2008年10月07日

勝間和代氏が任天堂について書いた記事を見つけた。

競争相手を生かさず殺さず・任天堂の収益性が高い理由 ビジネス-最新ニュース:IT-PLUS

フィナンシャル・タイムズ紙はその理由を、以下の2つと分析している。

(1)任天堂が「Wii」の製造を始め、極力アウトソーシングで行っていること。従業員は3000人足らずしかいない。
(2)利益の割に1人当たりの人件費が安いこと。ゴールドマン・サックスの2007年の従業員1人あたりの平均給与は66万ドルであったが、任天堂の平均は9万900ドルでしかない。

 とはいえ、任天堂の1人当たりの収益性が高い理由を、アウトソーシングと人件費に求めるだけではどうもまだしっくりこないので、なぜ任天堂がそのような高い収益性のビジネスモデルを維持できるのか、もう少し考えてみたい。

フィナンシャル・タイムズ紙の分析は、数字しか見ていない薄っぺらな素人見解で、ここについては同感。勝間氏のほうは、表題の「任天堂の収益性が高い理由」を3つを挙げている。これを順に考察してみる。

(1)ほとんどの会社が真似できないほどの多額の研究開発費を使える

これだけだとあまり説得力がないけど、勝間氏自身も、

しかし、研究開発費だけを見ると、「プレイステーション」を作っているソニーは年間900億円をつぎ込んでいて、任天堂の倍である。それでもなぜ、ソニーは任天堂ほどもうからないのか、その鍵はこれからの項目にある。

と言っているので置いておく。さて次。

(2)オーバースペックを避けて、試行錯誤で改善を繰り返している

任天堂とソニーの違いは、任天堂はゲーム機で高いスペックを追求するよりは様々なタイプの製品を投入して、一発勝負を避けるようにしていることだ。市場の反応を見たうえで、試行錯誤を繰り返し、改善を続けていることにある。

vb_01「一発勝負を避けるようにしている」という認識は間違っている。任天堂はWii、DS、バーチャルボーイなど、斬新であるがゆえに計算の立たないようなゲーム機を、莫大な開発費をかけて何度も投入してきた。そしてバーチャルボーイでは見事にコケている。


fa-d_02特にゲームの配信システムについては何度も大々的に失敗しており、ディスクシステム、勝間氏の挙げたサテラビュー(※)、スーパーファミコンパワー、64DD(ディスクドライブ)とことごとく失敗していて、結局今までのところ、普通のパッケージ販売以外はまともに成功したためしがない(Wiiのバーチャルコンソールについて判断するのは時期尚早だろう)。決してローリスクな戦略は取っておらず、むしろハイリスクハイリターンで当たり外れが大きい。
(※)氏の記事には「古くはファミコンを衛星放送につなげて通信でゲームを配信することを行っていたが、これもうまくはいかなかった。」とあるけど、これはファミコンじゃなくてスーファミのサテラビュー

「スペックを追求しない」というのは正しいけど、それはリスク低減とは何の関係もない。これはゲーム屋からすれば当たり前の話で、ゲームにおいて重要なのはスペック(性能)ではなく、インタフェースなどを含めたユーザ・エクスペアリアンス(ユーザ体験)である。ソニーはしょせん電機屋だから、スペックのような数値化できるものばかりを重視する文化があるだけで、ゲーム屋にとってはスペックなんてゲーム機の一要素に過ぎない。本当に大事なのはユーザ・エクスペアリアンスであり、だから任天堂は勝間氏の言うように「様々なタイプの製品を投入」するのだし、新しいゲーム機を出すたびに、コントローラの形状に徹底的な変更を加えてきたのである。

ということで、これもピントのずれた素人の意見である。しかし、

 (1)と(2)を合わせると、ベンチャーキャピタルモデルということもできるだろう。多額の資金を投入し、試行錯誤を繰り返しながら、うまくいきそうな市場には大量に追加投資をして市場を育てていくのである。

