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医療用語を患者の視点で 言葉遣いの工夫

田中牧郎・国立国語研究所言語問題グループ長

2008年10月6日

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 健診の超音波検査で「血管腫」が見つかったことがあった。郵送されてきた通知票で、精密検査の勧めとともに「腫」の文字を見たときは「腫瘍」を、そして「がん」を連想した。CT検査を受け、心配ないと分かるまでは、不安な日々を過ごした。腫瘍は悪性でなければ大丈夫という知識はあっても、不安を打ち消してくれるわけではなかった。医学的には「腫」だとしても、別の呼び名も書いておいてくれていれば、そんなに不安にならなかったのにと、そのとき思った。医療用語は医学の歴史の中で作られてきた専門語だが、患者の目や耳に飛び込んできて、自分の身体のこととしてとらえなければならなくなると、医学の文脈を離れて、患者の文脈に取り込まれる。患者の視点で医療用語を見ることが、もっと必要ではないだろうか。

 ■言葉遣いの問題

「○○剤の副作用で、重篤なショック状態に陥る危険があります」。医療従事者にとっては普通の言葉だろうが、これをきちんと理解して、自分で判断しようとする患者には、とてもわかりにくい言葉だ。こうした言葉が、何の注釈もなく、検査や治療の際の同意書に書かれていたり、医師の口から話されたりするのは、改善すべき問題だ。医療者による説明と患者の同意とが重視されるようになったものの、説明と同意の間に本来あるべき患者の理解や納得が抜け落ちているという問題は、言葉の面からもうかがえる。

 この言葉には、患者にとって二つのわかりにくさがある。第一に、副作用の危険があると言っても、その危険が自分の検査や治療の場合に起きる可能性を意識するべきなのかどうかがわからない。数字で確率が示されればわかりやすいと思う一方で、数字があっても自分の場合に起こるかどうかを考えて判断するのは難しいかもしれない。このように、医学の知識のない患者が的確に理解し納得することが困難な部分が、医療にはどうしてもつきまとう。

 わかりにくさの第二は、「重篤なショック状態」というのが、どのような状態を指しているのかが、わからないということだ。これは、医学の知識の有無には関係なく、言葉遣いの工夫によって解決できる問題だ。この、第二のわかりにくさを解消するだけでも、医療現場のコミュニケーションは、ずいぶん改善されるはずだ。言葉について研究活動をしている者として、この部分に発言したい。

 ■わかりやすくする言葉遣いの工夫

 まず、「重篤」という言葉は、一般の人にとってなじみがない。国立国語研究所が07年2月に、国民2000人に対して、単語を書いたカードを示して行った調査では、「重篤」という言葉を見たり聞いたりしたことがあると回答した人は40%、意味が分かると回答した人は28%しかいなかった。「重篤」は、患者の4人に1人強にしか通じない。症状の程度を表す医療用語は多いが、誰にでも通じる言葉は「重い」「重症」などだろう。「重篤」が、「重い」「重症」よりもひどい状態を指すのであれば、「ひどく重い」「ひどい重症」などと言えばよい。患者になじみのない言葉は、日常語で言い換える工夫をすべきだろう。

 次に、「ショック状態」という言葉だが、冒頭の文では、血液が循環しなくなり死の危険がある状態という意味で使われているようだ。しかし、医療の場に慣れていない患者は、日常語での「ショック」の意味から類推して、からだに衝撃が走る危険があるのだと誤解してしまうおそれが大いにある。誤解を生む「ショック」という言葉は使わずに、「血液の循環がうまくいかなくなって命を落とす危険があります」などのように言い換えるべきではないか。

 ■医療者の言葉遣い

 国立国語研究所では、08年3月に、医師3000人、看護師・薬剤師1280人に、医療用語100語を患者に対してどう使っているかについて回答してもらった。その選択肢と「重篤」「ショック」の結果を示すと、表の通りである。

