提橋和男の新管理人のつぶやき

(2008/10/06)


提橋和男の新☆管理人のつぶやき 1116

依正不二の理(えしょうふにのことわり)

「水からの伝言」について考える

水からの伝言
水からの伝言

主題の言葉は仏法の言葉である。私は電解還元水に出会って、この水のよって「病のない社会が作れる」という医学博士の言葉に感動し、「水商売」と揶揄される世界に飛び込みました。
「世間はこの水を認めないが、この水が普及すれば病のない社会が作れる。提橋さん。普及に力を貸してください」。
博士は私の手をにぎり、涙を流さんばかりに、そういわれたのです。

今から15年前のことです。当時は電解還元水の効能・効果は仮説でした。医学界でようやく「病と老化の元は活性酸素」と言われだした頃だったようです。
電解還元水については、電気分解した陰極側の水には水素が含まれ、この水素が体内の病と老化の元である活性酸素を還元し、水となって体外に流しだしてしまう。結果、私たちは健康を保てるし、老化を防ぎ若さを保ちことができるという仮説でした。

私は、この話を聞いて、でも人間が実際に電解還元水を飲んで、体内で、言われるように活性酸素に反応して効果があるのかどうかは、試してみなければ解らないと考え、母親や,病気の人に試しました。
そして,自分はもちろん、母をはじめ、還元水を飲用した人に効果があったのです。
私は「人を助けることができる、素晴らしい仕事に出会った。天の導きだ」と本当に思いました。ですから、三菱樹脂で電解還元水の仕事に携わり、結局リストラになりましたけれど、他の仕事につくことなく、この仕事を継続して今日に至っています。

電解還元水の仕事は順調であったわけではありません。医学博士の言葉の通り、世間は「水で、水なんて」と嘲笑し受け入れてくれませんでした。結局、三菱樹脂は、この事業から撤退し、私はリストラになったのです。しかし、世間の目とは関係なく,私は水の力に魅せられ、科学の世界は了見が狭く、水について嘲笑は多くありましたが、真摯に研究をしようという動きが少なかったことを、いつも残念に思っておりました。

「いかに科学が発達しても、この宇宙空間には、まだまだ科学の発見できぬ真理や、科学研究の対象外の領域に属する真理が無限に等しく存在しているのであり、そのことは、近代科学が進歩するにつれ、かえって思い知らされた厳然たる事実である・・」と、ある文献にあります。つまり科学で解っていることなど、ほんのわずかで解らないことばかりなのだというのが現実です。
ところが、世の中には頭の良い無知なる人々がいて、吾こそ万能なりと、批判を展開している輩が存在する。

江本勝氏の「水からの伝言」=いわゆる水の氷結結晶写真=についてもウエイブ上で多くの批判があります。それに対して私も反論を載せたことがありましたが、今回、仏法のお話を聞く機会があり、その中で,水の氷結結晶写真についてヒントになるお話がありましたのでご紹介いたしましょう。

仏法と科学について、仏法では既に三千年前に今日の宇宙・天体の姿が説かれているという。

以下は仏法について伺った話のなかの抜粋です。

仏法では、「三千大千世界」ということが出てくるが、「三千大千世界」とは、太陽を中心とする、月、地球、他の惑星等をひっくるめて一世界とし、これを一千万集めたものを一小千世界、さらに、これを千個集めたものを中千世界、そしてさらにこれを千個集めたものを大千世界、もしくは三千大千世界という。
また、「五百千萬億那由他阿僧祇」とは、五×百×千×万×億(今日の単位でいえば十万)×那由他(今日の単位でいえば1千億)×阿僧祇(今日の単位でいえば1兆の四乗×1千)ということであるから、「五百千萬億那由他阿僧祇の三千大千世界」とは三千大千世界が、五×百×1千×万×十万×一千億×1兆の四乗×千個も集まった世界をさすことになる。そして、このような世界が、さらに無数に集まって、無限の大宇宙をおりなしている、と説かれているそうです。

今日の天文学によれば、太陽を中心とする我々の太陽系のような惑星群、それがい千億個も集まって、直系約十万光年という巨大な銀河系の星雲となり、この小宇宙とも呼ぶべき星雲が、さらに数十から数千乃至数百億個も集まって、おおきな星雲団を構成していることが確認されている。
しかも、この宇宙には、そうした大星雲集団が無数に存在しているというのであるが、現在の天文学は、いまだ、その全貌を観測するまでに至っていない。