この指摘は正しい。たまに「日本もシリコンバレー型に移行しろ」みたいな話(※)を見かけるけど、俺はこの指摘は間違っていると思う。試行錯誤は必要だけど、それを社会の中のどのレベルでやるべきかは文化によって異なる。日本の場合、会社を作ったり潰したりを頻繁に繰り返すスタイルは合わない。あれは個が強いぶん集団としてのまとまりを保つのが下手なアメリカ人向けのモデルであって、日本人には日本人の良さを生かしたやり方がある。その1つは任天堂のモデルである。
(※)池田信夫氏、梅田望夫氏、海部美和氏あたりが言ってたような気がする。

任天堂はプロジェクトをしょっちゅう途中で潰すので有名だけど(※)、これはシリコンバレーで行われているような試行錯誤を社内的にやっているということだ。会社そのものを作ったり潰したりする代わりに、プロジェクトのレベルで作ったり潰したりするのである。任天堂は昔からこのスタイルを貫いて成功しているわけで、日本の企業が目指すべきはこのスタイルだと思う。そもそも国内に見本となる企業がいるのに、文化のぜんぜん違う海外のシステムをマネするようなリスクを犯す必要性があるだろうか。欧米のものをありがたがるのも程々にすべきだと思う。
(※)「サウンドファンタジー」や「MOTHER3」など、表に出てきていた企画ですらしょっちゅう潰している。裏ではもっと潰しているだろう。普通のゲーム会社は出来が悪くてもプロジェクト自体を潰すことはあまりなく、クソゲーができちゃっても販売はするので、この点が任天堂は特殊である。

(3) 限られたメンバーの抑制された競争を演出している

この見解は間違っている。素人は数字以外の違いがわからないから、ゲーム機本体の価格なんぞに目がいくんだろうけど、そんなものはゲーム機戦争においてそれほど重要なものじゃない。経済アナリストとかいった人々がこういう勘違いをする原因は、任天堂、ソニー、マイクロソフトが「ゲーム業界」という同じ土俵で戦っていると思っているからである。この3社がひとつの業界にいて、競合製品を作っていると考えるのは無理がある。実際には、3社とも全然違う方向を目指して、全然違うものを作っている。

_SL500_AA280_任天堂は昔からカルタやトランプを作っていた、伝統あるゲームの会社である。でもソニーは電機屋だし、ソニーのゲーム業界で活動を担当するSCEは、社名からして「ソニー・コンピューター・エンターテイメント」なので、ゲームの会社ではなくて「コンピュータ・エンターテイメント」の会社だと思ったほうがいい。マイクロソフトについてはこの記事では触れないが、言うまでもなくゲームの会社ではない。


SCEはゲームの会社ではないので、ゲームそのものにこだわりはない。コンピュータを使ったエンターテイメントのひとつとしてゲームがあって、たまたま今のところゲームが中心になっているだけである。実際、初代PSには既にCD再生機能があった。そしてPS2にはDVD再生機能がついていて、DVD再生機としてPS2を買う人が非常に多かった。その次には、黒歴史と化したPSX(PS2にハードディスク搭載DVDレコーダーをつけたもの、販売元はソニー)なんてものもあった。PSPもゲーム以外にさまざまな機能があることが売りである。

そして、PS3では明確にエンターテイメント・コンピュータを志向し、自らそう宣言していた。PS、PS2と連勝したSCEは既にゲーム業界を制圧したと考え、本来の自分の主戦場であるエンターテイメント・コンピュータ業界に視野を向けたのだろう。

PS3、“59,800円”の意味 - 後藤弘茂のWeekly海外ニュース

PS3はゲームコンソールではなく、エンターテイメントコンピュータとなり、オンライン経由のコンテンツなどの受け皿となり、“ある程度”オープンなプログラミング環境となる。そのためのHDD標準搭載とコストアップ、そしてコンピュータとしての価格設定を取ったということだ。

 ゲームコンソールとしては明らかに高い価格は、それだけのバリューを提供できるという、SCEIの自信の表れと見ることもできる。また、ゲームコンソールと見られる限り、HDDを標準で載せたり、性能に見合ったコンピュータとしての価格がつけられないという束縛から脱却しようという意図の現れでもある。

