2008-09-23
テキストに知性があるかないかを見分ける10のポイント
「知識」のプライオリティは下がっている
町山智浩さんのブログを読んでいたら、興味深い一節に突き当たった。
オイラはものをあまりよく知らない。
昔はそれを恥ずかしく思っていたし、よくバカにされてきた。
でも、今はなんとも思わない。
なぜなら、ネットの時代、知識は誰でも簡単に拾えるようになったので、知識そのものに価値がなくなったからだ。
いや、それは言い方が違うな。
本当に物知りなのか、ネットで拾っただけの知識なのか見分けることが困難になったからだ。ちょこちょこっと検索して、それを散りばめれば物知りに見える文章は作れる。
なるほどこれは確かにそうかも知れない。インターネットやIT機器の発達で、情報というものはこれまでと比べて格段と調べやすく、また引き出しやすい環境になった。
だから、以前のようにそれを「知識」として脳に蓄えておくことの必要性は少なくなった。膨大な知識を記憶しておくことは、今はあまり意味のないことになった。それをするくらいなら、脳はまたもっと別の機能に使った方が効率的だろう。
但し、知性のなさは露見する
但し、それによって「物知りに見える文章」が書けるようになったかというと、必ずしもそうではないと思う。
文章というのは、書かれている内容だけでなく、それ以外のさまざまな構成要素からも成っているので、例え情報を検索したりそれを流用するのが容易になっても、「物知りに見える文章」を作るのにはやっぱりまだまだ難しいところがあると思う。その人に本当の知性がなければ、それは文章を読めばすぐに露見してしまうものだと思っている。「本当に物知りなのか、ネットで拾っただけの知識なのか見分けること」は、まだまだたやすいと考えている。
知性のある文章の見分け方
そこでここでは、「どうすれば知性のある文章とない文章を見分けられるか」ということについて考えてみたい。
そこにどんなことが書かれていようとも、知性のなさというのは文章のそこここに表れてしまう。それを避けることは、知性のない人には難しい。
但し、以下に挙げるような点に気をつけられれば、知性のない文章になることは避けられるかも知れない。それは言い換えるなら、以下のような点に気をつけられているかどうかということが、すなわち知性というものなのかも知れない。
その1.統一感があるかないか
知性のあるなしは、その文章の統一感によって表れる。それはファッションでいうなら「コーディネイト」だ。
例え著名なデザイナーの評価の高い服ばかり揃えても、コーディネイトがちくはぐならファッショナブルとは言えない。逆に、安い服ばかりでもコーディネイトが整っていればそれはファッショナブルだ。
文章も一緒だ。例えどんなに難しいことが書かれていても、全体のトーンとマナーが統一されてなかったり、論旨がちぐはぐな文章には知性が感じられない。
それは例えば文字の選択に表れる。例えば文章の中に「ばか」という言葉と「あほ」という言葉を使ったとする。この時、「ばか」には馬鹿、バカ、ばか、莫迦などの書き方があり、「あほ」には阿呆、アホ、あほ、あほうなどの書き方がある。そこで、「ばか」については「莫迦」と書いているのに、「あほ」については「アホ」と書いてあれば、それはやはり統一感のあるものとは言えなくなる。そのため、知性というものも感じられなくなるのだ。
その2.言葉遣いを易しくするか難しくするか
これは、一般的には難しい言葉を使うほど知性的と考えられているが、真実はその逆で、易しい言葉を多く使っていることの方が断然知性的なのだ。なぜなら、易しい言葉で物事を伝えることは、難しい言葉でするよりもずっと難しいからだ。その上、もし易しい言葉で物事を伝えることができたなら、その方が伝わった時の効果は大きいし、伝わる対象も広がる。
「文章は、用いる言葉の選択で決まる。日常使われない言葉や仲間うちでしか通用しない表現は、船が暗礁を避けるのと同じで避けねばならない」
その3.伝わり方に気を配っているかどうか
知性のある文章は、それが「伝わるかどうか」だけを考えれば良いというものではない。それが「どう伝わるか」ということも考えのうちに入れておかなければならない。
