臓器移植を考えるきっかけにしてほしい--。05年に次男鷹晴ちゃん(当時9カ月)が亡くなった時、腎臓と心臓弁を提供した小倉千草さん(29)=神奈川県相模原市=がこのほど県庁で講演した。小倉さんは、「子どもがどこかで生きていることが、心の支えになっている」と息子の臓器提供を決意してからこれまでの心情を語った。【大久保昂】
講演は、移植に積極的な11医療機関で作る「県臓器移植ワーキンググループ会議」の中であり、約35人の移植コーディネーターが参加した。
鷹晴ちゃんは05年春、ベビーカーから転落して頭を強打。数日後、医師からは「大人で言えば脳死状態」と告げられた。千草さんは頭の中が真っ白になった。
その晩、母から親せきが亡くなった時に医師が臓器移植を提案した話をされた。母はその時を思い出して「苦しい思いをした人を更に切り刻むなんて」と憤ったが、千草さんのとらえ方は違った。「この子が助かる方法があるんだ」
国内で0歳児の臓器を移植した例はなく、病院側も最初は戸惑ったようだったが、千草さんの「誰かの体を借りてでも(鷹晴ちゃんに)生きてほしい」という思いが通じ、心停止後の臓器移植が決まった。
事故から約1カ月後。鷹晴ちゃんは眠るように息を引き取った。「第二の人生が待っているから」と千草さんは、さよならは言わなかった。腎臓は50代の消防士の男性に、心臓弁は生後7カ月の女児にそれぞれ移植された。
半年ほどして、デスクワークを余儀なくされていた消防士の男性が現場復帰を果たしたと聞いた。「あの子は人を助ける仕事をしている」。温かい気持ちになれた。
家族の同意を条件に、心停止後の腎臓移植が認められるようになって約30年。県も90年に腎バンクを設立して腎臓移植を進めてきたが、提供は13件。脳死移植に至っては、県内では実施例がない。
千草さんは「臓器提供は支え合い。『自分の家族に臓器移植が必要になったら』と考え、普段から家族で話し合いの場を持ってほしい」と訴えた。
毎日新聞 2008年10月8日 地方版