このように、SCEと任天堂のあいだでは「ゲーム業界」に対するスタンスが決定的に違う。SCEにとっては、「エンターテイメント・コンピュータ業界」こそが制圧すべき場所であり、たとえゲーム業界が滅びても、エンターテイメント・コンピュータ業界がそのぶん伸びるならそれで構わないのである。だから、ゲーム業界そのものの将来を考えるインセンティブがないため、そのSCEがPS〜PS2でゲーム業界を支配していた頃は、ゲーム業界の暗黒時代だった。

一方の任天堂はゲームの会社であり、また日本のゲーム業界の生みの親でもあるので、ゲーム業界全体の将来を考える。これは任天堂が偉いとかいう話ではなく、自ら生み出したゲーム業界こそが任天堂にとってのホームグラウンドであり、一番戦いやすい場所だから、業界のリーダーとなってそれを守り育てていこうとすることは戦略的に見ても正しい。だからこそ任天堂は、昔からゲームの品質を保つことにはすさまじく高いこだわりを持っていた。多額の開発費を投入した後でも、ダメだと判断したプロジェクトは潰してきた。このこだわりのゆえに「NINTENDO64」対「初代PS」の時代には少数精鋭主義を取り、広く門戸を開いてたくさんのサードパーティを集めたSCEに足下をすくわれたりもした。そして、創業家出身の3代目社長だった山内溥が4代目に抜擢した岩田聡は、こんな人物だった。

岩田聡 - Wikipedia
彼はHAL研究所時代から、「ゲームを豪華に、そして高度で複雑なものとするだけでは、ゲーム熟練者(ヘビーゲーマー)に飽きられ、今までゲームに触ったことのない初心者にもとっつきにくいものになり、市場がゆっくりと死んでしまうのではないか」という考えを持っていた。

たとえ任天堂がゲーム業界を制覇しても、その業界がしぼんでいってしまうようでは意味がない。ゲームヲタクが喜ぶようなゲームばかりを作るのではなく、新たなユーザを取り込み、業界全体を活性化させなければならない。任天堂は業界のリーダーとしてそう考えるべきであり、岩田はそのトップたる資質を持っていた。

コントローラで勝負する任天堂「Revolution」 - 後藤弘茂のWeekly海外ニュース

2003年のスピーチで、岩田氏は、ゲーム業界に対する任天堂の現状認識を明確にした。ゲーム業界はファミコンから20年、順調に発達して来た。しかし、今、業界は発展するか衰退するか、岐路に立っているという。今までと同じこと(映像やサウンドを豪華にする)を続けていれば発展すると考えている人は多いが、任天堂はそう考えていない。ゲーム市場を拡大しなければ活路はなく、問題は市場(=ゲーム人口)をどうやって拡大するかにあるという。シンプルに意訳すれば、Xbox 360やPLAYSTATION 3のようなアプローチでは、ゲーム人口を拡大しないから、ゲーム市場は衰退すると言っているわけだ。

 そして、こうした現状認識のもとに、2003年から、任天堂が進めてきたのは次の3つのポイントだという。

(1)ゲームから離れてしまった人を呼び戻す
(2)新たに今までゲームをしていなかった人を呼び込む
(3)ゲーム熟練者もゲーム初心者も楽しめる新しい商品を提案する

岩田就任後、DS、Wiiと立て続けに革新的なゲーム機を投入して大ヒットさせた任天堂の快進撃についてはここで書くまでもないだろう。立て続けとは言っても、実はDS発売時は「ゲームボーイアドバンス2」という後継機種(画面がひとつ)も並行してつくっていたらしいので、岩田は最初からハイリスク・ハイリターンな戦略を取ったわけではない。DSが大当たりしたので、従来の延長線上にあったゲームボーイアドバンス2には見切りをつけ、さらにWiiという冒険的なゲーム機を投入するリスクを犯すことができた。そしてそれがまた当たったというわけだ。

