オマエは語るな!
dankogai くだらねー。
心底くだらねーと思うわ。
本書「おまえが若者を語るな!」は、タイトルどおり「おまえ」、すなわち「中高年」に「若者を語るな!」と言ったところで紙幅が尽きてしまった本。
確かに、著者による各者の各論に対する批判は間違っちゃいない。ジジババどもの若者論ときたら虚言・妄言だらけだ。それらに「間違っている」と言い返すのも、また間違っちゃいない。
しかし、読者が金を払ってまで読みたいのは、そんなことじゃない。
著者の、論なんだよ。
「読者が何に金を払いたいと思うか」が、なんでアンタに分かるのかね?
私は、この本を買って満足してますけど?
単にアンタが期待してたような本じゃなかったっていうだけの話でしょ。
自分の判断を勝手に一般化するなって。
「著者の論」って言うけど、「おまえが若者を語るな!」っていうのだって立派な「著者の論」だと思うけど。
それから、「ジジババどもの若者論」ってのも違うな。
批判されている論者の一人、宇野常寛は30歳。
著者と6歳しか違わない。
「若者対ジジババ」っていう構図じゃないんだよ。
というわけで、オレが書くことにしよう。
書かなくていいってば。
世代論に関して、私が重要だと考えている点は、次の二点しかない。
(以下、くだらないので略)
それこそが、唯一かつ最大の「若者問題」である。その他の「若者問題」は、すべてここから導出できる。「かつて若者だった」老人たちの知恵や経験も、そこでは全く役にたたないのだ。
イヤ、アンタが何を重要だと思ってようがどうでもいいんだけどさ。
これは漁業での話だが、乱獲によって個体数が減ると、その魚種の繁殖年齢が下がるのだそうだ。早熟になることで、種を回復するための自然の叡智なのだろう。
「種を回復するための自然の叡智」・・・(泣)。
月に何十冊本を読んでるとか自慢げに書いてる人間がこれだもんなあ。
ドーキンス先生、まだまだ啓蒙が足りないみたいですよ。
「ドーキンスなどもう古い」とか知ったかぶりして言う池田信夫みたいなバカもいるしねえ。
こういってはなんだが、ジジババに言い返している余裕すらないはずなのだ。
ジジババたちが答えを持っていない以上、自分たちで答えを出すしかない。
その答えを書くべきではなかったのか、1985年生まれの著者は。
だからさあ、この本に「若者対ジジババ」という対立軸を見出してしまうこと自体トンチンカンなんだよ。
著者がこの本がやろうとしたのは、90年代以降のある種の若者「論者」の批判でしょーが。
「自分たちで答えを出す」とか、全然関係ないんだよ。
根底のテーマは、世代論の不毛さである。ここ15年の間に、社会論のなかで世代論的な枠組みが強くなり、本来であれば経済的に、あるいは政策的に解決されるべき問題が、単なる世代間の「リアル」の対立として処理されるようになってしまった。この傾向が、逆に社会の問題を深刻化させた、と私は考えている。退場を宣告するのは、世代論を煽ってきた論者と同時に、世代論そのものだ。
『おまえが若者を語るな!』まえがき
読解力無いのかよ。
反論に終止しているという点で、著者の姿勢にはむしろ私より一回り上の世代に通じる懐かしささえ感じる。反論する知恵はあっても、自論を持つだけの経験がないというのが時代を超えた若者の特徴なのだろうか。
ナニ? その「上から目線」。
「老人たちの知恵や経験も、そこでは全く役にたたない」とか言ってたわりに、エラそうなこと言うねえ。
おまけに、「くだらない世代論なんか止めろ」って主張している本に対してくだらない世代論で返すって一体何なのよ?!
