10月その1

マナーが悪い。

ファンのマナーが悪い。

ファンは宝だ。
宝だが、そこには宝足り得る最低限の条件がある。
マナーを守る事だ。
選手がルールを守るようにな。

K−1 WORLD MAX決勝戦は、格闘技史上に残る名勝負が連続の素晴らしい大会だった。
残念な一部のファンによる暴挙を除けば。

自分が応援している選手の不利に対して感情的になるのは、まぁそれがファン心理だといったらそうかも知れない。
しかし俺がいつも言うように、どんな信念も、それを伝える方法を間違えばそれは、何の意味ももたなくなる。

周りに扇動されて踊らされて、神聖なリングに向かって物を投げ込む。
大相撲の座布団なら怪我も無いだろうが、ペンライトや水の入ったペットボトル、缶。
それで誰かが怪我したら、あの大会はそこで即刻中止になるんだぜ?
日本武道館という会場は、そういう事には特に厳しい会場だからな。

オープニングファイトの第一試合でカラコダを倒したニッキー・ホルツケンが自分のTシャツをリング上から観客席に投げ込んだだけで関係者顔面蒼白だよ?
武道館では、物を投げ込む行為自体が厳重に禁止されてるんだから。

ファンだからといって、お金を払っているからといって、何をしてもいいっていうのかね?
誰に当たるかもわからない、あんなものをあんなところに投げやがって。
判定に文句があるなら、俺のところに来て、直接俺にぶつけてみぃ!!
ああいう事をする人間を、俺は絶対にファンだとは認めないからな。
これからも。

因縁の日本人対決。
魔裟斗VS佐藤嘉洋戦。

魔裟斗も見事。
佐藤も見事。

あの判定に納得のいかないお方がたには、9月日記その7で、詳細に説明した判定基準をよく読んでいただきたいものだな。
その基準に則って、この試合のジャッジングを分析すれば、

1ラウンドは序盤戦。
よほどの差がつかない限り、この第1ラウンドで10−9がつくことは少ない。
ではその≪よほどの差≫というのはどういう差か?
それはジャッジの判断だ。

サッカーやバスケットならゴールにボールが入れば一点。
野球ならホームベース踏めば一点。

格技であるフェンシングでも、システムの開発で、剣先が当たればランプが点く。
こういう風に、誰が見ても解るような得点システムではないのが、ボクシングやK−1という打撃系格闘技だ。
その中で、K−1では、
(1)ダウンを取ったかどうか
(2)どれだけダメージを与えたか
(3)クリーンヒット(要は、ダメージの有無は別にして、相手が防御できないところへどれだけ自分の攻撃を当てているか)
(4)アグレッシヴ度(自分から攻める、手数が多い、常に試合を主導しているなど)

こういった優先順位を元に試合を判定していく訳だ。
(1)の場合、通常のダメージがあるダウンならマイナス2、フラッシュダウンならマイナス1になる事もある(絶対ではないのは、何を以ってフラッシュダウンとするかの基準が、先述のボールゲームのようにハッキリしていないから、すべてジャッジの判断に委ねられるからだ。でも、そんな中でもなるべくそうした基準を統一しようということで勉強会があるわけだけどな)。
そして、マイナス2のダウンを奪われても、その後攻勢点で挽回すれば、そのマイナスは1ポイント差に縮まる事もあるし、ダウンを奪い返せばイーブン、ダウン寸前まで追い込んだ場合でも2ポイント差を埋めることは可能だ。
逆に言えば、ダウンには至らなくてもそれ寸前まで追い込めば、10−8がつく事だってあるって事だ。

(2)ダメージというのは、当然、ダウンには至らないけれども明らかに相手に有効打撃を加えて痛めつけた場合だ。
顔面なら、グラッと来たりすぐに相手に組み付いたり。
効いたから相手に組み付いて逃れる訳でね。
中には自分が攻めてるのに組み付いちゃう選手もいるけどな。

ボディならウッと身体がくの字になったり、脚なら引きずったり。
効いたってのを顔に出す奴もいるしな。
よく言うじゃない?
攻撃受けて≪ニヤッ≫と笑うのは、『効いて無いよ?』っていうのと、『ウッ、効いた』っていうのを誤魔化すのと、二通りの表現なんだって。

(3)は、(2)には至らないけれども、明らかにノーガード、即ち防御出来なかった部分に攻撃がまともに当たれば、それはクリーンヒットだ。
顔が仰け反るとか、ローキックなら、もらって完全にバランスを崩すとか。