岩田率いる任天堂は「業界からSCEやマイクロソフトを駆逐してやろう」なんていうケツの穴の小さいことは考えていなかった。ゲーム業界のリーダーとしての自覚を持ち、レッドオーシャン(既存の市場)でのパイの奪い合いに終始することなく、ブルーオーシャン(未開拓の市場)へと舵を切って成功した。実際、DSがあれほど記録的に売れたにもかかわらず、PSPもそこそこ売れている(※)のを見てわかる通り、従来の延長線上にあるSCEのゲーム機と、任天堂のゲーム機はそれほど競合しない。両者がもたらすユーザ・エクスペアリアンスが決定的に違うからである。任天堂がブルーオーシャンへと向かってくれたおかげで、PSPもビジネス的には成功し、任天堂は業界全体の活性化に成功した。PS3についてはSCEが勝手にコケただけで、普通にPS2の延長線上のものを作っていれば、PSP程度の成功は収めた可能性が高い。スペックの高いゲーム機でゲームをしたいという需要はそれなりにあって、任天堂はその需要を切り捨てたからである。
(※)実際には「そこそこ」というには語弊があり、既に日本で1000万台、世界で4000万台を突破しているらしい。販売台数でDSに負けているというだけの話で、携帯機は初参戦だったこと考えると信じがたいほどの大成功だと言える。

「競争相手を生かさず殺さず」を任天堂の収益性の高さの理由とする勝間氏の分析は、任天堂がSCEやマイクロソフトを潰しに行っていないという意味においてのみ正しいが、やはり的外れである。では何が理由なのかというと、それは表題の通りで、


正義は勝つ


から任天堂は勝ったのだと思う。収益性が高い理由も同様だ。これは精神論ではない。ここで述べたいのは「戦略としての正義」の有効性である。もちろん正義は常に勝つとは限らないけど、統計的に言えば「正義は勝つ」のである。

任天堂は業界のリーダーとして常に高い志を掲げて、面白いゲームを作ることを目指し、ゲーム業界の発展を目指してきた。この理想はゲーム業界にとって紛れもない「正義」だった。だからこそ、任天堂の社員は高い士気とプライドを持ち、ゲーム開発者たちは任天堂に敬意を持ち、俺のような「任天堂信者」を多数作ることができた。これは「正義」のもたらす直接的なアドバンテージである。

SCEが「ゲーム業界」そのものについてさほど重視していないことは明らかなことで、ゲーム業界にはSCEを悪者扱いする人も多かった。「作る側」に近い意識を持つ人ほど多かったと思う。小さい頃からゲーム業界を志していた俺も、SCEが市場を支配しはじめるとアンチソニーになり、任天堂ファンになった。その前は任天堂のことは好きでも嫌いでもなかったけど、SCEの登場によって任天堂こそがゲーム業界のリーダーにふさわしいことが分かった。もちろん、任天堂だっていろいろ汚いこともやってるし、流通をはじめとして問題点も多い。でも、任天堂はSCEよりもゲーム業界全体のことを考え、ゲーム業界のためになることをやろうとしていた。ゲーム業界にとっては、明らかに任天堂が「正義」だったのだ。

media_cdrom_cdr_cdrw実は、SCEがゲーム業界の「正義」だったこともあった。それはSCEの参入直後の時期で、連戦連勝していた任天堂が殿様商売をしていた頃である。SCEの開発力は、ソフトにおいてもハードにおいても任天堂とは絶望的に差があった(今もあるけど)。そこでSCEは、安価で高速に生産できるCD−ROM、低いライセンス料、優れた流通体制、低い開発コスト、低い参入基準などによって、サードパーティ、小売店、ユーザを引きつけ、ゲーム業界の「正義」となった。だからSCEは勝つことができたのである。

でも、結局のところSCEはソニーの子会社であり、ゲーム業界の運命共同体ではないので、長期的にはゲーム業界のためになることをしようとはしない。人間と一緒で、こういう全体のことを考えられない奴は将器ではないのである。ゲーム機ではなくエンターテイメント・コンピュータを作ろうとしているSCEは、明らかにリーダーにふさわしくなかった。だから、リーダーを追い落とした途端に業界を衰退へと向かわせ、結局はSCEと違って業界全体のことを考えていた任天堂に負けた。SCEはゲーム業界にとって明らかに悪い支配者だったのである。