だからこそ「世代」という鎖に縛られ続けているものとは、ここで決別しなければならない。「世代」だけを基準に内ゲバを繰り返しているのでは、真に問題にすべき権力の構造を素通りしてしまうからだ。そしてそれは、権力者にとってはもっとも都合のいい事態なのだから。
『おまえが若者を語るな!』第五章
dankogai、アタマ悪過ぎ。
大体、「一回り上の世代に通じる」とか言っておきながら、「時代を超えた若者の特徴」って、文章のツジツマ合ってないだろ。
それと同じように早熟を強いられている今の若者はかわいそうといえばかわいそうではある。大人に文句を言っていれば格好がつくという時期が彼らにはほとんど与えられていないのだから。極論してしまえば、若者であることそのものを、今日日の若者たちは許されていないのである。
ウワッ、また「上から目線」だよ。
だからこそ、若者は主張しなければならないのだ。
反論ではなく、自論を。
だからぁ、この本は「若者の主張」なんかじゃないんだってば、最初から。
自分のアタマの中で、著者が思ってもいないような本のイメージを作り上げておいて、それを元に勝手なこと言うのは止めろって。
それにしても、私が福岡伸一の批判をしたときの反応を見たときも思ったんだけど、何かを批判することを「ネガティブだ」とか「不毛だ」という風にしか受け止められないのって、何なんですかね?
クダラナイものを「それはクダラナイ」とハッキリさせることは、実に有意義でポジティブなことだと思うんですがね。
みなさん、そう思わないんですかね?
批判から積極的な論を立てるところまで、全部一人でやらないと認めてもらえないんですかね?
批判だけだと何もやったことにならないんですかね?
どうして一人の人間に何から何までやることを期待しようとするのか、私には理解できませんね。
dankogaiのヤツ以外にも、この本を批判しているのをいくつか目を通したけど、くだらないのばっかりだなあ。
「他人の批判ばかりしてるのは生産的じゃないよね。よい部分もあるんじゃないか、という見方をしてあげないと」
そう思ってるなら、他人の批判の批判なんかしてないで、よいところをハッキリ分かるように抽出してやれよ。
こっちは悪いところを抽出してやったんだからさ。
いいところと悪いところがゴッチャになって区別できなかったら、何の役にも立たないだろ。
それをする気がないなら、黙ってろ!
「文脈から切り取って、批判しやすいところばかり批判している感じがするんだよなあ」
それで何が悪いのかね?
基本的なところでバカげたことを言ってるヤツは、もっと上のレベルでもバカげたことを言ってるんじゃないかって疑うのが合理的ってもんでしょ。
いきなり高度でややこしい議論を始めるよりも、分かりやすいところから批判したほうが効率的でしょ。
そもそも、宮台なり東浩紀なりの言うことを元の文脈に戻してやったら、まともな言説になるのかね?
ここで、私は物理学者のスティーヴン・ワインバーグのことを思い出すんだけど。
「ソーカル事件」のときのお話。
ワインバーグは、ソーカル論文が惹起した問題を分析した論説を《ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックス》に発表し、それに対して寄せられた投書に対する返答の中で次のように結論した。自分は、フランス人哲学者ジャック・デリダが「アインシュタイン定数」を持ち出して言いたかったらしいことをなんとか理解しようとしてみたが、結局のところ、「コンテクスト中のデリダは、コンテクストを外したデリダよりもなお悪い」との判断に至ったにすぎなかった。
「コンテクスト中の宮台は(あるいは東は)、コンテクストを外した宮台(あるいは東)よりもなお悪い」ってことになるかもしれないぜ。
批判だって生産的に成り得るし、本気で何かを批判しようとしたら、それなりに労力が必要なんですがね。
何で分かってくれないのかなあ。
なんかもう、ウンザリするんですけど。
例えばさあ、こんなことを想像してみてくださいな。
会社の事務所に空き部屋が一つあるのだけど、みんなが勝手に物置がわりに使っていてガラクタだらけになっています。
どうせならば、中を片付けてフロアで邪魔になっているサーバを設置する場所にでもした方がいいな、とみんな思ってるのだけど、メンドウなので誰も動こうとしません。
そこで、一人が一念発起。
ガラクタを可燃物と不燃物により分けて、ダンボールにつめて、ゴミ捨て場まで何度も往復して処分しました。
さあ、これでスッキリしたぞ、と思っているところに、誰かがやってきて、こう言います。
「アー、片付けたんだ。だけど、サーバの設置まではやってくれてないんだね。」
ふざけんな、ボケ!
その上、こんなことまで言い出します。
「なんだあ、全部捨てちゃったのぉ、使えるヤツもあったのかもしれないのにぃ。」
死ネ
そう思ってるなら自分でやれよ!
