政局2008
麻生首相が所信表明、衆院選視野に対決姿勢
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【即興政治論】元参院議員 平野 貞夫さん Q 『小沢政治』って何ですか?2007年9月4日 7月の参院選で小沢一郎代表率いる民主党が参院第1党となり、政権交代の可能性がより現実味を帯び始めました。自民党を離れ、二大政党制の実現を掲げてきた小沢氏の政治とは何なのか−。これまで小沢側近として二人三脚で歩んできた元参院議員の平野貞夫さんに、「小沢政治」が目指すものを聞きました。記者・豊田 洋一 豊田 かつて自民党の権力中枢にいた小沢氏はなぜ、自民党に代わり得る二大政党制の実現を目指してきたのでしょうか。どんな政治的背景があるのですか。 平野 その理由は、主権者である国民の意思で政権交代できる仕組みでなければ、議会制民主主義ではないという哲学です。米ソ冷戦を背景にした自社五五年体制下では、自民党内で「疑似政権交代」をしてきましたが、小沢さんが自民党幹事長のときに冷戦が終結し、米国の庇護(ひご)下にあった戦後日本が終わりました。そこで、自立した国家として、民主主義を運営しながら国の発展を目指すには、本格的な政権交代の仕組みをつくらなければならないことに、彼は気づいたんです。 豊田 自民党は当時、一九八九年参院選で負けたとはいえ、竹下派を中心とした政権基盤は盤石でした。にもかかわらず、自ら下野する可能性のある制度をつくろうとしたのはなぜですか。 平野 五五年体制は、当時の社会党が表では荒っぽいことを言っても、裏では自民党と手を結ぶという、事実上の自社連立政権だったんです。政治腐敗が生じても、多少の追及はするが、徹底的にはしない。結局、八〇年代には一年に一度、大疑獄事件が起きていました。小沢さんは当時、「政治腐敗をなくすには、なれ合いでない、政治の仕組みをつくらなければならない。派閥政治を温存する衆院の中選挙区制は、小選挙区制中心の制度に変えなければならない」と、はっきり言っていました。 豊田 小沢さんは政権交代可能な二大政党制を目指す一方、政治思想的には自己責任重視、今で言う新自由主義をベースにしました。しかし、小沢さんが今回の参院選で訴えた農家への戸別所得補償制度などは、昔の自民党的なばらまき政策ではないのですか。 平野 小沢さんが、幹事長当時の自民党政治を反省して九三年に出版した「日本改造計画」には、「自己責任」と同時に「自立」という言葉も使っています。厳しい経済競争や国際社会の中で生き抜くには、それまで続いた政官業の談合政治から脱却し、公正で自由な競争社会をつくるべきだという考え方です。私は、現在の小沢さんの考え方も基本的に変わっていないと思います。ただ、小泉政権以降、米国型投機資本主義の強要による地域、弱者の切り捨てが、自殺者増加や雇用不安など、さまざまな社会不安を起こしています。戸別所得補償や子育て助成は、一見ばらまきに見えますが、公正で自由な競争社会をつくるには、基礎的な社会保障は国が責任を持つというセーフティーネットの一環です。自民党型のばらまきとは質が違います。 豊田 一方、外交政策で小沢さんは、国連重視を掲げています。 平野 小沢さんの憲法観の基本です。日本国憲法は、国連憲章を体現した世界最初の憲法ですから、九条で明確に規定している戦争放棄の原理は、徹底的に守る。自衛権は持っていても、武力行使は攻められた場合に限定する。ただ、世界平和は必ずしも理想的に守られているわけではないので、国際社会の物事を決める唯一の枠組みである国連が決定した平和維持には、日本人として積極的にかかわるべきではないか、という考え方です。そこからはみ出して戦前の悪夢がまた世界中に拡散されることは避けるべきだという、確固たる信念です。 豊田 小沢さんには国連を軽視する米国への反発もあるのですか。 平野 反発というよりも、米国に対しては「ここは正しいが、ここがおかしい」と指摘して議論し合うことが、本当の信頼関係を培う原点だというのが、小沢さんの考え方です。小沢さんが昨年九月の民主党代表選に立候補する際に発表した「私の政見」には、日米同盟を一番大事にする、真の日米同盟関係を結ぶには、両国が対等であり、きちんと議論した上で、日米が共同して国際社会に貢献しよう、ということが書いてあります。反米だとか、米国とのトラブルを好んでいるわけではありません。小沢さんの生きがいの一つは、米国で世話になり、帰国後、開国を訴えたジョン万次郎の財団会長を務めていることです。日本人がジョン万次郎の教えを守り、精神の開国をしなければならないと考える小沢さんは、米国に強い尊敬と関心を持つ、真の親米家なんです。 ひらの・さだお 1935年、高知県生まれ。法政大大学院修士課程修了。59年、衆院事務局に入り、前尾繁三郎議長秘書などを経て委員部長。92、98年の参院選で連続当選。2004年の政界引退まで、小沢一郎氏と政治行動を共にする。
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