――最近、かっての教育現場では考えられなかったような事件が多発しています。大阪の小学生無差別殺人事件は学校外の社会に対する安全管理上の問題を問うものとなりました。もう一つ、校内で女教師刺殺事件、対教師暴力事件、生徒間暴力、恐喝、いじめなどの事件が起きています。さらに非行の低年齢化、凶悪化の傾向が見られます。元日教組神奈川県委員長の経験もおありで、教育のあり方を探り続けてこられた先生に、まず今日の教育の混乱原因からお伺いしたいと思います。
小林 去年の五月頃、一番話題になったのは西鉄高速バスジャック事件など一連の十七歳の犯罪ですね。背景はそれぞれ違いますが、これは日本の特別な現象ではない。先進国病と言われていて、アメリカでもイギリスでもフランスでも、最近の十代の少年の問題が取り沙汰され、各国とも対策に腐心しています。しかし、日本はどこが違うかというと「問題解決を先送りしないで、真正面から取り上げて解決策を国民に示す」ことが大変遅れる。そのあたりが一番の問題です。
去年、あの十七歳の問題が出た後、店晒しになっていた少年法改正が急ピッチで進んだことに象徴されるように、何か事件が起きないと解決策が促進されない。結果としてあの法案は通って、現在、施行されていますが、少年法については「諸外国でやっている具体的な対応に比べると、まだ生ぬるいな」と言う気がします。今後の推移を見守りたいですね。
【改正少年法】 (平成十二年十一月二十八日成立。平成十三年四月施行)。改正要旨は?@刑事罰の対象年齢を十六歳から十四歳に引き下げ?A三人の裁判官による合議制も導入?C死刑など重大事件は検察官出席が可能に。
――平成五年に例の山形県新庄市の市立明倫中学校で起きたマット圧死事件ではないが、一般に学校現場でのいじめの黙認、見て見ぬふりをする風潮が濃いですね。生徒が先生に不正の事実を報告すると「チクる」と称して後ろめたさを感じさせ、子供たちの心を蝕んでいます。戦後五十年、正義感のある子を育てる教育が足りない気がするのです。
小林 新庄市の事件では、何故か学校が出てこない。学校は事件について家裁とは別に、子供の生活指導の立場から独自調査をして事実関係を明らかにしたかというと、やっていない。全部、裁判に委ねている。教育対象の子供たちが人の命を奪うような事件を起こしておりながら、誰もが責任を取らない。更生を旨とする少年法の立場からも「薮の中」では子供たちの心は癒されないし、法的措置ではない、教育の場としての救いの手はあったのではないかと思います。
――何故そういう事態が学校に生じているのですか。
小林 一つは事なかれ主義になっていて、学校の恥を外にさらさない。「学校を開こう」と言うが、本質的に今の学校は閉鎖社会です。かって文部省がいじめ調査を何回かやりましたが、なかなか回答が出てこない。できるだけ「本校から不祥事が起きていない」というようにしなければ「教職員にとっても学校にとっても不名誉だ」という意識が相当ある。
戦後教育の再興にとって打撃だった11万教職員の辞職
――その背景には職員会議をめぐる問題もありますね。戦後長い間、日教組の教育方針を巡って異常な事態が続いていることは先生が指摘されている通りですが、組合問題が日本の教育にもたらした功罪をどう評価されますか?
小林 功罪の前に、教育行政のあり方が問題です。「教育行政は公立校の設置者である市町村の教育委員会と、PTA、学校と、三者の関係です」とはよく言われますが、学校内部で起こっている様々なできごとについて服務監督権が市町村にあるわけですから、その監督権を持っている教育委員会が、学校運営をきちんと把握しているのか、異常事態を見落としていないかという問題があります。言ってみれば教育委員会の不作為責任が一方にあると思います。
またPTAという組織が、学校に対して監視機能を働かせているかどうかの問題もあります。アメリカ、カナダの場合だと、不動産税の一〇%を地域の教育施設建設、学校建設のために使っている。地域の方々が学校経営に参加しているのは、納税者の代表としてなんですね。納税者の視点で学校を見ているから、厳しい監視体制ができている。校長以下、優秀な教師がきちんと教育活動をしているのかもチェックしている。教育委員会もPTAもこういう立場で学校を監視していれば、僕は日本のような事態にはならなかったと思う。
――もう一つの問題は組合組織ですね。
小林 日教組が頂点で、各県教組、その連合体としての日教組という関係で今日まできて、市町村立のところまで行くと支部がある。末端の職場は分会と称して、軍隊組織のようでした。組合組織が教育委員会とは別の系列でもう一つある。従って職場の教職員は教諭で、学校教育上の教育を司る役目を担っている立場と、組合員としての組織の命令等にも服する。学校現場が二重支配構造になっている。
かって組合が強かった時代は、分会長は校長が兼任していた。ところがILO(国際労働機関)第八七号条約(結社の自由及び団結権の保護に関する条約)批准の問題などがあって、校長・教頭が管理職となって組合の役員をやらなくなった。そうすると分会長と校長と、学校現場が二つの支配体制で運営されるようになっていったわけです。
これも異常ですが、職員会議は校長が統率をして職員から意見を聞く場ではなく「最高の意思決定の場」で「意思決定は教職員が多数決で決定し、校長もその決定に服すべきだ」となっていった。その結果、対外的に学校を代表する校長の立場が非常に希薄な存在になり、無責任体制になった。
――もう一つの問題は、日教組のイデオロギー支配です。なぜこれほどまでにイデオロギー支配に覆われたのですか?