とはいえ、正義と悪は相対的なものだ。SCEの掲げた方向性はゲーム業界にとっては悪だったが、たぶんエンターテイメント・コンピュータ業界にとっては正義だったんだろう。問題は、そこには住人がいなかったことだ。もちろん今もいない。将来この業界が成立するとすれば、そこの住人から見て任天堂は「悪」となるだろう。SCEが作ろうとしたエンターテイメント・コンピュータ業界の芽を摘んだものとして歴史に名を刻まれるからだ。でも、既にゲーム業界にはたくさんの住人がいて、エンターテイメント・コンピュータ業界にはまだぜんぜん住人がいないのだ。

正義と悪がいれば、人は正義に味方する。ゲーム業界の住人は任天堂を正義として支持する。一方、SCEの基盤とするエンターテイメント・コンピュータ業界には住人がいない。よってSCEが負けることになる。これは社会の力学の問題である。正義であることは常に有利で、そこには目に見えないたくさんの力が集まるのだ。ゲーム屋である任天堂の理想はゲーム業界の理想と一致するが、SCEの理想は一致しない。もちろんマイクロソフトも。だから、ゲーム業界で戦う限り、最終的には任天堂が勝つのである。

任天堂は今後もブルーオーシャンを開拓し続けるだろうから、たまにはバーチャルボーイのような失敗作(※)を作ることもあるだろう。64時代の少数精鋭主義のような誤った戦術を取ることもあるだろう。でもそんなことは、大局的な戦略の正しさに比べれば些細なことだ。任天堂はいいゲームを作ることを追求しつづけているし、いつでも業界全体の発展を目指している。これはゲーム業界にとって明らかに正義であり、任天堂の戦略の根底にはこの正義が根付いているから、任天堂は「戦略としての正義」によるアドバンテージを享受し続けるのである。
(※)個人的には、任天堂があのタイミングでバーチャルボーイを作ったことは先見性の証だと思うので、高く評価している。今更になって某国で流行ったりもしているらしいし(笑)

フィナンシャル・タイムズが言っているような任天堂の長所は結果に過ぎない。勝間氏が言っていることも素人の推測に過ぎない。任天堂が勝ち続ける理由は、任天堂が正義だからである。業界リーダーとしての自覚とともに背負う責任の重さが、任天堂をゲーム業界の正義たらしめる。そして、P・F・ドラッカーが指摘しているように、責任を背負うものにこそ力は与えられるのだ。

任天堂がゲーム業界の外で戦おうとするなら話は変わる。でもゲーム業界は、阪神タイガースにとっての甲子園みたいなもので、だいたい任天堂が勝つようにできているのである。先代社長の山内溥はこのことをよくわかっていて、”岩田を社長に任命する直前、一対一で3時間みっちりと経営哲学を語り、この際に「異業種には絶対手を出すな」と言い残した”そうだ(Wikipediaより)。

imagesしかし、ゲーム業界が衰退期に入っているのは事実で、実は岩田はこの先代の教えを忠実に守っているわけではない。DSがヒットしたのは「脳トレ」などのいわゆる「シリアスゲーム」(実用性のあるゲーム)のおかげであり、Wiiでも「Wii fit」のような到底ゲームではないようなものが主戦力になっている。これらはゲームと呼ばれているだけで、本質的には明らかにゲームではないものであり(200万本以上の大ヒットとなった「えいご漬け」なんて誰が見たってゲームじゃない)、実際にはゲーム機で動くゲームでないものが売れているだけで、ゲームそのものは明らかに売れなくなっているのである。だから、任天堂のつくっているものが本当にゲーム機と言えるのかは怪しい。

それでも任天堂は、自らの作るものを「エンターテイメント・コンピュータ」などと呼ばない。あくまでゲーム機であると言う。そして実際、ゲームのためのハードウェアを作っていて、他の用途は副産物である。任天堂はゲーム屋を自認し、ゲーム業界で戦い、ゲーム業界を見捨てない。従来のゲームに衰退の兆候が見えてきた今も、リーダーとしてゲーム業界全体を方向転換させ、守っていこうとしている。任天堂はゲーム業界にがっちりと根を張っているので、SCEのように汎用的で方向性のあいまいなハードをつくることはない。任天堂とゲーム業界は運命共同体であり、その理想はおおむね一致する。だから、任天堂はゲーム業界の正義であり続ける。