仏法に説かれた宇宙観と、近代天文学によって確認されつつある宇宙観を比較してみるとき、細かな数値の違いはともかく、基本的な宇宙観については、両者のあまりに正確な符号に驚かされる。しかも、片や、望遠鏡も何もない三千年前に説かれた仏典であり、片や、現代の天文学がようやく到達した観測結果であるから、まさに驚愕に値するのではないだろうか。
さらに、仏法では、地球からみた十方ー宇宙のいたるところに、地球と同じような、無数の国土・社会が存在し、先覚者が仏法を説き、民衆を教化救済しており、それは、過去から現在、未来にわたって行われていると教えている。
仏法の教えを後世になって科学がそれを証明しつつあるという図式が見えてくる。

さて、本日の本題は「依正不二」である。依とは依報(えほう)といい、我々を取り囲んでいる全ての国土,環境でありその環境のなかに我々衆生が正=正報(しょうほう)が存在する。そして我々衆生=正報と依報(環境)は身と陰のごとく一体不可分の関係にあるのです。さらに身がなければ影がないように、正報がなければ依報がないといわれていますが、これは我々を取り巻いている国土・環境というのは我々衆生と関係なく存在しているのではなく、実は衆生の生命の反映によって決定されると説かれています。
また逆に「正報は依報をもって作られているーすなわち、正報たる衆生の生活は、依報たる国土・環境に縛られ,左右されるとも示されています。このように仏法では衆生と国土・環境の深い関係を説いています。

今日問題になっている地球温暖化と我々人間との関係を考えればご理解いただけると思います。

このように仏法では、正報と国土・環境の深い相互関係を説いていますが、これは現代科学でも分々明らかにされてきていることだそうです。
たとえば、我々の身体を構成している元素と、宇宙や国土を構成している元素は、同一のものであるということが、今日既に解明されているそうです。

また、我々人間の心が、意識を持っていないはずの植物に反映して、その成育にまで多大な影響を与えている、ということも、バクスター理論をはじめ、数々の実験で判明しているそうです。
「バクスター理論」というのは、バクスターという人が実験によって発見したもので、嘘発見器を改良した計器を取り付けて、そのサボテンに対し、「火をつけて燃やしてしまおうか」というように、憎悪の心を抱いて接すると、計器の針が大きくゆれて恐怖を示し、逆に,優しい心で接すると、針の動きは穏やかになる、というのです。
また、それとは別に、同じ条件下に置かれた二つの鉢に対し、毎日、片方には罵り言葉をなげかけ、片方には愛おしむ言葉をかけて育てた所、愛おしむ言葉をかけた方はスクスク育ったのに、罵り言葉をかけた方は、まるでツタのようの地を這って、上に伸びなかった、という実験結果もあるそうです。
こうしたことを通じ、科学的にも、やはり人間の心が植物の生育にも影響を及ぼしている、ということが判ってきているといいます。

精神作用のないはずの植物に我々の心が反映して、その生育まで大きな違いが出てしまうということは、実に驚くべきことですが、これは植物に限ったことではなく、そこに住む住民の心の状態が、水の結晶の形を全く変えてしまう、という実験結果も報告されています。

このようなことから、我々を取り巻く植物、無生物、全ての環境が、そこに住する我々衆生の心の状態によって決定的な影響を受けている、と見ることができます。まさに、仏法が説く、”依正不二"の理が、今日の科学の進歩により、また、さまざまな実験によって、真実であることが証明され始めています。(この後に仏法の教えが続きますが、本題の主旨ではないので省きます)

仏法の教えでは、我々衆生、つまり人々の思いが、我々を取り巻く植物、無生物、全ての環境に影響を与えているというのです。つまり自然現象も経済の動向も,我々衆生、つまり人々の思いが反映している。そして我々衆生は、我々衆生の思いが反映した環境・自然現象・経済の動向などの影響を受けて生きていくことになるので、この二つは切り離すことの出来ない関係にある=依正不二であると仏法は我々に教えているのです。

その証として「バクスター理論」や「水の氷結結晶写真」の例が紹介され、仏法の教えの正しさを科学も明らかにしつつあるのですが、現代科学は「現象」までは明らかにしたが、なぜそうなるのか科学的根拠はまだ解明できていないのです。つまり、現代科学はまだ仏法の域にまで追いついていないのです。

さて、「依正不二の理」という話を聞いた私は、先に述べましたように江本勝氏の「水の氷結結晶写真」=水からの伝言=を批判している人たちがいますが(それも言葉汚く江本氏を侮蔑するような発言も含めて)、彼らの科学者としてに思慮の薄っぺらさ(勉強不足)をさらけ出しているだけだと思えてしまいました。
言葉によって,水の氷結結晶が変わるなんてエセ科学、中には「水からの伝言を信じないでください」http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/fs/というサイトを開いている物理学者の方もおられます。その前段の部分をご紹介いたします。