小林 この問題については近刊の『日教組という名の十字架』(善本社)で詳述していますが、戦後教育の出発地点から問題がありました。戦前の教育への反省からGHQ(連合国軍最高司令部)は「四大教育指令」(注)を発しました。その指令で一番大きな影響を持ったのは「教職追放」です。つまり、戦前教育の中で「超国家主義、軍国主義に心酔して、教師にあるまじき節操を欠く行動を行った教師たちを職場から追放する」と。日教組の前身のいろんな教育組合ができましたが、教職追放を「戦犯狩り」と称してやったんです。
【GHQの四大教育指令】 GHQが昭和二十年に、大東亜戦争の原因を日本の戦前の教育に求め、これを根底から覆すため、戦前の教育体制を解体し、超国家主義・軍国主義を教育から永遠に追放するため、と称して発した日本政府に対する四つの覚書。
一、日本教育制度に対する管理政策(GHQが教育に関する占領目的及び政策を十分に理解させるために発した四大教育指令の基本政策を記述している。その中には基本的人権思想の確立の奨励、教科書の取り扱いなども入っている) (十月二十二日)
二、教員及び教育関係官の調査、除外、認可に関する件(教職追放指令)(十月三十日)
三、国家神道、神社神道に対する政府の保証、支援、保全、監督並びに弘布の廃止に関する件(神道指令) (十二月十五日)
四、修身、日本歴史及び地理停止に関する件 (十二月三十一日)
小林 総司令部は日本の教育を根底から覆して新しいものを作ろうとしましたから、上からの指令による改革と、教員組合を育成して「下からの改革」を奨励したわけです。それに乗って教職員組合が結成され、それが勢いを得て教職追放に加担していった。ですから「教職追放指令」に基づく処置として五千人くらいは追放されたんです。それは軍人であったとかいう具体的な理由のあるものと、審査の結果、「×印」がついた人も含めて五千人くらいいました。
しかし、その前に「戦犯の汚名は着せられたくない」とか、「この教育ではやっていられない」との理由で十一万名が辞めました。全教職員の二〇%です。そういう人たちは資格を持った教員の中堅クラス以上で、指導的な役割を果たした人たちでした。彼らが去った後には戦前からの教員組合運動の経験者や政治的な野心を持った人々が中心になり組織化を進めました。革命前夜のような時代背景の中で多くの良心的な教師たちもその運動に巻き込まれていったのです。
――その背景にはGHQの徹底的な日本の伝統文化観の破壊と、その基層をなす神道の排除があったわけです。先生の論文をお読みすると、これに対し日本の代表的知識人である安倍能成文部大臣は、堂々たる擁護論を米国教育使節団やGHQ民間情報教育局(CIE)に対して吐いていますね。しかし、結局は押し切られてしまう。そして「教権の確立」。つまり国として国民教育に全責任を負うことが教育基本法に明記されなかったために「この問題を巡って文部省と日教組が事ごとに対立した」と先生は指摘しておられますね。
小林 これは当時、社会党の森戸辰男議員(後の文相)が昭和二十一年に国会で質問したのが最初で、教権の確立は要するに教育権の確立です。「国民教育の責任者はだれか」。ドイツのボン基本法では「学校の管理責任は連邦政府にある」と憲法上位置づけている。そのような条文を「憲法上入れてはどうか」と森戸議員が質問したら、文相は「それは別に教育の根本法(教育基本法)を作るから、根本法の中でそういうことを謳ったらいい」と言って憲法には謳わなかった。
ところが、GHQはその時すでに教育基本法を考えていましたが、教育基本法の中に教育権を明記しなかった。「国民教育にこれだけ国費を投じ、地方の予算を投じて進めている責任は、最終的には国にある」、従って「その国が全面的に教育行政を責任のある立場で進めますよ」と教育基本法で謳っておけば問題はなかったのにしなかったわけです。
教育基本法第十条(教育行政)には「不当な支配に服することなく」と書かれている。日教組は「不当な支配は、教育行政権が教育現場に介入することだ」と勝手な解釈をして「学力調査、道徳教育の問題などはことごとく不当な支配だ」と見なして教育裁判闘争に臨んだわけです。
――しかし、その解釈が間違っていることは、当時の自民党の方々も自由党もおっしゃってきたが、それがどうして教育現場に反映しなかったのでしょうか?
