○第一回・小説を書くために一番大事なこと
この文章を読んでいる方は、今から小説を書き始める、もしくは小説を書き始めて間もない方が中心だと思います。
これからどんな風にして小説を書いていったらいいのか見当もつかない。
もっと上手く書くにはどうしたらいいんだろう。
すでに小説賞に投稿している方の中には「一次予選にも通らないけどどうしてだろう」と悩んでいる方もいるでしょう。
最初にはっきり言いますと、一次予選にも通らない人は以下のような所が悪いのです。
1.原稿用紙の使い方が間違っている(小説を書くルールに従っていない)
2.文章が下手である(日本語のルールに従っていない)
3.物語が理解不能(物語作成のルールに従っていない)
4.話が面白くない(アイデアの整理、見せ方が稚拙である)
どんなことでも正直に答えてくれる友人に、自分の小説を見せましょう。
一次予選に通らない方は上のどれかに該当しているはずです。
もちろん、上の四つをクリアしていても、一次予選を通らないことはあります。
なぜか。
自分の作品より面白いものを書く人がいるからです。
私がなぜ上のようなことを言ったかというと、一次予選を通るというラインこそが「小説の基礎」ができていると判断できるところだからです。
ですから、私がこれから話すのも、その四つに従って話していくことになります。
でも、慌てないでください。
あなたは、絵を描きますか?
描かない人に「描いて」というと、必ずこういった答えが返ってきます。
「下手だから描けないよ」
なぜでしょう?
それは「描きなれていない」からです。
ぜひ聞いてみてください。まず間違いなくそうです。
絵は、何枚も描いていればそれなりに上手くなります。
それはコツをつかんでくるからです。
絵の具の使い方、筆の使い方、紙の感触、画面の広さ、それらに慣れることで、下手なりにちゃんとした絵が描けるようになります。
小説も同じです。
自分の小説が下手だと思う人、もしくはそう言われた人は「書き慣れていない」のです。
まずは書きましょう。
ハウツー本を見るのは後からでもできます。
小説という舞台に、文字の表現の面白さに、自分の想像力の広さに、他人に物語を読んでもらうことの快感に浸ってください。
技法やアイデアの斬新さ、そんなものは後からでも付いてきます。
小説を書く上でもっとも大事なのはこの二つです。
1.長文を書くことに慣れること
2.小説の楽しさを知ること
1.から行きましょう。
私たちは普段、長文を書き慣れていません。
一般に短編といわれる小説でも原稿用紙30枚程度。
文字数にして約12000字です。
読書感想文やレポートでもそれほどの長文を、自分の言葉で書くことはありません。
長文を書くには根気が要ります。
一気に書き上げず、途中でやめ、また再開する。前に書いていた内容から逸脱しないで書き続ける。
もし、まだ作品にできるアイデアを持たない人、それだけ長い作品に作り上げられない人は、ぜひ自分の好きな小説を書き写してください。
文庫本だったら10ページくらいが原稿用紙30枚に相当するはずです。
どうです? かなり辛いでしょう?
写すだけでも辛いんですから、言葉を選び、考え、苦しみながら長文を書くのはさらに辛いんです。
だからこそ、長文を書くことに慣れてください。
それができなければ、小説の一本すら書き上げることはできません。
2.ですが、1.につながっています。
長文を書くことは辛い。
苦しい作業はすぐに飽きてしまいます。
上達し、技法を知ることでさらに辛さは増していきます。
ですから、まずは小説を書く楽しさを知ってください。
技術や、体裁なんて良いんです。
文字を書くこと、文章を綴ること、物語を紡ぐこと、キャラクターたちが動き回ること、それらの楽しさを知ってください。
私はこういう作品を書きたいんだ。
みんなにこういうことを知ってもらいたい。
私の考えた面白いことを広めたい。
出発点は何でも構いません。
楽しさを知り、その初心をしっかりと胸に刻み込んでください。
辛いとき、苦しいとき、その想いがあなたを助けてくれます。
そして、それでこそ、あなたの小説は輝くのです。
ぜひ、この一ヶ月の間に、一本以上の小説を書き上げてください。
○第二回・小説は怖いんです
読者の方の中には、漫画が描けないから小説を書こうと思った、という方がいませんか?
それは大きな間違いです。
絵を描かないから簡単だと思うのは、日本語をなめているか、会話文以外の小説の文章を単なる説明文だとしか思っていないからです。
絵は直接的です。
視覚という人間にとって最も大きな感覚に訴えかけるものです。
それだけにごまかしも利かないし、労力もかかるのは分かります。
しかし、小説は人間の五感のどれにも訴えかけません。
目は文章を読むだけです。
耳にはページをめくる音しか聞こえません。
鼻には紙の香りがしますが、それは内容とは関係ありません。
舌に味を感じるわけでもありません。
当然、触れているのは紙の束です。
文章を読んだだけでは、人間なにも感じません。
小説を読んで、読者が感動を覚えるのは、人間に想像力があるからです。
小説は五感のどれにも直接触れず、読まれた文章が頭の中でイメージされて、初めて意味をなします。
その点が、漫画とは異なっています。
漫画では綺麗な花を描けば誰もが綺麗だと思ってくれます。
綺麗な花を描くことは大変難しいことですけどね。
小説では、綺麗な花を描くためにはその花の特徴、何が綺麗なのかをまず自分が理解し、言葉に変換して表現しなければなりません。
そして例え表現できたとしても、それによって読者がイメージする花は千差万別です。
千人の読者がいれば、それだけの花が生まれてしまうのです。
それだけの読者の、異なったイメージを、物語の終わりまで導いていかなければならないのです。
こうした話をしても、まだ小説の方が簡単だと思いますか?
