周りを高層ビルで囲まれた大都市圏に住む人間にとっては街の一角に公園があるというだけで
非常に心が落ち着き、公園の重要さをより感じることができます。
公園には緑が多く街の景観を良くする効果や地球環境に悪影響を及ぼすCO2の排出も抑える効果があるため、
公園の設置は街の住民にも非常に喜ばれるそうです。
これは日本と韓国においても同じだと思います。
私は外国を旅行する際は必ずと言って良いほど旅行先の国の公園を訪れるようにしています。
公園と言っても国などが運営している大きな公園ではありません。街角にあるような小さな公園です。
このような小さな公園にこそ、その国の特徴を身近に感じることができると思うからです。
植えられている木、花、遊具などにもそれぞれの国の特徴があります。
私は韓国も何度か旅行しており、色々な街の公園にも多く行きました。
そこで韓国の公園の特徴を知ることができました。
そして、それは日本とは大きく違うものでした。
やはり同じアジア圏の国、公園自体には特に日本との違いを感じることはできませんでした。
私が感じた日本との大きな違い、それは公園から人間味が感じられるかどうかの違いです。
私は韓国で色々な公園を訪れたにも関わらず、韓国の公園では子供達が遊んでいる姿を
ほとんど見ることができませんでした。
子供達の遊んでいる声や姿が見られない公園は何というかとても寂しいものでした。
日本では公園を訪れれば必ず子供達の笑い声や遊んでいる姿を見ることができるのに。
韓国の公園は何というかただの無機質な飾り物みたいに感じてしまいました。
何故、韓国では日本のように子供達が公園で遊ばないのだろう。
日本も韓国も家の周りには車が走っていて子供達の遊べる場所が限られている環境は同じだというのに。
私はずっとそれを疑問に思っていましたが、韓国社会の遊びに対する日本との考え方の違いを知り
その疑問も解決することができました。
韓国における子供達の遊び、それはあくまで『PCによるオンラインゲーム』なのです。
韓国は史上空前とも言われる学歴至上主義の社会構造になっています。
幼い時からその社会構造の餌食になっています。
韓国の子供達にとって短時間で多くの友達と遊ぶことのできる唯一の手段がオンラインゲームという訳です。
これを証明するように公園では全く見なかった子供達の姿をネットカフェで多く見ました。
遊びに多くの選択肢を持っている日本の子供達とはえらい違いだと思いました。
そう言えばここの掲示板でも韓国人から「オンラインゲームは大勢の友達と遊ぶことができる。
日本の家庭用ゲーム機のように少ない人数で遊ぶゲームは友達のいないオタクのすることだ。」という
意見を多く見かけます。
私はこの韓国人の考えこそが上で言った公園に人間味が感じられるかどうかの違いに
表れているのではないかと思っています。
私はオンラインゲームというのはあくまで仮想空間での出来事で、
実際に人々が顔を合わせる遊びとは別のものだと思っています。勿論、日本言論も同じ考えでしょう。
あくまで韓国の事情ですので私が強く言う事はできませんが、
韓国人の考えは少しずれているのではないか、私はそう感じてしまいました。
