いつものようにおかーちゃんを病院に訪ねる。
すっかり明るくなっている。
つい数週間前には、行くたびに俺は殺されていた。
顔を見るたびに、「あんた無事やたんやなあ。うう。」っと泣き出す。
これの繰り返し。
最近はだいぶ落ち着いてきた。
顔を合わせれば、笑いながらお菓子くれえっとせがむ。
相変わらず妄想は見えてるようで、色んな架空の人物に話しかけるのはあまり変わらない。
ただ、食事がかなり変わってきた。
自分でなんとかお茶碗を持って食べられるようになってきている。
箸を使うのは無理だが、先割れスプーンでなら自力で可能だ。
リハビリをしている場面を見ていないので、どの程度自分で歩けるかどうか分からないが、見た目はだいぶ回復している。
当初、循環器では意欲をつかさどる脳の部位が冒されているのでやる気がなくなってしまうことが懸念されていたのだが、そんな様子はほとんどなく、アレが食いたいどこそこに行きたいとかなり意欲的だ。
それにしても、おかーちゃんがくも膜下出血で倒れて以来、もうすぐ3年になる。
二人で死のうと話し合ったり、2時間の散歩ができるようになるまで鍛え上げたり、俺の料理の腕が飛躍的にあがったりと、色々あった。
3年経ってふと見ると、結局おかーちゃんはまた病院暮らし。
頑張ってきた努力をすぱっと無駄にされた気分。
世の中には、努力すればきっと報われるとかいうお花畑な輩もいる。
そういう人の言葉なんか聞いちゃいけないね。
努力したってどうにもならないことの方が世の中は多いんですよね。
でも俺は変わった。
こういう事態に至っても、なんとか生きる力は失っていない。
人間なんとかしようと思えばそれなりになんとかなるってことが分かってきたからかな。
人生ってのはなんていうか、奥は深いね。
「神様ってのは何考えてんのかわかんないし、どうにもならない運・不運を人に押しつけるけど...それでも人が自分達で何とかできる領分は残しといてくれてるよ。」
たいして信心深いわけでもない娼婦の一言だが、完全無欠の神様の言うことよりも、現実世界でもがき苦しんでいる娼婦の言葉の方が俺の胸には響きますよ。
それにしても。
今の病院のフェイスタオルの消費量が異常。
なんでこんなに使うねんっていうくらい。
それにひきかえ、パジャマの消費は驚くほど少ない。
1週間で30枚のフェイスタオルを消費する。
洗濯する身にもなってほしいぜ。
おかげで我が家の物干しにはいつもタオルが大量に干されている。
お金はちっともたまらないのに洗濯物ばかりたまるよ。
いやほんと、まいるねえ。 |