2008-10-04
教育することの面白さって何だろう?
「りんごアンテナ日記」さんというニュースサイトがあって、よくぼくの記事を紹介してくれている。
とてもありがたいことだ。
ところで「りんごアンテナ日記」さんの管理人さんは塾を経営なさっているらしい。とても素晴らしいことだ。ぼくも最近どうにも教育というのに興味があって仕方ない。ぼくの場合は誰かに何かを教えることを仕事にしているわけではないのだけれども、それでも人と接することがあって、そういう時に教育欲がむくむくと頭をもたげたりする。そうなったのは比較的最近からだけれども、もともと誰かに何かを教えるということは好きだった。ぼくにはぼくの大好きなものというのがたくさんあって、それを誰かと共有したいという思いがとても強いのだ。そしてできればそれをぼくと同じように面白いと思ってもらえたら最高だ。
教育ではないが、誰かに何かを教えるということはずっとしてきた。自分の大好きなものを見つけてきて、それを人に教えるのが大好きだった。あるいは自分が受けた喜びや感動を伝えるのも好きだった。自分にとって素晴らしいものを見つけると、それを誰かに伝えたいという気持ちが昔から強かった。
そんな中で、何人かの子供たちと接する機会もあった。そうして、よく言われることだけれども、子供はとても面白いと思った。子供が面白いのは何よりよく響くからだ。教えたことを受け取るにしても反発するにしても、いずれにしろ大きく響く。とにかくリアクションが大きい。そしてこちらが思ってもみなかったようなリアクションを示す。予想外の反応をする。そのいちいちが面白い。
子供はダイナミックだと思った。そして子供に何かを教えるのはスペクタクルだった。子供が面白いと言われるのはこういうことなのかと、ぼくはその時初めて知った。そうして、それまでは特に子供が好きというわけではなかったのだけれど、それ以来子供にとても興味を持つようになった。
そんなふうに子供と接する中で、いくつか学んだことがあった。それは人間関係についてだった。
そこではいくつかの失敗といくつかの成功があった。そうして、ああこういうふうにすると良いのだなというのをいくつか知った。またこういうふうにしてはいけないのだというのもいくつか知った。
まずしてはいけないのは、子供と対等な目線に立つということだった。子供に目線を合わせようとすることだった。
子供というのは、この世の身も蓋もなさを大人以上によく分かっている。そこにはよりプリミティブな形での上下関係があって、彼らはそれをとても素直に受け入れている。
彼らにとって、人間関係とはまず上か下かのどちらかなのである。人間は平等だなどというややこしい感情はあまりない。だから、自分に目線を合わせようとする人間に対し、子供は警戒心を持つのだ。有り体に言うと、胡散臭さを感じる。
中でも取り分け良くないのは、話し方を合わせようとすることだ。よく赤ん坊に「あらぁ、どちたのでちゅかぁ、なにをちてるのかなぁ?」などと気持ち悪い話し方をする人がいるが、そういう人が赤ん坊に好かれているのを見たためしがない。赤ん坊は、まずそういう気持ち悪い話し方をする人を嫌う。赤ん坊は、もっと普通の話し方をする人が好きなのである。そういう気持ち悪い言葉じゃなく、「おいおい、どうしたんだ、何してんだよ?」と普通に話してくれる人の方が、ずっと好感が持てるのだ。
これは赤ん坊だけに当てはまるものではない。小学生だろうが中学生だろうが高校生だろうが、子供は子供の目線に合わせた話し方をする大人を嫌う。もっと普通に、その人が普段話している言葉遣いで話してくれる人の方を好む。それも、対等の立場ではなく、できれば上から目線で話してもらった方が落ち着く。胡散臭くない分、信用できる。
そこにはもちろん、毅然とした態度とか、確固たる自信とか、それを裏打ちする実力とか、経験とか、そういうものも必要だろうが、子供は何より大人には大人でいてほしいのだ。上なら上でちゃんと上であってほしいのである。その方がずっと落ち着くし、良い人間関係を築けるのだ。