小林 要するに教育基本法に問題があるんです。全部、この基本法に基づいて様々な教育立法がされてきているわけですから、新たな教育立法をしようとすると、彼らは「教育基本法に抵触する」と言って反対してきたわけです。この教育権を巡る争いは、戦後教育の中で文部省対日教組の縦軸です。横軸は教育二法(義務教育諸学校における教育の政治的中立確保法案と教育公務員特例法)とか、学力調査や道徳教育とか、そのつどの闘いがまさに戦後教育史そのものだったわけです。
――子供を置き去りにして、過激な教師はイデオロギー教育に走ってきたのに、どうして国民の間で「おかしい」という声が力を得ていないんですか。自民党に断固とした改革の意志があれば、早期に正常化されたのではないでしょうか。
小林 いや、保守勢力は相当頑張ったし、憂うべき教科書の問題でも、相当な調査力を発揮して頑張ったと思います。教育二法の問題でも日教組の実体を分析して、文教委員会の中で明らかにして文部省もそれなりの対応をしてきたのは事実です。しかし、バックにある国民世論、これは当時どちらかというと「文部省より日教組に正義がある」と見ていた。それが大方の世論でした。マスコミもそうです。
――共産主義思想が破綻したにもかかわらず、何故、日教組の先生方が左翼イデオロギーを捨てきれずにいて、良識派の先生が組織内で実権を握れないのですか?
小林 共産主義思想が破綻しても日教組は「平和と民主教育」「教え子を再び戦場に送るな」をスローガンにしています。さらに今日的な市民社会の要求を取り混ぜて方針化しているが、これは日本の左翼の一般的な偽装工作と同じです。
もう一つは、組合民主主義の問題です。これは人民民主主義と同じで組合の指導の下に結集して団結を乱さないことが求められます。プロ化した執行部は組織防衛と称して反執行部の動きを封殺します。一方、教師たちは組合加入を保険と割り切って無関心を装っているのが現状です。
――正義感がありイデオロギーにとらわれない先生が、組合で主導権を握る可能性はどこもゼロに等しいのですか?
小林 日教組は「良き組合員は良き教師」と言ってきました。本来「良き教師が良き組合員」であれば教育の不正常な状態は現出しなかったのではないかと思います。さらに「教師の倫理綱領」で「教師は団結する」として、そこでは「団結は最高の倫理」と述べています。従って団結を乱す者は教師としての適格性を欠くということになり、集団的要素が多い教育活動で阻害されたくないと思うのは当然でしょう。
保守党サッチャー政権がやった刺激的で大胆な教育改革
――一部の学校では社会と隔絶した世界ができあがっているが、大田区議会の若い自由党区議は、偏向教育を是正するために父兄に学校参観を促す運動をやっています。「これを直すには情報公開しかないんだ」というわけです。三重県の北川正恭知事も、同じように情報公開を進めています。
小林 情報公開は大いにいいと思います。自由党はオンブズマン制度を言っていてこれも一つの手です。刺激的なのはイギリスで保守党のサッチャー政権がやった教育改革です。英国病の原因は地方分権、現場主義、児童中心主義からきており、教育がどんどん低下していった。それを立て直すために、進級に当たりテストをするとか、教育委員会が傘下の学校に対して監督指導ができているか、地域の学校の成績が向上しているか、などで教育委員会を評価する制度を導入したわけです。
教育委員会は各学校を評価する。学校の校長を評価する。査察監制度を取って不意に学校を査察してタイムテーブルの通りにちゃんと授業が行われて、教師が指導性を発揮しているかをチェックする。教育委員会の民営化問題にも取り組み、民営化して契約を結び、実績が上がれば再契約していく。こういう緊張関係にさらして英国病を脱却していった。
ブレア首相の労働党政権になってからも、サッチャー政権の目指した教育改革の方向性を延長して、さらに一生懸命やっている。二期目の選挙の争点では「教育、教育、そして教育」と言う、そのくらい迫力がある。共和党のブッシュ大統領も十の教育目標を出して「まず学校教育の活性化」を掲げ、監視体制、マスターティーチャー制、これはクリントン時代からですが、ともかく優れた教師を表彰する。そして「やる気のない物は教壇から去れ」と明確にやっている。
