◇ 線維筋痛症の初期(発症後6ヶ月)
月下美人さん
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先生こんばんは。○○県△△市の□□□□□です。
月曜日からの5日間丁寧に診察していただいて本当にありがとうございました。
実は,出かける前までは本当に大丈夫なのかな?星川医院って実際に存在するのだろうかと,
心配していたのですが。月曜日の午後の診察に何とか間に合った私を笑顔で迎えてくださった先生にお会いして
その心配は吹き飛んでしまいました。
先生の笑顔はとってもチャーミングですね。
そして,スタッフのみなさんも,あんなに忙しい診療なのにこちらが恐縮してしまうほどとても暖かく親切にしていただいて驚いてしまいました。
長期滞在のみなさんが,つらい治療を乗り切ることができる理由がわかったような気がします。
さて,私は地元でこれからの治療のパートナーを見つけなければなりませんが,もし見つからなくても,また先生に会いに行けるかな?
と心の中で思っています。
先生,どうか無理しないで私の心のおひさまでいてくださいね。
また,時折メールします。
ありがとうございました。
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山形で治療を体験してから、美濃の国へ帰っていかれた女性からのメール。
遠方より山形に来られる方たちはみな個性的で特徴があるが、彼女の表情はまた一生忘れがたいものであった。
最初の二日間はめそめそ泣き通しで、よほど「泣き虫毛虫」さんとニックネームをつけてやろうかと思ったくらいだったが。
その彼女が3日目からにこやかな笑顔に変った。
その3日目。
「先生、わたし、考えを変えたんです」
「ハンカチタオルは?」
泣き通しで、手放すことの無かったハンカチタオルを持っていない。
「だって、せっかくここに来たんですから、泣いてばかりいるのは勿体ないって気がついて」
「ああ、そりゃ良かった、めそめそ泣いてると馬鹿みたいだしね^^」
「先生、あのね」
「うん?」
「先生は、私のことを、早期の線維筋痛症だとおっしゃいましたけど、私にとっては・・・」
「わかる、わかる、その気持ち。だって、他の人とは比べられないよね?」
「ええ」
「あの、あなたも看護師さんだからこんな話をするけど、たとえ話として、もしもね、大海原で豪華客船の火災があったとして、僕たちがその救助に行くと仮定するとね・・・」
「??」
「その客船の中に、100人の乗客がいたとして、僕たちがたった20人しか助けられないと仮定すると、いったい誰から助ける?」
「順番ですか?」
「うん、その基準は?・・・子供?・・・大人?・・・妊婦さん?・・・お年寄り?・・・女性、男性?」
「・・・、そんなぁ、決められません!」
「どんどん燃えているのに、そんなことは決められない」
「ええ」
「手当たりしだいだよね?」
「・・・」
「とにかく理屈も何もなく、手当たり次第に助けるほかはないよね?」
「ええ」
「実は線維筋痛症も同じようなことがあって、現代医学では線維筋痛症を治せると言っている人がほとんど見当たらない状況だから、われわれとしては、ここに助けを求めに来た人を手当たり次第に助けるしかないわけだ」
「・・・」
「それにもうひとつ、助け出した人たちがやけどを負ってしまっていても、その手当に十分な時間をかけられないとするとどうする?」
「できることは自分でってことですよね・・・?。でもね、自分では出来なかったら?」
「われわれ医者を使えばいいの」
「どうやって?」
「医者だって同じ人間で神様ではないんだからなんでも全部できるわけじゃないよね?だから、色々な人をうまく使って、薬をもらったり、注射してもらったり、漢方を出してもらったり、あん摩してもらったりと、臨機応変に考えて」
「お医者さまでなかったら、治せないんじゃ?」
「そんなことはないよ、だって、線維筋痛症っていう病気は、その人の生活とリンクしているものだから、自分の筋肉をどのように使って生きていくか?子供達との付き合い方をどのようにするか?ご主人との関係をどのようにするか?お舅さん、お姑さんとの関係をどのようにするか?などということをうまく考えなければ、いくら病気を治したってまた再発するし」
「難しいんですね?」
「線維筋痛症を治すのはそんなに難しいことじゃないけど、使いながら筋肉を治していくって言うのはとっても大変だし、さらに、治ってからそれを維持していくのもまたとっても大変でね。で、急所は覚えた?」
「ああ、こういうことですか?」
腕に手を回して急所の一つを握ってみせる彼女であった。
「うん、そうそう、その調子!」
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まだめそめそ泣いたりすることの無かった初日。
「飛騨の高山に咲いている花は?」
「あの、その山は遠くなので」
「あ、そう?じゃ、好きな花は?」
「え〜と。お庭にね・・・、月下美人が咲いています」
「ハワイの?」
「え?」
「いやね、僕がはじめてその花を見たのがハワイだったから」
「ええ、たぶん、同じで、夜にだけ咲きます」
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彼女がこの山形を立つ前の日の夜は、絹のような雲がなびいた優雅な満月であった。
夕暮れ時に山形空港から名古屋空港に飛び立っていった彼女を、家族のみんなと一緒に、きっと月下美人も迎えてくれたことだろう。
2008年(平成20年)7月19日(土曜日)
2008年(平成20年)7月20日(日曜日) 星川 匡
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