【重篤】

そのまま使い、言い換えや説明を付けない  医師31.3% 看護師・薬剤師8.5%

そのまま使うが、言い換えや説明を付ける  医師34.4% 看護師・薬剤師21.4%

そのままでは使わず、内容や概念は別の言葉で表す  医師30.7% 看護師・薬剤師34.7%

使わない  医師3.7% 看護師・薬剤師35.5%

【ショック】

そのまま使い、言い換えや説明を付けない  医師15.1% 看護師・薬剤師25.1%

そのまま使うが、言い換えや説明を付ける  医師59.0% 看護師・薬剤師45.4%

そのままでは使わず、内容や概念は別の言葉で表す  医師18.7% 看護師・薬剤師13.1%

使わない  医師7.2% 看護師・薬剤師16.4%

 現状では、患者にとって分かりにくい「重篤」や、誤解を生みやすい「ショック」を、多くの医療者が使っている。適切に言い換えや説明がなされていれば、その言葉を使う方が効果的に伝わる場合もあろうが、「そのまま使い、言い換えや説明を付けない」とする回答も多く、問題だ。医療者の言葉遣いには、改善の余地がある。

 ■国立国語研究所の「病院の言葉を分かりやすくする提案」

 このほか「炎症」「潰瘍」「合併症」など、患者にとってわかりにくい言葉を、何の説明も加えずに使っている医療者が多いことが明らかになった。一方、別に実施した、医師が患者への説明に苦心している事例を集める調査では、同僚が「ショック状態」と言って、患者の家族に全く通じていない様子を見てからは、「心臓からの血液の供給も不十分で、危険な状態です」と言うようにしているなど、医師が様々な体験や工夫を重ねていることもわかった。

 医療現場で問題を起こしがちな言葉について、言葉遣いをどう工夫すれば、患者の理解と納得につながるのか、知恵や工夫を集めた指針づくりが望まれる。国立国語研究所が、医療の専門家と言葉の専門家からなる「病院の言葉」委員会を設置して活動に着手した、「病院の言葉を分かりやすくする提案」は、そうした指針作りに向かうきっかけになることを目指している。

参考になるサイト「病院の言葉を分かりやすくする提案」(http://www.kokken.go.jp/byoin/)に、本文で紹介した調査結果の一部も掲載しています。

     ◇

田中牧郎(たなか・まきろう) 1989年に東北大学大学院文学研究科国語学専攻博士課程後期単位取得後退学、96年に国立国語研究所研究員になり、06年から現職。文献資料による語彙の史的研究を始めとして、02年から同研究所の「外来語言い換え提案」で作業部会事務局を務めるなど、難解用語の研究にも力を入れている。同研究所が着手した「病院の言葉を分かりやすくする提案」プロジェクトでは主担当者を務めている。05〜07年に日本弁護士連合会「法廷用語の日常語化プロジェクトチーム」委員。主要編著書(共著)に同研究所編「分かりやすく伝える 外来語言い換え手引」(06年、ぎょうせい)など。

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 病気になったり、けがをしたりした時、誰もが安心して納得のいく医療を受けたいと願います。多くの医師や看護師、様々な職種の人たちが、患者の命と健康を守るために懸命に働いています。でも、医師たちが次々と病院を去り、救急や産科、小児科などの医療がたちゆかなる地域も相次いでいます。日本の医療はどうなっていくのでしょうか。
 このコーナーでは、「あたたかい医療」を実現するためにはどうしたらいいのか、医療者と患者側の人たちがリレー形式のエッセーに思いをつづります。原則として毎週月曜に新しいエッセーを掲載します。最初のテーマは「コミュニケーション」。医療者と患者側が心を通わせる道を、体験を通して考えます。ご意見、ご感想をお待ちしています。
 いただいたご意見やご感想、体験談は、10月末に東京で開催予定のコミュニケーションをテーマにしたシンポジウムで紹介させていただく場合があります。
 朝日新聞朝刊生活面「患者を生きる」欄でも、「信頼」をテーマにした連載を掲載しています。

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