日本最古の歩道橋あと2年 清須市
清須市にある日本最古の歩道橋が2年後に撤去されることになった。道路の拡幅工事と老朽化によるもので、同市の関係者や利用者からは『日本最古』の冠がなくなることに残念がる声が上がっている。
■重厚なコンクリート製
地元の人は先刻承知だが、この歩道橋は西区の上更通から県道67号(名古屋祖父江線)で庄内川を渡り、名鉄名古屋本線をまたぐ陸橋を下りると程なく見えてくる。
遠目には威風堂々とした造りで、どこにでもある歩道橋とは違う。よく見ると橋脚や階段は鉄筋コンクリート製。しかし鉄の手すりは塗料がはげてさびが浮き、階段はコンクリートがすり減って欠けた部分もあり、いかにも時代を感じさせる。
歩道橋ができたのは1959年6月27日。名岐バイパス(国道22号)ができるまでは県道67号が国道22号で、モータリゼーションによって交通量が急増。「道路を挟んで小学校と中学校があり、交通事故が多かったようです。それでPTAや学校関係者が何とかしなくてはと考え、設置されたのがこの歩道橋です」(同市広報担当)
当時の広報資料によると交通量は1日2000台、横断者は1日4000人で「交通量は県下随一、交通事故が1日に1件は必ず起き、横断は命懸けだった」などと記されている。
■2009年度には新たにL字型に
建設したのは鉄道の陸橋建設を手掛けていた名古屋造船(後にIHIに)。どことなく重みがあるのはそのせいかも。総工費320万円で完成した歩道橋は長さ46・8メートル、幅2・5メートル、高さ5メートル。両側に高さ0・8メートルの金網が取り付けてある。完成時の広報資料に「学童専用陸橋」とあり、そのころは「歩道橋」という言葉がまだなかったようだ。
同交差点付近は2009年度を目標に都市計画道路「県道枇杷島小田井線」の拡幅工事が始まっている。これによって由緒ある歩道橋は撤去され、新しくL字形の歩道橋が設置される。
『愛知遺産』の一つともいえる日本最古の歩道橋はなくなるが、県と同市では「銘板を残してここに日本初の歩道橋があったことを分かるようにしたい」と話している。
【写真説明】愛知県清須市にある日本最古の歩道橋。どっしりとした構えは『芸術作品』
(2008年2月26日更新)