの2D的な考え方をしていたのではダメだ。ということで、宮本さんは全く新しいコンセプトのコントローラーを作ってしまった。この新しいコントローラーを作るという発想が、後のWiiにつながる。

やがて時は流れ、山内さんは自分の後釜として岩田さんに白羽の矢を立てるのだけれど、岩田さんを選んだことの大きな理由の一つが、宮本システムを堅持してくれる人物だということだった。この時までに、宮本さんと岩田さんのあいだにはすでに絶大な信頼関係が築かれていたのだ。特に、岩田さんの宮本さんの扱い方の上手さには、山内さんでさえ適わないところがあった。


そうして社長に就任した岩田さんは、就くやいなや宮本システムを受け継ぐばかりでく、山内イズムでもあったブルーオーシャン戦略をも受け継いで、宮本さんに新しい「目標」を与える。それは、ゲームとは違った新しい遊び、新しい楽しみ、新しい面白さを生み出すということで、これを意気に感じた宮本さんは、今度は「Wii」や「Wii Fit」を生み出したのである。


ことほど左様に、任天堂の成功というのは驚くほど宮本さん一人の力によるところが大きいのだが、任天堂が真に偉大なのは、その宮本さんが力を出し尽くせる環境を作り上げ、それを維持してきたところにある。山内さんも宮本さんも、この難題に真っ向から取り組み、そしてそれを成し遂げてきたのだ。だからこそ、任天堂はここまで収益性の高い会社、収益性の高いビジネスモデルを構築することができたのだ。


任天堂が勝っているのは、アウトソーシングに頼っていることでも、社員のサラリーが低いからでも、ましてやゲーム業界の「正義」だからでもない。それらは単に副次的なものか、一時的な見え方に過ぎない。その本質はただ一つ、「宮本システム」を生み、育て、堅持してきたところにある。その奇跡のような営為を成し遂げてきたからこそ、今日の巨大な成功があるのだ。


参考