<2003年8月23日 朝刊 30面>
長寿の島の岐路(109)
「島民の命を預かるのはやりがいがある半面、重圧も感じる。島の人々と親しくなり、生活にも慣れてきた」
深夜に心肺停止で診療所に担ぎ込まれた四十代の男性を忘れることができないという。蘇生の見込みがない中、家族に「どうにか助けて」とすがられ、消防団員らとともに約九時間、心臓マッサージを続けた。「離島では診断から本人や家族への説明、処置まで一人でこなさないといけない。離島医療の厳しさをあらためて実感した」という。
一日の患者数は約四十人。高血圧や糖尿病などの慢性期の患者がほとんどだ。
最近の日課は、同村の平安山良一さん(84)への往診だ。心筋梗塞で今年一月に倒れた平安山さんは沖縄本島で入院生活を送っていたが、七月中旬に帰島し、自宅療養を続けている。八月上旬からは発熱が続き、朝夕二回、抗生物質などを点滴している。「早く島に帰りたかった。金城先生がいるから、安心だ」と平安山さん。金城さんも「そう言ってもらえるだけでうれしいですよ」と笑顔がこぼれた。
13の診療所に医師派遣
中部病院は現在、離島へき地の十八の診療所のうち、十三カ所に医師を派遣している。多くの島を抱える沖縄県で、離島医療は医療行政の最も重要な課題の一つ。同病院も臨床研修や二十四時間の救急医療に並ぶ機能ととらえ、その拡充に取り組んできた。
派遣される医師たちは救急医療を中心とした臨床研修で多くの患者に接し、厳しい訓練を受けてきた。あらゆる疾患の初期治療をこなし、病状の見極めができるプライマリケアを身に付けている。
しかし、離島医療支援室の田仲斉さん(38)は「離島は慢性期の患者がほとんどで、臨床研修で培ってきた技術や知識をなかなか発揮できない。環境の違いに戸惑い、離島勤務を単なる義務、あるいはキャリアの空白期間ととらえる場合もある。自分だけ取り残されるという孤立感にも苦しめられる」と指摘する。
現在、支援室を中核として各県立病院や診療所とインターネットなどで結び、画像が送れる遠隔診断やテレビ会議も可能になった。診療方針の相談だけではなく、精神的なサポートにも努めている。
常に緊張感を強いられる離島勤務医を時折、業務から解放するのも支援室の仕事。休日や学会出席などで診療所を空ける場合は他の県立病院と連携して代診を務めている。
へき地にやりがい
離島医療に魅力を感じ、勤務を希望する医師も徐々に増え始めている。波照間島や古宇利島での勤務を経験した山川宗一郎さん(33)もその一人。「島では患者の人格や生活、歩んできた人生をすべて受け入れて医療をする。病気だけではなく、人を見ることに医の原点を感じた」と語る。研修時代は目の前の仕事だけで精いっぱいで、患者とゆっくりと向き合えず悩んだ。友人に「医師を辞めようか」と相談したこともあった。だが、離島医療に自分の居場所を見つけた。
山川さんは「プライマリケアには初期治療だけでなく、患者の家庭環境や人格、地域をも視野に入れた治療も含まれている。島での勤務でそのことに気付いた」という。
同病院で離島勤務を経験し、現在、県へき地医療支援機構の専任担当官を務める崎原永作さん(49)は近年重要性が見直されている家庭医の仕事に離島での経験が生きると指摘する。「家庭医は患者が背負ってきた人生を理解し、意思を尊重し、その人に寄り添って最良の選択をすることが求められる。専門的な医療だけを学んでいては身に付かない能力だ」と強調する。(「長寿」取材班)
この企画は木—日曜日に掲載します。
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患者宅を往診する金城さん=南大東村
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