そこで重視されるのがスピードだ。それがパッと直感的に伝わるのか、それともじわじわ染み込むように伝わるのか、そこに気を遣えるのが知性のある文章だ。
例えば、「辛い」という言葉がある。これは「つらい」とも「からい」とも読めるから、直感的にはどういう意味かは伝わらない。だから、スピードを重視したいのに「辛い」と書くのは知性のない文章だ。なぜなら、そこでは意味が直感的に伝わらないため、どうしてもスピードが落ちてしまうからである。この場合は、ふりがなを振るか、もしくはひらがなで書くのが、伝わり方に気を遣えた、すなわち知性のある文章ということになるだろう。
その4.細部をどう扱うか
「芸術の神はディティールに宿る」という言葉にも似て、文章の知性もやはりディティールに宿る。テキストの中の、ちょっとした部分に気を配れているかどうかが、知性のあるなしを分ける分水嶺だ。
例えば「送りがな」をどうするかというのがある。「うりあげ」という言葉があるが、これの送りがなは「売上」「売上げ」「売り上げ」と3パターンもある。よりオーセンティックなものを選ぶなら「売上」となるのだが、「売上げ」という言葉も広く流布している。あるいは、最近では曖昧さを回避する風潮が強いので「売り上げ」と書くのもおかしくない。どれを選択するかは、全体とのバランスの中ではかられるべきだが、一つ言えるのは、こうした送りがなに無自覚な文章には知性が感じられないということだ。
他にも、「おれ」という一人称を「おれ」と書くか「オレ」と書くか「俺」と書くかでニュアンスは大きく異なってくる。どれを書こうとかまわないのだが、大切なのは、そこに気を遣えているかどうかだ。
他にも、数字の選択というものがある。数字を漢字で書くかアラビア数字で書くかによって、その意味するところは大きく異なってくるし、アラビア数字を選んだ場合には、今度はそれを全角で書くか半角で書くかという選択がある。そういう細かな選択の一つ一つを疎かにしないことが、文章に知性というものを宿らせていく唯一にして絶対の方法である。
その5.外来語をどう扱うか
日本語の場合、外来語をどう扱うかということによっても、その文章の性格は大きく変わる。
耳慣れないカタカナ言葉を頻発すれば、どうしたって軽薄に見られてしまう。いわゆる広告代理店的、あるいはテレビ的と揶揄される。
一方で、外来語を極力回避している文章も、それはそれでケレン味の強過ぎるものとなる。そこには、若者が普段着にあえて作務衣を着るようないやらしさがある。自意識過剰で、あまり良い印象ではない。
そうしたいやらしさを感じさせない、多過ぎもせず少な過ぎもしないのがバランスの良い、知性のある文章ということになるだろう。
またこれは余談ではあるが、「ブラウザー」や「エントリー」といった最後に長音記号が来る言葉の最後の長音記号を省いて「ブラウザ」「エントリ」とするのは、美しくない上にもはや正しくもない。今後は、このような書き方をしていると知性がないと見られてしまうことになるだろう。
その6.スラングをどう扱うか
スラングは、カエサルのいうようになるべく避けるのが得策だけれども、もし扱う場合には、それがスラングだということを意識しながら書かなければらない。それができていなければ、知性がないと思われても仕方ない。
例えば「リソース」という言葉がある。これは、いわゆるIT業界では「資源」「材料」「要素」といった意味で多様に、また便利に使われているスラングだけれども、一般的にはほとんど使われることのない言葉である。例えばこれを、IT関連の会社に勤める息子が母親に向かって「母さん、何か夜食作ってよ。冷蔵庫に今あるリソースでできるものでかまわないからさ」などと言い出した日には、バカとのそしりを免れない。
但し、あえて知性のない書き方をすることによって、逆に知性を演出するという方法もある。上記の母親に向かって言うのも、それが通じないことを前提としたジョークであるなら、十分知性的だと言えるだろう。
但しそれは、知性のない人が読むと本当に知性がないと誤解されてしまうという側面もある。しかし、もし知性のない人には理解してもらう必要がないと初めから考えるなら、そういう書き方はとても効果的だ。なぜなら、そういう書き方をすることによって、あえて知性のない人間というのをあぶり出し、それを白日の下にさらすこともできるからだ。これを、ネットスラングではいわゆる「釣り」という。
