任天堂の技術者がどのような考え方で家庭用テレビ・ゲーム機を開発してきたか。1983年の「ファミリーコンピュータ(ファミコン)」発売に至る開発ストーリを不定期に連載する。第1回は、テレビ・ゲームが米国で産声を上げた1960年代からマイクロプロセサを搭載したゲーム機が登場した1970年代半ばまでを追う。1975年末ころ、米General Instrument(GI)社がテレビ・ゲーム専用LSIの外販を始め、米国では年間300万台の市場が生まれた。
RISCチップを搭載し、3次元グラフィックス機能を強化した次世代テレビ・ゲーム機の開発に拍車がかっている。松下電器産業やソニーといった大手家電メーカの参入が相次ぎ、第2の任天堂を目指す競争が激化してきた。こうした流れの根底には、「ファミリーコンピュータ(ファミコン)」のような成功を収めたいという参入メーカの願望があろう。
では、1983年に任天堂はどのような考え方でファミコンを製品化し、成功に導いたのか。
任天堂がこれまで蓄積してきたハードウエア開発に対する考え方は、家庭用マルチメディアの将来像を模索するうえで一つの指針になろう。そこで本誌は任天堂のハードウエア技術者がどのような考え方でテレビ・ゲーム機を開発してきたかを数回に分けて連載(不定期)することにした。