(4)は、ひとまとめにして、いわゆる攻勢点だな。

こういった事を踏まえた上で、魔裟斗vs佐藤戦を検証して、納得してもらおうか。


この第1R、よく見ると、実は先に仕掛けて試合を常に作って行ってるのは魔裟斗だ。
しかし、3人のジャッジはそこに1ポイントの差は見出していない。
3人とも10−10。
でも、もしこれを魔裟斗10−佐藤9とつけるジャッジがいたとしても、それは間違いとは言えない。
ただこういう専門的というか、一般のファンにはわかり辛いような僅かな差は、第1ラウンドでは表面上反映しない事が多いな。
絶対とは言えないが。
ジャッジがどうつけるかの判断だから。
それが、ラウンド進めば進むほど、同じような微差でも、引き分け無しの完全決着という理念から、ポイント差となって反映されてくるのがK−1のジャッジングの傾向だ。
あるいは、表面上反映されていなくても、最終延長ラウンドなどのマストシステムラウンド(必ずどちらかに優劣をつける)で、そのラウンド3分自体の内容も甲乙着けがたい場合には、そうした表面化されなかった僅かな差がここへ来て反映される。
お客さんはおろか、選手自身もその事を理解していない場合が多いよな。

観てる人は1Rの頭から最終までを通して見てる。
通して見ると、僅差でも、あ〜、何となくこっちの方が押してたような気がするな、と。
ところがジャッジは1R毎にジャッジを提出しなければならない。
そうすると、表面上反映されていない微差は10−10の中に封印されてるから、全部足してみると、全体を通してみた印象と、ラウンドごとに刻んでつけた採点の足し算の和の数字とで、必ずしも同じ結果が出るとは限らないのも、実はこのジャッジングの盲点なんだな。
通して見ると何となくA選手の勝ちだと思うのに、ジャッジを集計したら30−30のドローだった、みたいな。


とにかく、この第1Rは間違いなく10−10だ。

第2ラウンド。
魔裟斗の有効打によるクリーンヒットが、何度も佐藤の顔を仰け反らせる。
このラウンドは文句なし、魔裟斗10−佐藤9だ。

さて、問題の第3ラウンド。
今回から採用されたオープンスコアリングシステムにより、1ポイントリードされている事を認識している佐藤が勝負に出た。
見事なダウンを奪った時は、武道館が歓声と悲鳴で充満した。

この時点では佐藤10−魔裟斗8が確定した。
あのダウンは、フラッシュダウンではない。
明らかにダメージのあるダウンだからな。

しかし、佐藤が見事なら、これまた見事だったのも魔裟斗だ。
あのダメージから立ち上がり、ガンガン攻めて劣勢を挽回した。
この挽回を、2名のジャッジが支持・評価した。
1ポイントの挽回だ。
ダウンの後もあのまま魔裟斗が攻められ防戦一方だったら、9−8(10−9)には絶対にならない。
しかし、あのダメージを克服しての怒涛の反撃は1ポイント挽回に十分足り得ると2名のジャッジが判断した。
だから1名は10−8、二名は9−8。
3名のうち、過半数が支持した判定は有効だからな。

ここでひとつまた、ポイントがある。
K−1オフィシャルルールのペーパー上は、『常に優勢の選手を10点として、劣勢の選手から減点していく採点方式』を謳っている。
10−10,10−9,10−8,10−7というふうにね。
しかし例外として、今回の魔裟斗の様に、ダウンした選手が挽回した場合を10−9とすると、理解している人はいいんだけれども、理解していない人は、『何でダウンしたのに10−9なんだよ』って事になる。
そこで、魔裟斗はダウンしたからあくまでもマイナス2の8点、佐藤はその後挽回されたからマイナス1の9点と表記すると、お互いの攻勢というか得点というか功績というか、そういったものがちゃんと点数上にも反映されて、数字を見ただけで、『ああ、魔裟斗はダウンしたからマイナス2の8で、佐藤が9って言う事は、魔裟斗が挽回したからマイナス1の9なんだな』っていうのがダイレクトに判る。
10−9と表記すると、今の『』の経過を経て、じゃあ一方を10にしたらもう一方は何点?っていう計算が必要になるって事は、理解するのに1プロセス作業が追加されるだろ?
今回、もちろん大会前に決定はしているんだけれども、暫定的にこのジャッジ方式を採用した。
あくまでも優勢を10と統一するのか、後述の方法を正規に採用するのかは、今後の論点となってるんだけどな。

で、そうすると、トータルで29−28で佐藤を支持したジャッジが1名。
28−28のドロー判定が2名。


ルールに従って延長戦に入ったのは順当なんだって。

ところがマナーのなっていない連中が、リングに向かってペンライトやペットボトル、缶の飲み物を投げ付けた。
そういう事が、選手の激闘に水を差し、K−1という競技の格を落としてしまう事に、イベントを育てていく立場のファンが何故わからない?