だから、その分大人には責任というのが求められる。子供の上に立つのなら、上に立つだけのことを行動や言動でしっかりと示さなければならない。でないと子供に示しがつかない。子供に限ったことではないが、人はいつでも上に立つ人間を厳しい評価の目で見つめている。そうして、上に立つだけのことができていなければ、とたんにそれ以上の友好的なコミュニケーションをはかろうとしなくなる。だから、ぼくは子供の前にいる時はいつも身の引き締まる思いだった。いつだってその評価の目にさらされ、強い緊張感を強いられた。しかしその緊張感は、けっして居心地の悪いものではなかった。評価の目にさらされ続けるのは、むしろ凍てつきながらもからりと晴れた冬の日の朝のように、すがすがしく気持ちの良いものだった。
それから子供と接していてもう一つ思ったのは、自分の価値観をけっして押しつけてはいけないということだった。しかしそれは、価値観を表明しないということではない。それはむしろ積極的に出していく必要があった。旗幟鮮明にして、自分の立ち位置を明確にしておく必要があった。そうして、良い悪いをはっきり言う必要があった。好きと嫌いをはっきりと告げる必要があった。
その上で、相手の選択を否定しないということがだいじだった。いや、否定しても良いのだが、否定するだけにとどめると言うか、それを変えさせようとしてはいけないのだった。いや、変えさせようとしても良いのだが、それを無理強いしてはいけないと言うか……とにかく難しいのだが、子供と接する時には、そういうふうに価値観を激しくぶつけながらも、それだけにとどめて、どこかで一線を引く必要があるのだった。
どんなに良かれと思って勧めたことでも、それをどうしても受け取ることのできない子供というのはいる。しかしその受け取らなかったことを否定してしまうと、もうそれで全てが台無しになってしまうのである。これは子供に限らずそうなのだが、人は誰しも非常に頑なで譲れない部分というものを持っている。時には自分自身でさえ直したいと思っているのに、どうしても直せない部分というのを持っていたりもする。
それを否定してしまうと、もうその子とのあいだには信頼関係を築けなくなるのだ。もうその子は二度と心を開いてくれなくなり、それ以上のコミュニケーションが成り立たなくなる。だから、子供と接する時には、子供のそういう部分も受け止める必要があるのだった。受け止めるだけではなく、むしろ積極的に認め、時には誉めてあげる必要があるのだった。
そういう時に痛感するのは、結局人は人に影響を及ぼし得ないということだ。人間は結局自らの選択するところに従って生きていく。他人が何を言おうが、それを取捨選択し実際に行動に起こすのはその人自身だ。
だから、教育というのはある意味とても虚しいことなのである。教えるというのはあまりにも無力だし、また教えることそのものにははっきり言ってなんの意味もないのだ。
そうした虚しさや儚さを受け入れられるようでなければ、教えるということの本質にはとうていたどり着けない。教育には、そういう諦観を強要される部分がある。他の何にもまして身も蓋もないしナンセンスだし儚い。
しかしだからこそ面白いのだとも言える。だからこそやりがいがあるのだ。ぼくはそこにとても本質的なものを見た。教育というのはこの世の本質に限りなく近い場所にある営為で、それは芸術ととてもよく似ている。ぼくが教育に興味を覚え、引かれたのは、その部分が大きかった。ぼくが一生懸命教え、伝えようとしたことが、結局伝わらなかったことの虚しさ。あるいは伝わったとしても、そこに自分が及ぼした力はほぼなかったということを知った時の儚さ。そういう虚しさや儚さが楽しかった。そういう虚しさや儚さを味わった時に、ぼくは、この世に生まれてきたことの喜びを、また一つ味わうことができたのだった。
最後にもう一つ、子供と接していて思ったのは、核のある子とない子がいるということだった。ただし、これは子供に限らない。全ての人間は、核のあるのとないの、二通りに分けられる。
