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ようこそ! 釧路教会へ 2008年10月 4日(土) 02:04 JST
9月16~19日、国進様が来日されていました。今回、韓国の一般の月刊誌「Headline News」9月号の表紙に国進様が掲載されました。本文の記事には、8月31日に韓国を訪問されたバスケス・ウルグアイ大統領との会談の様子などが書かれています。韓国とウルグアイが国交を樹立したのが1964年で、ウルグアイの現職大統領が韓国を訪れるのはそれ以来初めてのことであり、李明博大統領が招請したわけですが、9月1日の両大統領の頂上会談よりも先に統一グループの招請午餐会に出席し国進様と会われたというのは異例のことです。
先月は亨進様が韓国の一般の月刊誌「President」8月号の表紙を飾っています。記事にはダライラマとの会談の様子などが書かれています。この「プレジデント」のインタビューの時には記者が5人も来たそうで、その中の2人は日本から来ました。そして、その1人が持っていた手帳には統一マークが入っていました。いわゆる統一手帳を持っていたわけです。 実はその記者は日本人ではなく、日本で韓国語教師の仕事を副業として行っている方でした。手帳はそこの教え子からもらったそうで、韓国語学校の学生の90%が食口の子供だったのです。そしてその記者は教え子たちのことを「とても良い子たちで、このような子供たちを教育できることが私にとってとても大きな喜びです」と言われたそうです。本当に希望的な証しです。
天一国食口礼拝での亨進様の御言を紹介します。
「聖書にヨブの話しが出てきます。ヨブは神様に真実な心で侍る人でした。サタンはそのようなヨブを試したいと思いました。サタンは神様のところに行き、『ヨブが神様を敬うのは彼がたくさんの祝福を受けているからだ。もしヨブが全ての祝福を奪われたらこれ以上神様に侍ることはないだろう』と言いました。神様は、ヨブの命だけを奪わなければ彼にどんな試練を与えてもよいとサタンに話しました。サタンはヨブが大切に思っているものを一つ一つ奪い始めました。ヨブは全財産と、10人の子供を失いました。そしてヨブの健康を奪いヨブは病気にかかって全身に腫れ物ができました。しかしヨブは、決して神様を不信したり神様に対して不平を言いませんでした。結局、サタンは神様に向かったヨブの絶対的な信仰と確信に自然屈伏しました。神様はヨブに以前よりも2倍の祝福をくださいました。
ヨブの話しには大切な教訓を見つけることができます。サタンがヨブに試練を与える時、始めは家畜を、次には土地を、そして次には家と子女を失わせ、最後にヨブ自身が大きな病気にかかって苦痛を感じるようにしました。しかしそのような試練にもヨブは揺れることがなかったので、サタンは焦り不安になりました。なぜなら、ヨブが試練に勝利すれば神様とヨブに対して自分が自然屈伏しなければならないからです。私たちにも同じことが言えます。神様の子女として神様に侍り一生懸命信仰生活をしているにもかかわらず、皆さんの環境がもっと難しくなっていっているとすれば、それは祝福がより近づいたという証しです。サタンが最後の力を尽くし皆さんを試しているのです。皆さんが揺れなければ、皆さんを苦しめているサタンは自然屈伏することになるでしょう。ヨブを祝福したように神様は皆さんにもより大きな祝福をくださるでしょう。」
先日、テレビで全国合唱コンクールのドキュメント番組をやっていました。アンジェラ・アキさんの「手紙」という曲が合唱の課題曲になっていて、この歌は15歳の自分から30歳の自分へ手紙を書くという内容の歌詞になっています。それである中学校の合唱部の子供たちが実際に30歳になった自分に手紙を書くのですが、いろいろな悩みを抱えているある15歳の女の子が、この歌に出会うことによって物事を深く考えるようになり、それによってかえって悩みが増えてしまったかもしれない。でもその悩みに立ち向かっていく気持ちを持てるようになった…というような手紙を書いていました。それを見ながら感動しました。
私たちも御旨の道に来ることによって悩みが解決したかというと、そうでもない場合もあります。もしくは別の悩みがたくさん増えているかもしれません。それでも以前よりはたくましく生きているのではないでしょうか。それは生きる「動機」が成長しているということです。15歳の女の子が1曲の歌と出会うことでかえって悩みが増えたにも関らず、逆にその悩みに希望をもって立ち向かえるようになるわけですから、私たちは御言に出会ってもっとたくましく変わることができます。神様は御旨や摂理を通して私たちの「動機」を成長させようとしています。
大きな試練やサタンの攻撃が立て続けにぶつかってくる時は神様の祝福が近づいている時ですから、それは決して落ち込むべき内容ではありません。逆に希望をもって揺れない心で前進していけばいいのです。
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