自分でやる気が無いなら黙ってろよ!
アー、ホント、ウンザリ。
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コメント
こんにちは。
私のところにもたまに「反論」がくるんですが、簡単にいうと、だいたいは、「(後藤さんが批判している論者は)まちがってる(かもしれない)し、社会的に大問題じゃないんだけど、好きなこと言いたいんだー、でも、まちがってるっていうな!良いことも言ってるかもしれないじゃないか!」ですからね。意味がわからんというか。“若者論消えろ”っていうのもここまで行けば、もう「思想」だと思いますよ。ほかに誰がやってます?私は「俗流若者論」というのは歴史に残る言葉だと思ってますよ。だいたいこの本は保守系の「昔は良かった症候群」の老人たちの「批判」を書いてみては?という編集の依頼に対して、「若者の代弁者」と認識されてる「エセリベラル」に焦点をあててるわけで、老人批判じゃないし、後藤さん自身が老人バッシングをしたいわけじゃないでしょうに。
>クダラナイものを「それはクダラナイ」とハッキリさせることは、実に有意義でポジティブ
そうなんですよね。例えば「リスク評価」の実績とかをどう思ってるんでしょう。これは本当に問題なのか?どの程度の問題なのか?という問題系ってふつうに会社の業務内でもやってると思うんだけど(やってないとつぶれますよ)。あるサービスをクローズするときに、ベンダーからこれは「クローズ用のシステム作りましょう。○○○○千万円で!」っていってるときに、全員やる気になってるけど、実はよくよく聞くと「サービス加入者100人でした!」と。カスタマーセンターからOBコールかけてもらえばいいだけじゃないですか?「それをやらなかったこと」という判断ができる分析って充分ポジティブなことなんだけど。
投稿: 安原 | 2008年9月30日 (火) 10時37分
たぶん、dankogaiさんは、お得意の速読術で要点をすっとばして斜め読みしたのでしょう。そして本のタイトルから脊髄反射のわら人形論法を展開すると...最近の彼の記事に多い雑な書評です。要点を読み取れない速読術って(笑)
投稿: h-tee | 2008年9月30日 (火) 14時29分
安原さん>
>これは本当に問題なのか?どの程度の問題なのか?という問題系ってふつうに会社の業務内でもやってると思うんだけど(やってないとつぶれますよ)。
自分の日常業務の中では、そういう風なことも考えてると思うんですよ。
なんか「思想」というものを日常から離れたものだと思ってるんじゃないかなあ、と。
h-teeさん>
>たぶん、dankogaiさんは、お得意の速読術で要点をすっとばして斜め読みしたのでしょう。そして本のタイトルから脊髄反射のわら人形論法を展開すると...
なるほど。
「お前が若者を語るな!」->「じゃあ、お前はどう語るんだ?」
という先入見で読んで、
「何だ、批判しただけで終わりかよ」、と。
そんなところでしょうね。
>最近の彼の記事に多い雑な書評です。要点を読み取れない速読術って(笑)
私は池田信夫にも似たことを感じます(笑)。
投稿: a-gemini | 2008年9月30日 (火) 21時35分
結局のところ、「ポジティブ教徒の言うことは不毛だ」ってことですね。
と言うわけで、ポジティブ教への転向は、もう終了しました(笑)。
投稿: a-gemini | 2008年9月30日 (火) 22時54分
なんだ、もうやめるんですか、ポジ教。
相当良心的な人なんですね(笑)。
いや、正直というべきか。
表層的ポジ教は、ある意味詐欺ですからね。
なんでもかんでもとにかくポジティブにというノリは気持ちがわるい。人をポジティブな言葉でいい気分にさせておいて、実は本質から目を背けさせているのではないか、という疑念がいつもつきまといます。
そのあたりを、どのように回避してポジティブさを発揮してくださるのか、ちょっと楽しみだったんですが...
投稿: h-tee | 2008年10月 1日 (水) 01時24分
>なんだ、もうやめるんですか、ポジ教。
こういう性格だから仕方ないですね。
>人をポジティブな言葉でいい気分にさせておいて、実は本質から目を背けさせているのではないか、という疑念がいつもつきまといます。
ウム、激同です。
>そのあたりを、どのように回避してポジティブさを発揮してくださるのか、ちょっと楽しみだったんですが...
