ゲーム・ソフトは断念
「ファミコンの本来の用途であるゲームに、通信アダプタを使うということは実現できなかった」(上村)。任天堂は、この通信アダプタを使ったゲーム・ソフトを5本程度試作した。だが、市場に投入することはなかった。
任天堂が開発したソフトに、たとえば対戦型の囲碁ゲームがある(図4)。社長の山内自身が囲碁を打つこともあり、社長の強い要請で開発した。これも「結局、電話回線を長時間にわたって接続し続ける必要がある。通信料金がかかるうえに、電話回線を占有し続けるという問題もある」(上村)。
米国で準備を進めたのが、ロッタリである。ロッタリは、好きな数字を選び、当たれば配当が出る仕組みのギャンブルである。州単位でこういう賭けごとが許可されたり、禁止されたりする。許可の方針を明確にしていたミネソタ州で、現地企業と組んで準備を進めた。
ところが、任天堂の思惑とまったく関係のないところで、この計画も中断となった。ミネソタ州の知事が共和党から民主党に変わった。これに伴って政策も変更となり、ロッタリは禁止となった。
自社活用で、利点と欠点を知る
結局、野村証券と共同開発した通信アダプタを任天堂自身が使ったのは、玩具店向けの業務用システムだけだった。
玩具店から成るスーパーマリオ・クラブを結成し、そのメンバがファミコン・ソフトの評価データベースを検索できるようにした。視聴率調査を実施している調査会社のビデオ・リサーチにソフトが売れそうかどうかの評価を委託し、その評価結果をネットワークを使って提供するものである。
上村は、「このとき、初めてネットワークは便利なものだと感じた。と同時に弱点もよくわかった」という。不便な点は、たとえばみんなが一斉に見たいときには回線が話中になることである。利用が増えると、設備を増強する必要がある。どの程度の設備を用意しておけばいいのか判断が難しい。
ネットワークの便利な点は、玩具店は見たいときにいつでもデータを見られる。任天堂は、各店がどういう情報に関心があるかがひと目でわかる。ユーザの反応が直接伝わってくる。ネットワークに強い魅力を感じたという。
「この通信アダプタの経験が、1995年4月から始めた衛星データ放送に参入するきっかけになった」(上村)。通信アダプタは、ゲームへの展開を断念するなど、必ずしも任天堂の思惑通りにことが進まなかった。衛星データ放送で初めて、ネットワークを使った「遊び」を、スーパーファミコン・ユーザに提供することになった。
(文/田中 正晴)
(※本記事は「日経エレクトロニクス」1995年9月11日号の「ファミコン開発物語」を再掲載したものです。登場人物の肩書きおよび企業名等は、雑誌掲載当時のものとさせていただきます。あらかじめご了承ください)