日本語だったら誰でも使えるから簡単だ、と思うのは間違いです。
会話だったら、話がずれても補足したり、修正しながら話せば通じます。
日記や掲示板の文章だったら多少意味の取り違えがあっても大意に問題はありません。
あったとしてもそんなに気にはされないでしょう。
ですが、小説は提示されるものです。
修正もできませんし、補足もできません。
一度提出したら最後、どんな読まれ方をしようと文句は言えません。
だからこそ、間違いのない文章、間違いのない表現が必要となるのです。
読者全てに理解され、かつ面白いと思わせる文章。
私たち小説家に求められているのはこれです。
いくら話が良くても、文章が稚拙ではイメージが湧きません。
物語が理解されません。
面白さが伝わりません。
あなたがイメージしている作品の全てを、文字に変換して読者に提示する。
この難しさを知ってください。
この怖さを知ってください。
小説は楽しく、しかし怖いのです。
文章を書いていて、背筋が寒くなったなら、あなたもその怖さを知った証拠です。
○第三回・書く分量の倍は読もう
前回、あんなことを話したのには理由があります。
日本が一億総小説家時代に入って久しくなります。
今や読む人間よりも書く人間の方が多いといった逆転現象さえ起きています(多少大げさですが)。
もちろん、実際にプロとして活躍できる人間は少数で、その大半はネット上で作品を発表しているようです。
まあ、私もその例に漏れませんが。
そのせいか、文章がメチャクチャなのが多い。
ルールも何もあったもんじゃない。
私がこの記事で使っている書き方。
これがまさにその書き方なんです。
ネット上で掲載することを前提としているからか、一文が短いし、改行も早い。
改行後の一字下げは見栄えが悪くなるからしていないし、行間を異様に空けるのも厭わない。
悪いとは言いません。
ネットにはネットの文化があるんですから。
ですが、私はひとこと言わせてもらいます。
「それは小説の体をなしていない」
縦書きでないといけないとか、イラストを使うなとか、そういうことはどうでも良いんです。
小説の書き方のルールは、意味があるからそうなっているんです。
それを無視して書くことは、その意味を理解していないということになる。
つまり、日本語の特色も、他人に対する読み易さなども無視していることになる。
それでは、小説を人に読ませる資格はありません。
少しきついことを言いました。
ですが、この現象はけっこう目に余ります。
なぜこの現象が起きているかというと、ネット上で読者は長文を読まないからです。
ネットの文章は基本的に一コンテンツ一画面が基本です。
読者はスクロールすることを嫌います。
同時に、モニター上で読むことが基本であるため、長文は目に入りにくい。
自然に一文が短く、分かりやすい文章になります。
また、改行が多くなり、行間も広くなりがちです。
一般的に、文字間は詰まっている方が、行間は広い方が読みやすいとされています。
読む方も書く方もネット上でしか活動しないから、同じような文章形態になってしまう。
紙の本を読んでも、改行のない作品はそれだけで読みにくいと判断してしまう。
長文は読みにくい、悪い文章だと勘違いしてしまうんです。
はっきり言います。
長い文章でもきちんとした作法で書かれたものは読みやすく、頭に入りやすい。
上達のコツは、小説を読むことです。
プロの書いた作品は、この上ないお手本です。
ただ読むだけではいけません。
その小説がどういった筋で進んでいるか、どういったルールで書かれているか、小説を分解するように読んでいってください。
よく言われることですが、作品を書き写すのも始めの内はよい練習になります。
作文のルール、日本語のルールを覚えるためにも役に立つ練習です。
前にも言った通り、書くことは非常に重要です。
ですが、それ以上に読むことも重要です。
他人の作品に触れなければ、独り善がりになりやすいし、新しい表現にも触れられません。
以前、私は本を読まずに書いてばかりだった時期がありました。
そのせいで作品はどんどんイビツになり、他人に理解されないようになりました。
これではいけないと、さすがに感じました。
再び本を読み始めたことで新しい表現に触れ、元の感覚を取り戻すことができました。
リハビリにはだいぶ時間が必要でしたけど。
読む本も、ライトノベルばかりではいけませんよ。
小説を書こうという人間ならば、純文学も読んでおくべきです。
日本語の表現者として最高峰にいる彼らの作品を読むことで、表現が豊かになっていきます。
日本の作品ばかりでなく、海外の作品も読みましょう。
海外の作品は発想が様々で、勉強になります。
よほどの長編を仕上げるのでなければ、根を詰めて書いていくのは危険です。
読書2:1執筆 の割合を最低でも維持しましょう。
厳密じゃなくても、作品を一本仕上げたら小説を二冊は読む、で十分です。
意識して本を読むことで、自分の中の小説感をリフレッシュしましょう。