ぼくたちの甲子園 高校野球名勝負列伝・選手権大会編
No9 2003.9.6


みちのくの夢を打ち砕いた一発
(昭和59年 第66回選手権大会 金足農業高校対PL学園高校)

 昭和という時代が終焉に向かおうとしている時、高校野球界に空前絶後の強力なひとつのチームが登場した。大阪・PL学園高校である。その時代、高校野球最強軍団として全国にその名を轟かせていたのが名将蔦文也率いる徳島・池田高校であった。畠山、水野、江上といった超高校級のスラッガーを揃え、無敵を誇ったこの池田高校の強力打線で猛威を振るった池田高校。その強豪に立ちはだかったひとりの1年生投手がいた。桑田真澄という投手であった。昭和58年、第65回全国高校野球選手権大会準決勝、PL学園と池田高校の対決はPLの圧勝に終わった。PLの1年生投手に猛打池田のやまびこ打線は終始沈黙した。池田の夢は潰えたが、ここに高校野球の球史に名を轟かす新しい強豪が新たに誕生したのである。桑田とともにこのPLの名を轟かさんばかりに活躍したのが桑田と同じ1年生の4番バッター清原和博である。以後K・Kコンビと呼ばれたこのふたりの活躍が昭和の終焉ともいえるこの時代にPL学園の黄金時代を築き上げ、高校野球のその球史に残すべく大活躍をはたしたのである。

 昭和59年夏の甲子園、PL学園は破竹の勢いで大会を勝ち進んでいった。初戦の愛知・享栄高校に14−1と圧勝し、2回戦の兵庫・明石高校には9−1、3回戦の宮崎・都城高校にも9−1と圧勝した。準々決勝では古豪の愛媛・松山商業に2−1と辛勝だったものの当初の予想通り順当に勝ち進んでいったのである。しかしこの無敵を誇る強豪に昂然と立ちはだかるあるチームが準決勝で待ち構えていたのである。秋田県立金足農業高校というチームであった。

 それまで全国のチームとしては全く無名、しかも東北のチームということでPLの各選手たちにもある意味不気味な相手と受けとめていたかもしれない。この金足農業高校、この年の春の選抜で甲子園初出場をはたした。その前年の秋季東北大会では数ある東北の強豪チームを打ち破り東北大会準優勝を果たしてこの選抜に晴れて出場してきたのである。それまで全国的にはほとんど知られていなかったものの、この夏の大会以前には地元秋田では夏の県大会にて決勝進出5回を数える強豪であった。嶋崎久美監督の下、驚異的な練習量を課され、秋田高校や経法大付などの強豪を倒しての甲子園出場。初戦でもエース水沢の11奪三振の力投で古豪・広島商業に6−3というスコアで勝利すると別府商、唐津商、新潟南と連覇して初出場、しかも東北勢ながら準決勝までコマを進めたのである。金足農業ナインにとっては運命の日とも言うべき1984年8月20日、全国屈指、いや高校野球史上屈指の強豪PL学園との試合がまさに行われようとしていた。午後1時38分に試合は開始された。それまで無名の強豪ともいってよいみちのくの球児たちのチームが全国屈指の驚異的な強さを誇った名門に戦いを挑むこととなった。