そ、そんなぁ(涙目)。
投稿: a-gemini | 2008年10月 1日 (水) 22時02分
「若者論」は意味ない、との主張なのに、
「じゃ、お前の若者論は?」と突っ込むほど馬鹿な事は有りませんね。
dankogai氏は本書を読んでないのでしょうか。
投稿: つけめんデリック | 2008年10月 2日 (木) 13時24分
まあ、ロクに読まずに書いているのでしょう。
コメント欄で粘着している人間(一人?複数?)も困ったもんですな。
投稿: a-gemini | 2008年10月 2日 (木) 21時31分
こんばんは。
>コメント欄で粘着している人間(一人?複数?)
あらまあ。俗流若者論で進んだ教育再生会議とか見れば一目瞭然でしょうに。安原レベルでもわかりますが。そしてある意味教育再生会議は「新しい自論」でいっぱいでしたけどね(笑)。あれがいいってことかしらね?
それで足りなければ…。
「治安・犯罪対策の科学的根拠となる犯罪統計(日本犯罪被害調査)の開発」平成16年度度~18年度科学研究費補助金(基礎研究 研究報告書)辰野文理 第4部 第2章
『「日本の犯罪が増加している」という意識に最も影響を与えているのは「最近の若者のモラルが低下してる」という意識であり、次いで「クレジットカード詐欺などへの不安(個人情報の漏えい不安)」などが影響を与えている』んだそうです。決定木という手法で分析されてます。
ふまくん(?)これもいっしょに貼ってくれないかしら(笑)。
投稿: 安原 | 2008年10月 2日 (木) 22時45分
>そしてある意味教育再生会議は「新しい自論」でいっぱいでしたけどね(笑)。
まさに。
>ふまくん(?)これもいっしょに貼ってくれないかしら(笑)。
ふまくんかな?
ちょっとタイプが違うような気もしますけど。
投稿: a-gemini | 2008年10月 2日 (木) 23時08分
>現代、『自己責任論』が悪の様に云う若手の論者が増えている。
>特に『「ニート」っていうな』(光文社:2006)の著者の一人、後藤和智。
>『おまえが若者を語るな!』(角川書店:2008)等で、
>宮台や東や養老を愚弄する発言を繰り返しているが、
>「自分達が被害者面するな!」と言いたい。
>赤木智弘もそうだが、別に君達世代だけが、教育の人体実験に>供されてきた訳ではない。
>何故、君達より年齢が上の人間が、過労死し、或いは、自殺 するのか、
>それこそ、データを取って、考えたことがあるのか!
>
>後藤も赤木も、はっきり言って、単細胞だ。
>特に後藤は自分が既に安全地帯に立った上で、周囲の若者を煽っているだけにたちが悪い。
>答えを単純化したがっている。
>思考停止状態だよ、君たちは。
>フランチェンなら笑ってすむが、君たちの言説は、笑って済むどころか、嗤わずにはいられないし、
>場合によっては、それ相応の「責任」と云う、絶対誰も負う事の出来ないものを、
>負って貰わなければならないかもしれない。
>後藤和智も赤木智弘も、
>結局、資本主義経済の、特に経済が人間の感情で動くと言う原理を利用して、
>自分達の言うところの、「搾取する側」へ立とうとしていることに気が付かないのか、
>或いは、気が付いている上で利用しているのか?
http://blog.hangame.co.jp/B0000210422/article/16841646/
投稿: | 2008年10月 3日 (金) 03時04分
コピペ元の方に、あなたの言ってることはつまらない、とお伝えください。
それから、10月1日の記事の中で、「ジェーン・グドール」を「ジェーン・グールド」と間違えていて、とても恥ずかしいです。
そっと、教えてあげてください。
投稿: a-gemini | 2008年10月 3日 (金) 21時12分
件のコメント欄の人、「F臭がする」と指摘されてるのに否定してないから、やっぱりふまくんかも。
普通の感覚の持ち主なら、「F臭がする」と言われたら否定しますよね(笑)。
投稿: a-gemini | 2008年10月 3日 (金) 21時29分