水に『ありがとう』などの『よい言葉』を見せると、きれいな結晶ができて、『ばかやろう』などの『わるい言葉』を見せると、きたない結晶ができる」というのが「水からの伝言」というお話です。テレビで芸能人が取りあげたこともあるし、小学校の授業の教材として使われたこともあるそうです。

『水からの伝言』より、愛・感謝の文字を見せた水の結晶写真
『水からの伝言』より、
愛・感謝の文字を見せた水の結晶写真

しかし、これまでの科学の知識から考えれば、水が言葉の影響をうけて結晶の形を変えるということは、けっして、ありません。本や写真集には、実際に試してみたという「実験結果」がのっています。でも、これは、実験する人の「思いこみ」が作りだした「みかけ」だけの結果だと考えられます。ただの「お話」と思って聞くならいいかもしれませんが、事実だと思うのはよくないでしょう。

それに、どんな言葉が「よく」で、どんな言葉が「わるい」かは、私たち人間がいっしょうけんめいに考えるべき、人の心についての大切な問題です。水に答えをおそわるような問題ではないはずです。また、「きれいな結晶なら、よい言葉」というように、見た目のきれいなものが「よいものだ」と決めているのも、私には、おかしく思えます。ものごとを、見かけだけで決めてしまっていいのでしょうか?

人の心は、すばらしい力をもっています。ほかの人たちを思いやる心、愛と感謝の心は、とても大切です。しかし、それと「水が言葉の影響をうける」という「お話」には、なんの関係もありません。

私たちは、学校の授業など、教育の場に「水からの伝言」をもちこむのは、絶対によくないことだと考えています。

このページでは、「水からの伝言」についての、私たち科学者の考えを、簡単に説明します。 (より簡潔な批判的解説を読まれたい方には菊池誠さんの「水からの伝言をめぐって」をおすすめします。またwikipedia の解説は(2006年11月末の時点では)正確で簡潔にまとまっています。)

水からの伝言に載っている写真は「ありがとう」「ばかやろう」などの言葉によって出来た「水の氷結結晶写真」が載っています。

「ありがとう」の結晶 「ばかやろう」の結晶
「ありがとう」の結晶 「ばかやろう」の結晶

どこからかインチキ写真を持ってきて掲載しているのなら批判は当然ですが、起きている現象について否定は出来ないでしょう。ただ、今の科学では説明できないだけです。
「これまでの科学の知識から考えれば、水が言葉の影響をうけて結晶の形を変えるということは、けっして、ありません。」をガリレオの地動説に当てはめれば「これまでの科学の知識から考えれば、地球が動いているななどということはけっして、ありません。」と言ってるのと同じです。科学は進歩するのです。そして仏法の三千年前の経典に「依正不二」の教えが書かれているのです。

科学に携わる人は、専門馬鹿では判断を誤るということです。広い知識と見識が必要です。

最後に私は質問いたしました。「水に心があって、人間の言葉を理解して結晶ができるのか」と。
答えは次のとおりでした。

主体は正報=すなわち人間であり自分の意志で行動できる。依報は影であり自分の意志で何かすることは出来ない。あなたが鏡をのぞいたら、動物が映っていますか?あなたが映っているでしょう。鏡は依報であって、あなたを映しているだけです。鏡に意思も心もありません。水もその時の人の有様(心の動きや言葉)を映しているのです。水に意思や心があって結晶を作るわけではありません。
依正不二の理の一つの現象として私たちが確認できる一つの例です。科学がやがて仏法の域に追いついてくれば、科学的な説明ができるようになるでしょう。

私は、依正不二の理について100%理解できているわけではなく、説明の誤りがあるかもしれませんので、興味のある方はご自分でお調べください。ただ、世の中で起きている事象現象は必ず因果があり、それは一部の知識だけでは説明できないということをご理解ください。

また、冷静に考えてみれば、批判している人は、ほんの一部で、多くの科学に携わる方々が真摯に研究されているという事実が浮かび上がってくるでしょう。
「いかに科学が発達しても、この宇宙空間には、まだまだ科学の発見できぬ真理や、科学研究の対象外の領域に属する真理が無限に等しく存在しているのであり、そのことは、近代科学が進歩するにつれ、かえって思い知らされた厳然たる事実である・・」という現実を見つめ、謙虚に研究をされている方々が、本物の科学者であると私は思います。