2008年10月01日

韓国人・池くんと池田大作物語

(フリーライター特報版10月号ーその1)

土井たか子・朝鮮帰化人説の行方

本気で怒っていないよね   
                             瀬戸弘幸

  国籍を二つも持ち、東京都から生活保護費を2ヶ所の住居で取得している人物を確認した。日本は食い物にされている。法治国日本の崩壊ではないか。
 悪徳外人の話の前に、まずは関連記事からはいろう。
≪ ★「朝鮮半島出身は捏造」 土井たか子氏、出版社側提訴
 
月刊誌「WiLL」が、社民党元党首の土井たか子氏が朝鮮半島出身であるかのような記事を掲載したことに対し、土井氏は18日、事実に反し、信用や名誉などを毀損(きそん)されたとして、発行元のワック・マガジンズ(東京)と代表者らを相手取り、全国紙への謝罪広告の掲載と損害金1万円を求める訴えを神戸地裁に起こした。
 訴状によると、同誌は06年5月号に掲載した論文「拉致実行犯辛光洙(シン・グァンス) 釈放を嘆願した“社民党名誉党首”」の中で、「土井氏は知る人ぞ知ることではあるが、 本名『李高順』、半島出身とされる」などと言及した。土井氏側は「事実無根の捏造 (ねつぞう)記事で、土井氏に対する取材に基づかない一方的な推測で作成した ものだ」と主張している。
 同誌の花田紀凱編集長は「訴状を見て対応したい」と話している。 ≫
 続きは↓ネット記事でご覧いただきたい。
http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/51434834.html
 
 この上の記事は2007年4月21日のブログ「日本よ何処へ」における記事である。1年ほど前のブログ記事を引き合いに最近、私を盛んに攻撃している創価学会のジャーナリストのブログで、この問題に関連していると思われる記事を見ました。次の記事がそれです。
                      (2)

柳原滋雄のWeBサイト 
 その「国家主義信仰」の日本における事実上の機関紙の一つといってよい月刊誌「WiLL」が2006年5月号で、元社民党党首の土井たか子氏を朝鮮人と名指しして記述し、土井氏側が虚偽事実の記載にもとづいて名誉毀損による損害賠償を求めていた裁判で、この11月13日、神戸地裁で一審判決が言い渡される。
 執筆したのは、花岡信昭という産経新聞出身の元記者だが、右にしろ、左にしろ、根拠もなくウソを垂れ流す人間は世間に多いようだ。
 「WiLL」の発行元のワックマガジン株式会社と花田紀凱・編集長はすでに事実誤認を認めており、被告側の敗訴が確実視されている。
 村山デマ事件において、この乙骨某の後に出てきた「瀬戸某」は、さらにレベルが低い。まるで乙骨某につづく、取材しないジャーナリスト“第2号”だ。それでも本人は「ジャーナリスト」を名乗っているから、この世界、何でもありという風潮を強める結果となっている。
 この自称ジャーナリストは、まず自分で取材しない。ネット情報を過度に信用し、たわいもないデマを平気で垂れ流す。「右翼」は気に入らない人間に対しては、決まって朝鮮人などとレッテル貼りすることで知られるが、本当の「ジャーナリスト」なら、戸籍くらいきちんと調査して口にするのが普通だ。
 事実いまも、元産経新聞記者が同じようなデマを政党の元党首になすりつけ、元党首は裁判所に戸籍を添付して訴えた。それだけでウソは暴かれ、産経記者らはすでに“土下座同然”の結果となっている。
 瀬戸某は、“自分で取材しないジャーナリスト”なので、もともとそんなことはお構いなしだ。たとえ自らの立場と対立するはずの極左政党の機関紙記事であっても、それが事実かどうかを自分のフィルター(具体的な確認作業)で検証す
                      (3)
ることも一切なく、平気で引用する。ところがそれが間違いであると指摘されて、ようやくおとなしくなるといった具合である。≫
 この人物は、私が日本共産党の赤旗に掲載された記事を引用したことが、よほど気に食わないと見て、それ以降、私のことをことあるごとに取り上げている。 こちらは宣伝になるので構いはしませんが、私が『赤旗』の記事を取り上げただけで、「赤旗右翼」などと書くくらいですから、まぁ〜その程度のレベルの人ということです。 この人は、裁判で勝訴したとか何とか言っていますが、今でもネットで検索すれば、この人物の正体が出ています。
 反共謀略本 著者は創価学会   http://www.jcp.or.jp/akahata/aik2/2003-09-03/15_01.html
 これはどうでも良いのですが、まずは本題から見ていきましょう。次のような記事を書かれています。
≪ 戸籍くらいきちんと調査して口にするのが普通だ。事実いまも、元産経新聞記者が同じようなデマを政党の元党首になすりつけ、元党首は裁判所に戸籍を添付して訴えた。それだけでウソは暴かれ、産経記者らはすでに“土下座同然”の結果となっている。≫
 確かに土井たか子氏の弁護士は一番最初に戸籍を示して『WiLL』の出版社に対して抗議を申し込んでいます。しかし、それは第一段階であって、現在の争点はまったく違うと伺っています。
 つまり、土井たか子さんは古くからの日本人家系の人なのか?
 それとも在日朝鮮人の系譜から帰化された方なのか?
 この争いであるとは聞いていません。
 今、争われているのは、記事を書くにあたって、記者がインターネットなどに広く流布されている≪土井たか子は朝鮮名「李高順」を持つ半島出身者≫などとい
                      (4)