教育委員会が民間の会社と契約を結び、学業成績の向上を請け負わせて、その結果に応じて契約を更新していく、いわゆるチャータースクールの促進、バウチャー制度など基本的には保護者に学校の選択権を与え、競争を通して公教育の活性化を目指しています。英国の場合、学力が低下している地域は同時に経済的にも地盤沈下しており、学力向上が地域の活性化にもつながる、との立場が貫かれています。英米両国の共通の狙いは健全な「納税者」を育てることにあります。
各国の努力に比し、わが国の教育改革は来年からスタートする新学習指導要領に基づく「ゆとり教育」で教育内容は三割削減されます。これまでの路線を転換して、初等中等教育という下半身の強化を図らなければならないと思う。
――こんなことでいいのかなと心配です。
小林 僕が一番心配しているのは総合的な学習の時間です。あの時間について、日教組の教研修会で講師団の国立大学の教育学部の先生が言っていることにびっくりしました。
「日教組の今までやってきた平和教育、人権教育は正しかった。文部省が総合的な学習の時間についていろんな話があるけれども、そんなことをする必要はない。総合的学習の時間は、これまで実績を積んできた教育研究集会の積み上げのある平和教育、人権教育、環境、男女共同参画社会に向けてのジェンダー・フリーの問題などを先進的に取り組む時間としてやっていけばいいのだ」と言う。教育学部の教授は左派系が多いが、そういう人に限り「総合的な学習の時間ができたのだから、日教組方針の上で大いに活用すべきだ」と言っている。
――政府与党は対策を立てているのですか。
小林 いや、何もしていないでしょう。だって学校裁量の自由な時間だから。手も足も出ない。
――学校の現場は日教組に押さえられていて、校長、教頭には指導権がない。外部からの浄化作用は働かない。いわば公教育の人民管理です。そうなると日教組はやりたい放題じゃないですか。一体、だれがそれを危機の問題として受け止めて問題提起をするのか?
小林 ですから学校に対する監督権を持っている市町村教育委員会、都道府県教育委員会が、納税者に対する責任として監督を強化して、恣意的な学校教育が行われないように常時監視体制を強化していく、違反した場合は厳罰主義で臨む事でもやらない限りしようがないんじゃないでしょうか。
よく学校は「家庭と地域と社会で三位一体で」というけれども、あれは何も言ってないのと同じなんですよ。課題がどこにあるのか全部拡散して行くだけです。責任はもともと学校にあるんですよ。学校教育の機能として果たすべきことをきちんとやっていれば問題はないんです。そのことがきちんと行われているのかをチェックする体制を、教育委員会の機能強化を通して進めていかなくてはいけない。
340万人「フリーター大国日本」の汚名返上が私の役目
――教科書問題では、一つの新しい流れ、新しい歴史教科書が話題になりましたが、『公民』の教科書はどうですか。
小林 僕は「新しい歴史教科書をつくる会」ができ、検定に合格して採択を迎えたことは大変なできごとだと思います。戦後教育史上、特筆すべき教育上の大事件です。しかし、もう一つ言うと、これまでの『公民』の教科書は内容が酷いんです。教科書改善協議会で、会長の三浦朱門さんが編著をされた小学館文庫『「歴史・公民」全教科書を検証する』によれば、さっき言ったジェンダー・フリーのように、一部の団体や組織が今後の世の中のあり方として主張している事が、あたかも現行の制度ででもあるかのように記述されています。これは、子供たちにとって一定の方向づけを与える結果になるわけですから、十分にチェックしなければならない。そこを新しい『公民』の教科書は見事に頑張っているんです。
――あと、国語も問題があると指摘する人もいますね。
小林 国語も問題が多い。文学教材でも生涯忘れられないような物はむしろ戦前の教科書にありました。そういうようなものが全くない。大事な文学教材、日本にたくさんあるわけですから、ぜひ新しい国語教科書を作って欲しいですね。
――今の国語教科書は時間というヤスリにかけられていない。美しい日本語を継承する視点を欠いていませんか?