その7.ビジュアル的な美しさがあるかないか
知性を判断する一つの大きな材料として、文字面をパッと見た時に、美しいか美しくないかというのがある。文字には、内容を伝える以外にそうしたビジュアル的な側面もある。それにこだわれるようになると、ひらがなとカタカナの使い分けに気を遣うようになる。また、句読点や改行の位置にも注意を払うようになり、文章はどんどん洗練されていく。そうして、そこに知性も宿るようになるのである。
その8.強度があるかないか
「強度がある」というのは、骨格がしっかりしている文章のことだ。語彙ではなく語順がスムーズで、読んで頭の中にスッと入ってくる文章のこと。建築でいえば、骨組みがしっかりしている状態である。ちょっと押されたくらいではびくともしない、骨組みのしっかりとした強度のある文章には、知性というものが感じられる。
強度のあるなしは、文章の書式を変えてみるとよく分かる。例えば横書きで書かれたものを縦書きに直してみる。そうすると、横書きの時には分からなかった骨格のもろさや粗といったものが露わになる。
あるいは、字体を変えるという方法もある。ゴシックで書かれていたものを明朝に変えてみる。そうすることで、文章の装飾的な意味合いが一歩後退するために、その骨組がより明瞭に浮かび上がってくる。
そういうふうに、書式を変えることは文章をレントゲン写真で写すような効果がある。中の骨組みというものが露わになるので、傷や弱点といったものがよく分かる。そこで傷や弱点を見つけたら、後は補強するなり修復すれば良いのだ。
その9.身体性があるかないか
上に引いた記事で、町山智浩さんはこう言っている。
「体験によって習得した技術」もネットや知識では得られないものだね。
たとえ「マトリックス」のように体験記憶を脳にダウンロードするテクノロジーができたとしても、体はついていかない。
経験を繰り返すことによって体が覚えた技術の価値はとりあえず落ちないだろう。
この一文を読んで思い出したのは、手紙の宛名書きに習熟した人のことだ。
手紙の宛名書きに習熟した人というのは、文字を自分の中に染み込ませる作業というのを怠らない。宛名を書く時に、普段ほとんど使わないような文字に出くわすと、それを何度も書くことで、自分の身体の中に染み込ませていくのだ。そうして、十分染み込んでから初めて清書するのである。そうしないと、書き慣れた他の文字から浮いてしまって、そこだけ継ぎ接ぎしたようなぎこちなさが目立ってしまうからだ。だから、文字を書くことの身体性にこだわるのである。
文章にも、これと同じことが言える。どこかからコピペしてきた文章は、そのままでは身体性というものがない。だから、貼り付けただけだとコンテクストの中でそこだけが浮き上がってしまう。そこだけ継ぎ接ぎしたようないぎこちなさが目立ってしまうのである。
そうした継ぎ接ぎのある文章は、どうしたって知性を感じられないものになる。
確かに今は情報を引き出しやすくはなったけれども、それを安易に書き写していると、そこで知性のなさは露見してしまうことには変わりない。今さっきネットから引き出してきた情報であっても、一旦それを自分の中に染み込ませ身体性を獲得するという作業を怠れば、どうしたって知性のなさは露見してしまうものなのである。
その10.情熱があるかないか
最後にもう一つ、そこに何が書かれていようとも、情熱を込めて書かれた文章は、大いなる知性を伴って読者の胸に響く。
もちろん、「情熱」にも青く燃える「完全燃焼」と、赤く燃える「不完全燃焼」とがあって、「不完全燃焼」で書かれたものには、そうした知性は宿らない。しかし不純物なしで青く燃える「完全燃焼」で書くことは、その人の中に眠っていた隠された能力を引き出す効果があるから、上に挙げた1から9までの項目に万全の気を遣って書いた文章よりも、かえって知性を感じさせる文章になることもあるのである。
情熱は、正しく使えばこれ以上の強力な武器はない。そしてそれは、テキストに限らず何においても当てはまることだろう。
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