確かに、MCのボンバーさんが、ジャッジの読み上げで一人目のジャッジの名前をコールした後に、点数をコールするまでに随分間が空いた事で、連中は≪何か採点に手心を加えているのじゃないか?≫と邪推したのだろう。

K−1という大会は、リングの上も下も伏魔殿だ。
つまり、魔物が潜んでる。
それは、大会が大きければ大きいほど、試合のボルテージが大きければ大きいほど顕著に現れる。

あのベテラン一流リングアナのボンバーさんが、28−28、28−28、29−28とあるのを見て、

『!!?? これ、29ですね!? 28じゃないですね!? 29ですね!? 間違いないですね!?』

と確認をしてしまったのだ。
名前を読み上げる前なら良かったのだが、読み上げてからそれを確認した。
こういう、まぁボンバーさんには悪いけども、ミスが起こるのが伏魔殿の恐ろしさだ。

魔裟斗のファンがあの状況で物を投げる必要は無い。
ダウンしながらも首の皮一枚で繋がって延長に持ち込めたんだから。
そうすると、勝ったと思った佐藤のファンってことになる。
でもな、それをやっちゃったら、まず佐藤の激闘、強さ、メンツが丸つぶれだって事を、何故わからないのかね?
佐藤は、ジャッジに則った試合=ゲームには負けたが、ダウンを奪ったという意味では、勝負には勝ったのかも知れないもんな。
その佐藤の強さに、ファン自身が泥を塗るのか?

魔裟斗を勝たそうとしてるって?
考えてみろ?
誤解されるのは許せないので敢えてこういうことを言うが、
もしも万が一にもそんなくだらない発想で神聖な採点を操作をしようとするなら、無理矢理魔裟斗を勝たせる理由がどこにある?
魔裟斗自身は、己の力であの執念で、頂上を目指してるんだぞ?
K−1が無理矢理魔裟斗を勝たせて、それで魔裟斗が喜ぶのか?
そんな事したら、魔裟斗がK−1を軽蔑するぞ?
あの、命を削った戦いを見れば、K−1が魔裟斗を無理矢理勝たせる必要なんてどこにもないだろうが?

それよりも、魔裟斗が勝ったら、そして優勝したら、彼はもう燃え尽きて引退しちゃうかも知れないんだぞ?
佐藤は佐藤で、来年を、魔裟斗なきK−1を、日本人ナンバー2のレッテルの呪縛に苦しみながらこれからも戦っていかなきゃならない。
どんなに頑張って結果残しても、『魔裟斗には勝てなかった』って言われる訳だ。
どちらもK−1にとってはマイナス材料だろうが。

けれどももし佐藤が勝ったら、魔裟斗は彼に負けたままでは終われないだろうよ。
嫌でももう一年頑張るだろうし、一方で魔裟斗越えを果たした佐藤というニュースターが誕生する。
魔裟斗と佐藤が競うから、今のK−1はこんなに盛り上がってるんだから。

そこに魔裟斗を無理矢理勝たそうとする理由や必要なんてないんじゃないのか?
まぁ、あくまでもこれは俺個人の考えだけどな。


俺たちには、ジャッジ泣かせの試合っていうのが数限りなくある。
その時には、

≪K−1はただ強い者が勝つ!!≫

そう自分に言い聞かせてジャッジするんだ。
俺たちが、どれだけ身を削り神経をすり減らし、ホント、魂、精気を吸い取られながら必死で取り組んでるか知ってるか?
判定を冒涜する事はK−1を冒涜するに等しい。
それがファンのする事か!?

確かに、邪推を招くようなドタバタがあったのは事実だ。
だからといって、神聖なリングに物を投げて混乱させていいというルールがどっかにあるのか!?
どれだけ判定が気に食わないって文句言ったっていいよ。
俺たちのポジションって言うのはそういう避雷針みたいなポジションだから。
しかしな、二度とああいう事をするな。

飛んできたペンライトが俺の耳の下にも直撃して、さすがの仏の角さんもブチ切れたよ。
ホント、俺が連中と同じ馬鹿者だったら、一気に二階席まで駆け上がって胸倉掴んで武道館の外に引きずり出してただろうな。

まぁ、怒るのはこれくらいにしとこうか。

それにしても魔裟斗という男は、ホント、見事な男だわ。
もうあんな選手、絶対出てこないと思うよ?

素質と才能って違うと俺は思う。
で、素質のある奴って、実は河原に転がってる石ころの数ほどたくさんいると思うんだ。

要は、その素質を開花させる為に惜しまぬ努力を出来るかどうか?
それが才能なんだな。

今の日本人ファイター(ミドル級もヘビー級も含めてな)で、その才能を持ってるのは魔裟斗と佐藤とHIROYAくらいじゃないか?

韓国、そして武道館と重い大会が続いて、俺はもうすっかり精気が干上がって、大好きなトレーニングをする気力すら湧いて来ないよ(苦笑)
しばらくどっかに消えてしまいたいくらいだ(涙)
選手同様、審判も命吸われてるんだよ?
どうかファンの皆様、ご理解いただきたい。