うことを、本人に取材することなく、雑誌に掲載したという、その言ってみれば手法に対して文句を言っているに過ぎません。
 だいたいが「損害金が1万円」ということからして、これほどこバカにした裁判はあるまい。日本人なのに朝鮮人と報道されたことが、たったの1万円の損害というのだから呆れます。 普通の感覚なら、最低でも100万円は要求しておかしくないケースです。仮にも衆院議長まで経験した人物です。その人が1万円というのはどうしても解せない話です。
 どうせなら、裁判では「本当に土井たか子という人物は朝鮮DNAと関係ない人物なのか?」そのことについて、ハッキリと、この際だからして欲しいものです。
 それから福島瑞穂さんでしたか、瑞穂さんにも同じようなことが言われ続けていますね。かつて当ブログでも書いたことがあります。
 福島瑞穂(趙春花)説も訴えますか?
http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/51435279.
 どうも日本社会には出自が定かでない人が多すぎます。
 柳原滋雄さんは創価学会のことは詳しいですよね? 池田大作様の出自を教えて頂けませんか? よろしくお願いします。
(本誌から参考資料・韓国から帰化した書家の伝記 『00』 ××××
 ちなみに、19××年生まれの00さんの『書鑑』刊行(1978年)に際して、「雄渾精細、正統書道の名手・××××君によって、書道追及の全生涯を賭けた名著『書鑑』の完成をみたことは、書道愛好家として、これにすぎる欣快はない。(以下略) 衆議院議員 ****」や「書道本流の鬼才として、50年の書歴を誇る集大成をなす書鑑は、まさにその道の者に垂涎の珠玉作品集である。(後略) 参議院議員 +++++」らが推薦文を寄稿している。
                      (5)

 伝記の「第6章 一期一会」でまっさきに登場するのは「安岡正篤先生」だが、あとは「李さん」や「孔さん」などの同国人のトップに記述されているのは「池くん」である。少々長いが「池田大作さんのこと」だそうだから、転載しよう。
≪ 人との出会いというのは、おもしろいものです。みんなそれぞれに印象深い。
 昭和19年に妻を柏崎の実家に疎開させたことをお話ししましたね。わたしは東京に残って、ときどき柏崎に通っていました。昭和18〜19年ごろになると列車の本数が減って、切符を入手することさえ大変でした。国鉄の大崎駅に韓国人の助役さんがいて、その人に頼みこんでようやく買っていました。なんとか乗れても、座れるような状態じゃない。デッキや通路に新聞紙を敷いて、隣の人と膝や背中を押し付けあって何時間もそのまんまです。そうやって何度か柏崎まで往復する車内で、池くんという青年と知り合いになりました。韓国人と日本人は顔つきがよく似ていますが、同胞というのはなんとなくお互いに分かるもので、池くんも初対面で韓国人と分かった。「池」という姓は日本にもありそうですが、これは池という韓国名を日本式に読みかえたものです。
「どうして新潟へ?」
「新潟の鉄工所に勤めているんです」
「お家は?」
「品川です。おやじが海苔をやっています」
 車中の退屈しのぎにおたがいの身の上話などして意気投合しました。ひょろっとした体格でしたが、頭の切れる弁舌さわやかな好青年で、日本語も韓国語もどちらもとても達者でした。学校をたずねると「東洋商業」と答えました。水道橋から線路沿いにお茶の水のほうへ上がったところにあって、やかましいことをいわずに、だれでも入れてくれる学校で、韓国人がたくさん通っていたものです。たしか2度ばかり、どちらも偶然にいっしょの汽車になりましたが、しかしそれだ
                      (6)

けの縁で、その後は忘れていました。ところが戦後、思いがけず再会しました。
 昭和22年、わたしは西荻に住んでいました。新聞社をやめて、『世界情報』という週刊誌をやりかけていたころです。大陸浪人だった石川という人がいて、なにか私に書いてくれという。どうするんだ、と聞いたら、戸田城聖という男に見せるんだという。「駅の反対側に住んでいるから、あんたも連れてゆくよ。一度あっておくといい」というような話をしました。
 そのしばらく後で池くんに、西荻窪駅の近くでばったり出会ったのです。
「池くんじゃないの。どうしてこんなところに」
「ちょっとこのへんに勤めがありまして」
 その後、数年経って池田大作氏の経歴などを読んでみると、お父さんが品川で海苔の仕事に従事していたこと、東洋商業を出て、戦争中は新潟の鉄工場で働いていたことなど、池くんが語っていたことと一致している。西荻窪で出会ったころは、池田大作氏が創価学会に入信して、戸田城聖氏のもとへ通っていた時期に当たっています・・(後略)≫
 池くんイコール池田大作氏であると、書家・××さんの伝記には記述されている)

 



mumeikai at 23:00 │Comments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!

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