実りの秋を迎えた。岡山県南でも稲が黄金色に輝き始め、間もなく収穫が本格化する。
○○産コシヒカリ、△△産ササニシキなど日本のコメには多彩なブランドがあり、消費者のこだわりも強い。人気の度合いによってかなりの価格差が生じるが、米穀店の人に聞くと「表示と中身が違っていても、まず見抜けない」と言う。プロでも基本的に表示を信じるしかない世界のようだ。
汚染米の不正転売は事件に発展し、流通先は拡大している。用途も菓子や酒にはじまり、学校や病院の給食などに広がる。汚染米の流通には多くの米穀店などがかかわり、どこまでの業者が汚染米と知りつつ転売し、どこで産地が変わったかといった真相はまだ分からない。
消費者の不安と憤りは募るばかりだが、似たような話がこれでもか、これでもかと続く。耐震構造の偽装、年金記録の改ざん、賞味期限の付け替えや産地の偽装など枚挙にいとまがない。悪質なことをした当事者以外には、容易に見抜けない点が共通する。
問題が表面化するたびに、法令順守の精神や職業倫理が欠如していると批判される。だが、そういうかしこまった言い方以前に、人間としてやってはいけない常識の問題だろう。
基本的な常識が大きく崩れる社会をどうするか。問題の根は深い。