このイメージは、ぼくはもうずいぶん前から持っていた。それは言い換えれば「自信」と言っても良い。世の中には、核(自信)があってどこか堂々としている人と、核(自信)がなくてどこか不安げな人の二通りがいる。どちらが良いとか、どちらが悪いというわけでもない。どちらにも一長一短があり、そのあるなしが人間そのものの価値を決めてしまうわけでもない。
それでも、ぼくはできれば核はあった方が良いと考えている。それは、ぼく自身が核のない人間で、それでずいぶん苦労したという思いがあるからだ。今振り返ると、苦労した分いろいろ学べたこともあるから、核がないのは本当に悪いことばかりではないのだが、それでも、あるのとないのではやっぱりある方が良いと思ってしまう。ないものねだりかも知れないし、隣の芝生は青いからなのかも知れないが、自信を持って堂々としている人を見ると、いつだって羨ましいと思ってしまう。
だからぼくは、そういう核がない子供を見ると、なんとかしてそれを植え付けることはできないものかと、傲慢かも知れないが考えてしまうのだった。そしてその方法としては、一つしかないと考えていた。
それは子供を誉めることだった。その子の一番良い部分を見つけ出して、心から誉めることだった。
その誉める部分は、相手にとってもまた自分にとっても本当に良いと思える部分でなければならない。そうでなければ、こちらの誉め言葉に嘘が混じってしまう。迷いが生じてしまう。それでは、心から誉めたことにはならない。心の底から相手を認めたことにはならない。
だから、まずはそれを一生懸命探さなければならなかった。それは、簡単に見つかる子なら何の苦労もなかったが、しかし中には誉めるところを見つけるのが大変な子供もいた。それでも、そこで諦めてはいけなかった。誰にでも、必ず一つは誰からも認められるような美点というのを備えているはずだった。だから、それを信じてなんとか見つけるよう努力し続けることが肝要だった。そうして、諦めることなく探していれば、いつかは必ず見つかるものであった。
そうやって見つけたら、あとはそれを心から誉めれば良いのだった。それは、誉めるところを見つけるのよりは簡単だった。なぜなら、それは自分にとっても素晴らしいと思える美点であるのだから、そのことを素直に言えば良かったからだ。ただし、毎度同じような言葉だとマンネリになるので、言い方だけは工夫した。しかし、その内容はいつも一緒だった。とにかく、その良いと思ったところを間断なく、しつこく、何度も、くり返しくり返し誉めるのだ。
さらに、そこで留意しなければならないのは、その誉め言葉に対して見返りを求めないことだった。それがけっして自分の得にはならないようにすることだった。むしろ損になるくらいの方が良かった。誰かを誉めたことによって、自分が不利益を被るくらいの方が良かった。
なぜなら、そういうふうに損得勘定抜きでかけられた誉め言葉というのは、その人間関係が途切れた後でも、相手の心に核となるものの種を残すからである。そうして、その種が成長すれば、それはやがて真珠のような宝石となるのだった。キラキラとした、その子にとっての核となるのだった。
その種を、宝石とするかただの石ころとするのかはその子次第である。しかし、誉め言葉には、少なくともその種を植え付ける力はあると思っていた。だから、ぼくは誉め言葉をかけたいと思った。そうして、その種を植え付けたいと思ったのだ。
それが、ぼくが子供たちと接している中で考えたことだった。そうして、うまくいったかどうかは別にして、なんとかやろうとしてきたことだった。
教育というのは、本当に面白いと思う。もし教育をして何か得があるとすれば、その「面白い」ということくらいだろう。しかし、それで十分ではないかと思う。人生を、楽しいことも苦しいことも嬉しいことも悲しいことも全部ひっくるめて、「面白く」生きられたら最高だ。
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