俺は、今の半分の歳のころから任天堂の正しさに確信を持っていたけど、任天堂が復活してここまで躍進するとは思っていなかった。でも任天堂は再びよみがえって「正義は勝つ」ということを俺に教えてくれた。だから俺も任天堂を見習って、正義と理想を貫いて生きていきたいと思う。

hedachi at 23:26 │Comments(5)TrackBack(0)この記事をクリップ!

トラックバックURL

この記事へのコメント

1. Posted by hoge    2008年10月08日 03:45
5 そのとおりだと思います。

DSiについてはどう思われますか?
うちの職場(ゲーム開発)では、あれは携帯電話に見えました(SDカードとか特に)。

DSiの次の世代は、skypeがのるねって同僚と冗談を言ってました。

しかし、任天堂のDNAからして携帯電話を作るとは思えない(ゲーム屋の範疇を超えるので)。

けれども、ユーザーの要望を見ると、ああいう形にするしかなかったのかと思いました。

本当のところを言うと、ゲームとエンターテイメントの間にそう明確な区別はないのかも知れません。

英語漬けが、ゲームではないように。

私は、DSiを見て、任天堂は、ゲームというカテゴリーに関して悩んでいるのではないかと思いました。
2. Posted by サンシロー    2008年10月08日 09:11
5 はじめまして。正義は勝つ。すばらしいご意見ですね!

私も64の頃は、周りの友達のほとんどがPSで鉄拳やバイオしかやっていなかったのに対し、「マリオ64」の世界がひっくり返るほどの面白さを根気よく説いていた人間です。

SONYもMSも小飼弾さん風にいえば「全員正解」。でも、その中でやはりTOPになるのは、業界全体を考えている会社なんですね。
3. Posted by どぅ    2008年10月08日 10:33
3 おそらく最後の3段落ぐらいが重要で、正義だとかなんだとか言っても売れなければ企業として残っていけない。
勝てば官軍という諺が最も的確で、売り上げによって任天堂は正義となっている。
任天堂の基本哲学がゲームであって、SCEがエンターテイメントであったとしても普通はどっちが正義かとは考えないでしょう。
売れたから正義なんです。
任天堂の一番頭の痛いところは自らの哲学である「ゲーム」というジャンルでは決して成功したわけではなくて、ゲーム以外の部分で製品が売れてしまっているというところでしょう。
ゲームを哲学として掲げている企業の売上の大半がゲーム以外のものだというのは健全ではありません。だから任天堂はゲームという方向性から変わり始めている。それの一つがDSiだと私は思います。
後、任天堂がゲーム業界全体のことを考えているとは全く思いません。
英語漬けやWiiFitを買ったような人がゲームを買うとは思えないし、事実買われていません。ハードを広めることに関して貢献しているかもしれませんが、サードパーティ社のゲームが全く売れないのは異常です。
4. Posted by はる    2008年10月08日 11:24
任天堂が伝統あるゲームの会社という表現は間違いでしょう。
wikipediaの
>一時期はベビーカー「ママベリカ」など、育児関連用品やタクシー事業やホテル経営、文具販売など、多数の事業を手がけたこともあったが、これらはヒットすることはなく撤退、その影響で任天堂は多額の借金を抱える羽目になった。
を見てもわかるように、花札屋から脱却して、より儲けるために様々な事をした結果、ゲーム事業で成功した、という事です。
5. Posted by 通りすがり    2008年10月08日 13:25
個人的には、任天堂のように「進化」を否定するようなものが100%の正義とは思えません。

DSはPSPと違って、無線LANのセキュリティを下げないと使えない。

数値上の進化も否定してはいけないと思う。「大は小を兼ねる」理論として。

自分は、今でもSCEやMicrosoftが作るハードの方が「未来」を作れるように感じるのだけれど、それっておかしいのだろうか。

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