株価上昇で出だしは順調

 1988年の7月には、1500台の通信アダプタの試作機が出来上がった。野村証券の顧客から1500世帯のモニタを募集して、この通信アダプタを配った(図3)。

 経済はちょうどバブルへと向かっていた。株価は、どんどん上がっていく。証券会社の株価ボードの前に多くの人が集まった時代である。在宅で株式の市場データを確認できるファミコン・ネットワークの「評判は上々だった」(上村)。すぐに量産に入ることにした。

 ちょうど同じ時期、野村証券−任天堂グループとは別に、マイクロコアが山一証券やブリヂストンと組んで、同じようなファミコン・ネットワーク事業に参入した。両グループが、他の証券会社に自社システム採用の働きかけを活発にするなど、競争状態に入っていた。これも量産を急ぐ背景になった。同じようなサービスのために1世帯に2台も通信アダプタを導入することは考えにくい。つまり、先に顧客を固い込んだ方が勝ちというわけである。

図3 ファミコン通信のネットワーク
 証券会社のホスト・コンピュータと家庭のファミコンをDDX-TPで結んだ(画像クリックで拡大)

回線不良に悩まされる

 通信アダプタは1988年9月に量産を始めた。

 サービス開始直後、任天堂を悩ませたのが回線不良である。野村証券のホスト・コンピュータとファミコンの間を結ぶ回線に採用したDDX-TPの回線の状態が安定しなかった。

 DDX-TPは、NTT(日本電信電話)が運用するネットワークで、同社が構築したパケット交換網であるDDXに、電話回線を経由して乗り入れられるようにしたサービスである。ところが、「不定期に通信できなくなる状況が発生する。理由がわからない。放置しておくといつのまにか正常に戻る。実は、DDX-TPも1988年にサービスが始まったばかりで、回線の状態が不安定だったのではないか」(上村)という。

 回線の状態を調べるため、沢野は不良が発生する家庭まで足を運んだ。測定の結果、規格から大きくずれた交換機からの信号が来ていることもあったという。