小林 イギリスとアメリカの教育改革では「母国語に対する取り組みを強化する」とした。大事なことです。国際化が進めば進むほど母国語を大事にしなければいけない。両国とも「多文化の世の中になりつつあるが、だからこそ英語を重視して行く」となっている。日本でも「まずしっかりと国語を教えなさい」と、しっかりした語学教材を使って美しい日本語、表現能力を身につけさせることが大事だと思います。
――国語は基礎中の基礎、根本中の根本です。ですが「何でこんなにないがしろにされるのかな」と思います。
小林 みんなアメリカのせいにするのは良くないが、文部省の新教育指針は国語国字改革からスタートして、選択肢は「全部ローマ字にする」「全部英語にする」「今の漢字を簡略にする」という選択の中で、今の漢字を選んだわけです。しかし、その後、歴史的仮名遣いの問題から国語審議会がやってきたことは日本の伝統文化の破壊に他ならなかったわけです。「どうそれを守り、貴重な過去の遺産として継承するか」という視点が全くないんです。「子供たちの負担になっているから易しくしよう」と、それだけですから。
――この先、やりたいことはどんなことですか?
小林 まず教育基本法の改正を促進する運動です。そして、学制改革、就学前の幼稚園・保育園の一元化、義務教育年限の見直しなどです。国民の「学力低下」に対する懸念を払拭しなければなりません。そして国際社会でたくましく活躍できる若者を送り出すようにしなければなりません。いま、日本にはフリーター(人材派遣会社登録を含む)が三百四十万人いるとニューズウィーク誌が「フリーター大国日本」という特集を組んで報じています。本来なら生産的な仕事に就くべき若者がモラトリアム状態でいるのは極めて不健全です。きちんとした知識と技術を身につけ、学校を卒業した資格が即社会の通行手形になるようにしなければいけない。イギリスが教育改革で「教育雇用省」と改名したのは象徴的です。
――本当に、その通りですね。
小林 もう一つ重要なことは宗教教育の問題です。憲法二〇条(信教の自由)、八九条(公の財産の支出又は利用の制限)、教育基本法九条(宗教教育)によって政教分離、宗教と教育の分離が行われてきた。基本法制定過程で日本側は「宗教的情操の涵養」を入れようとしたが、GHQに拒否された経緯がありました。戦後教育においては宗教教育は「触らぬ神に祟(たた)りなし」で社会主義国家の唯物論教育になってしまっているんです。
しかし、米国の憲法修正第一条は多くの会派に対する政治的中立を述べているのであって宗教を排除しているのではないんです。政教分離原則を厳密に守っているフランスでさえ政教分離法二条において、水曜日を休校として生徒が保護者とともに宗教施設や宗教に関する学習を行う日としている。ドイツは基本法七条二項で「宗教教育は公立学校においては……正規の教科目である」と定めています。さらに最近の傾向として、世紀の境目としてカルトの問題が深刻化し、その対策としても、宗教に関する知識教育を重視しています。
――世界の中でこれだけ宗教が遠ざけられている国は先進国、後進国含めて日本だけです。これは単にアメリカの影響よりも、マルクス主義の影響が強いからだと思いますね。
小林 その通りでしょうね。「宗教は阿片だ」というマルクスの言葉が今でも高校の倫理の教科書には書いてあります。わが国においてもオウム真理教の事件があり、カルトに対して青少年が無防備である実態が明らかになりました。今後、道徳・倫理だけでなく歴史教科書においても宗教に関する知識教育を充実させる必要があります。
――富山県では、給食の時間に手を合わせて感謝の気持ちを表す行為は「仏教による作法であって、政教分離に反する」というこじつけで禁止され、情操心を否定するようなことが教育委員会の判断で行われているようです。「一体どうなっているのですか」と心あるお坊さんが嘆いておられました。
小林 「拝む」と言うことですね。これは感謝の気持ちを形で表現する日本人なら誰でも自然に行うことです。これ自体を問題にするというのは、まさに左翼小児病的な発想としか言いようがありません。学習指導要領には「人間の力を越えたものに対する畏敬の念をもつ」と書かれていますが、これは宗教的情操の領域です。私はまず宗教に関する知識教育を充実させ、その上で情操面での教材を整え指導する必要があると思います。わが国には長い歴史の中で培われてた文化、優れた神話伝承があり、情操の涵養を行う豊かな土壌があります。これは将来にわたって大事にしていきたいですね。
小林 正氏 昭和八年(一九三三年)、東京都出身。同三十二年、横浜国大卒。川崎市立校教諭、日教組神奈川県委員長。平成元年、参院選初当選(社会党)。参議院「地方分権・規制緩和」特別委委員長。右派の論客だが同五年離党。新生党、新進党を経て平成七年五月離党。同七月無所属で出馬し落選。現在、日本の教育改革を進める会理事。九月に『日教組という名の十字架』(善本社)を出版する。
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