 1回表、PL桑田は金足農業トップバッター工藤を見逃しの三振に切って取ったが続く大山の打球は桑田のグラブをはじくピッチャー強襲の内野安打、3番水沢が手堅く送りバントを決め大山が二塁へ進塁、続く4番長谷川の打球はショートへの幸運なイレギュラーヒットとなった。この間二塁ランナーの大山がホームインし、強豪PLから先取点を得た。金足農には非常に幸運な得点、PLにとってはしてやられたというべき失点だったであろう。
 このあと、試合は壮絶な大投手戦へと向かっていく。金農・水沢は立ち上がりの1回裏にPL2番松本に四球、4番清原に敬遠と2死一・二塁とされた以外は試合中盤まで強打PLを完璧に抑え込む快投を演じた。PL・桑田も初回の不運な失点以降は本来のピッチングに戻り、金農打線につけ入る隙を与えない。3回・4回・5回、PL金足農の打撃陣はこの二人の投手に完璧に抑え込まれていった。
 金足農業1点リードのスコアで試合が進んでいく6回裏、試合が動いた。それまで金足農・水沢に完璧に抑え込まれていたPL打線だったがPL・中村順司監督はこの回先頭だった3番鈴木に代えて清水哲をバッターボックスに送った。この大会PLにとってはラッキーボーイ的存在だった清水哲は水沢の微妙なピッチングの乱れを見逃さず高めに浮いた水沢のカーブをレフト前にはじき返した。続く清原はレフトフライに倒れたものの、その後の桑田の打球を金足農・三塁の大山の失策で1死一・二塁とした後、6番北口がライト線へのタイムリーツーベースを放った。ここまで水沢の快投に手も足も出なかったPL打線がこの試合はじめての得点を挙げ試合は振り出しに戻った。
 しかし、この試合は絶えず金足農業の流れのなかで進んでいった。6回裏PLに失点を許した金足農業は即反撃へとまわった。7回表、金足農業はワンナウトから5番鈴木が桑田から四球を選び、続く6番斉藤の内野ゴロを桑田の処理ミスにて併殺打に取れずツーアウト二塁とした金足農業は7番原田がバッターボックスに入った。そして原田の打球はまたも桑田を襲った。原田が放った打球は桑田のグラブをはじき、そのままレフト前へ抜けるタイムリーヒットとなり二塁ランナーの鈴木がホームへ生還してまたも金足農業2−1とPLをリードするという展開となった。PLはその裏は水沢に三者凡退。ここまでPL優位に試合をすすめていくことが全くできない状態で試合が進行していったのである。
 PLナインには焦燥感がつのった。「まさかPLが・・・。」甲子園のスタンドも王者PLが東北の無名の新鋭校にここで敗れてしまうのかという思いに、驚きの感を隠せなかった。みちのくに夏の大旗が渡るのであろうか。このとき金足農ナインにもPL倒すことができるという手ごたえを少なからず感じていたのではないかと思う。8回表、金足農業は無得点に終わった。そしてその裏、ここまで王者PLを翻弄し続けた金足農にPLが一矢報いることとなる。水沢はこの回先頭の清水哲をショートゴロに打ち取りワンアウトを取った後、続く清原にはファーボールを与えた。そして続く打席には桑田が入った。セオリーに従えば終盤1点差でワンナウトながら送りバントも考えられたこの展開、桑田は勝負に出た。水沢もここで抑えれば9回PLは下位打線となり金足農業の優位な展開は最後まで続くと桑田に勝負を挑んだ。桑田は水沢の投じた初球の外角のストレートを見送った。そして桑田に投じた水沢の第二球目、試合を決定づける運命の一球が投じられた。捕手長谷川の要求どおり外よりのカーブを投じた水沢、その投球を桑田は見逃さなかった。水沢の外角のカーブを捉えた桑田の放った打球はレフトを目掛けた大飛球となった。桑田の2ランホームランでこの試合、はじめてPLが試合をリードする展開となった。一塁ランナーの清原とともに桑田がホームを踏み、3−2とPL学園が金足農業を終盤土壇場で逆転したのであった。9回表金足農業は1点を追いかける形となったが、5番鈴木から続く打線ももはや桑田を打ち崩す余力は持ち合わせていなかったようであった。金足農業最後のバッターとなった原田を桑田が三振に打ち取り、王者PLは最後の最後までみちのくの新鋭校に焦りを誘われるという展開のゲームをかろうじて征することができた。

 僕自身、この時代のPL学園は全国の強豪校が束になってかかったところでまず勝ち目のないような印象を持っていた。しかし東北の新鋭校にここまでの善戦を許してしまった全国最強軍団もやはり普通の高校生たちであった。PLを倒して夏の大旗を奥の細道に持ち帰りたいという金足農業ナインの夢はPL学園という大きな壁に阻まれてしまった。桑田のあの大飛球さえなかったら・・・。まさに現実となるべきみちのくの夢を打ち砕いた一発であった。当初は大風車に立ち向かうドン・キホーテのような印象をも受けた金足農業ナインも大風車のごときPLをあともう一息で打ち倒すことができたのかもしれなかった。この大熱戦、終始輝いていたのが金足農業・水沢博文、PL学園・桑田真澄というふたりの投手だったと僕は思っている。PL学園という超エリート集団はこれまでに非常に高い技術の野球をもって勝利した試合が多かったであろうが、この試合に関しては他の数あるPL学園の試合とは異をなす印象を僕は受けている。この試合はPL学園の数ある試合のなかでもその高い技術力をもって勝利したものではなく、PL学園の個々の選手の野球に対する情熱自体が試合を勝利に導いた気がするのである。金足農業という稀に見る情熱的なチームがその情熱をもって王者PLを土壇場まで追い込んだことが、まさにPL学園の選手個々の心の奥底の情熱を奮い立たせたのだと思う。水沢から桑田の放ったホームランも、桑田真澄という野球人の持ち合わせたこの上ない野球に対する情熱が生んだものであったのかもしれない。最終的には桑田真澄という大投手とPL学園の個々の選手たちの情熱が勝利をもたらしたのではないだろうか。水沢、桑田という二人の投手の情熱が最後まで試合を左右した、数ある高校野球の試合のなかでも類を見ない情熱的な試合であったと思う。
(2003.9.6 written by T.M)

1984年8月20日
第66回全国高校野球選手権大会準決勝・第二試合

チーム名\回数 合計
金足農業
PL学園 X

試合時間:1時間44分
観   衆:4万5千人

金足農業
工藤浩孝
大山 等
水沢博文
長谷川寿
鈴木善久
斉藤一広
原田好二
佐藤俊樹
柏谷安彦
     31

PL学園
黒木泰典
松本康宏
鈴木英之
(打・中) 清水 哲
清原和博
桑田真澄
北口正光
岩田 徹
(打・右) 中島丈雄
清水孝悦
旗手浩二
29

(投手成績)










水沢博文(金足農業) 35 126
桑田真澄(PL学園) 34 119

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