オタクの語源
「オタク」という言葉は、もともとSFファン同士がイベントで集まる場などで使われる二人称として発生した。というのも、そういったSFのイベントでは、それぞれの人は単なる個人としてではなく、各人の所属するサークルを代表する人間、というとらえられ方をされていたからだ。そのため「オタクのサークルでは」「オタクのグループでは」という意味での「オタクは」という呼び方が好まれた。この言い回しは、SFファンの間で爆発的に流行し、1982年のTVアニメ『超時空要塞マクロス』で、登場人物達が使うことによって、アニメファンにも一気に広まった。
その言葉の持つ都会っぽさ、上品さにあこがれて、SFファンだけではなく、コミックマーケットなどに参加するアニメファン、マンガファンといった人々も競って使うようになる。
このオタクと呼び合う人々を、中森明夫は1983年にロリコンマンガ誌コラム内で、「オタク族」と命名。同時に、相手のことを名前ではなく「オタクとしか呼べない」という否定的ニュアンスが付加された。
オタク族という新人類は、80年代のバブル経済・サブカルチャー全盛時代に、一般人には全く理解されず、いつまでもマンガやアニメを見ている子供っぽいヤツ、ダサくてダメなヤツというレッテルが貼られる。それに追い打ちをかけるように1989年、連続幼女殺人事件が発生、マスコミの「容疑者M=オタク=社会不適格者」という偏向的な報道によって、人々の間にオタクはダサくてダメなヤツだけではなく、暗くてアブないヤツ、という決定的な差別感を植え付けることになった。
オタクの現状
1990年代に入って、セーラームーン、ドラゴンボールなど日本のアニメやゲームが世界中で大ヒットしているという情報が日本に伝わり始めた。同時にハリウッド映画などでも、日本のアニメの影響が素人目にもわかる作品がいくつも発表されるようになる。
海外では、アニメ、マンガなどのファン=オタク=ダサくて暗いやつら、というイメージは全くない。急増する海外の日本アニメ、日本マンガファン達は明るく誇りを持って自らをOTAKUと称している。この現象がマスコミを通じて逆輸入されたのが、1996年である。
オタクという言葉は、オタク文化に対する海外からの高い評価によって大きく意味あいが変貌しつつある。
海外に広がるオタク文化
海外で日本のオタク文化が受けている、という事実を日本人に教えたキッカケは『パワーレンジャー』全米で大ヒット、という報道だった。「日本の特撮番組をアメリカで再編集して放映したら、アメリカの子供達に大人気!」というニュースが、1995年から何度もマスコミに報じられた。その他、翻訳されているマンガやアニメの種類も多い。
また、アメリカだけではなく世界各国でも同様の状況が観測された。例えばヨーロッパでもセーラームーンとドラゴンボールが大ヒット。イタリア国営鉄道の95年のキャンペーン・キャラクターはセーラームーンであり、乗換駅にはどこもセーラームーンの巨大ポスターが張られ、日本からの観光客を驚かせた。
東南アジア諸国も積年の問題であった海賊版商品群に関して、次々と権利問題をクリア。大々的にマンガ・アニメの販売を開始した。
産業としてだけではない。世界中の先端アーティスト達も、東洋の島国から来たこの独特の文化に注目し始めている。独特のデフォルメを施されたキャラクター、ディズニーと全く違った様式の動き、この全く新しいスタイルは、彼らの目にも鮮烈に映ったようだ。96年のニューヨーク現代アート展では、日本アニメの美少女をモチーフにしたアート作品が注目を集めた。
しかし未だ日本では、オタク文化といえば子供や一部マニアだけのもののように思われている。このままでは、かつての浮世絵のように、世界的に注目されているにもかかわらず、国内では全く省みられないまま終わってしまう恐れすら大いにあるだろう。
立派なオタクのあり方
アニメ・マンガにしか興味がない「旧世代オタク」と、現代の進化した「新世代オタク」を分ける要素はいくつかある。まず、単に好きなアニメ・マンガを見て終わってしまってはいけない。
たとえば、『スターウォーズ』というSFX映画が好きで、ビデオを毎週見返している。これは単なる「ファン」としての行為。
これが旧世代オタクになると、過去のTV放映版を全てコレクションしたり、未発表音楽CDを買ったり、映画雑誌のスターウォーズ関連記事を丸暗記したり、関連商品を買い占めたりする。
しかし新世代オタクは、これだけでは満足しない。スターウォーズを類似作品、たとえば『バトルスター・ギャラクティカ』や『エイリアン』と比較し始めたり、スタッフクレジットをチェックしたりと、対象を「研究」しはじめる。今までの見て楽しむだけ、コレクションするだけの旧世代オタクとの違いはここにある。
常に探求心と向上心を持って、より広いジャンルに興味を持ち、知識を吸収しようとすること。そうやって、吸収した知識や作品によって磨かれた感性を、自分なりに整理し、言葉にし、発表すること。オタクとは、自分なりの作品の見方を持つ優れた批評家のことである。
もちろん、この行為は職業である必要はない。発表の場は同人誌でもパソコン通信でもサークルでも友達に対する長電話でもかまわない。ただ、常に相手をおおっと驚かせ、うーんと唸らせる気概が必要だ。そのためには見たくもない作品にも目を通し、一般教養をも身につける。そうして発表する度、オタクとしての資質が磨かれていくのだ。
粋の眼・匠の眼・通の眼
ぼんやりと作品を見ているだけでは百年たっても立派なオタクにはなれない。作品を多角的に分析し、自分なりの論を組むためには「粋の眼」「匠の眼」「通の眼」という3つの見方を修得する必要がある。この眼を修得すれば、何故面白いと感じるのか、どこに惹かれているのか、常に客観的に見ようとする態度が自然に身に付いてくる。
「粋の眼」とは、マンガやアニメの制作者をアーティストとしてとらえ、それらの作品を社会的バックグラウンドや美術史的文脈から再評価する視点である。
「匠の眼」とは、オタク作品を成立させるテクノロジーを見抜き、その進化を正しく評価する視点である。
「通の眼」とは、それぞれの作品を成立させている経済的背景や人間的事情・楽屋裏を見通す視点である。
95年に劇場公開されたディズニー・アニメ映画『ライオンキング』を例に考えてみよう。まず、「粋の目」で見ると、この作品のテーマ性に視点がいく。『ライオンキング』は「王の再生」という寓話であり、これは、アメリカの当時の世相を色濃く反映している。
ベトナム戦争、ドラッグ、コミューン運動等で疲弊したアメリカのベビーブーマー世代は自信を失っていた。彼らは「もう一度、強いアメリカを取り戻したい」と願い、その想いが「徴兵を忌諱し、ドラッグにもふけった過去を持つ若きクリントン大統領を当選させ、再び世界の盟主たらんとする」という選択をさせた。『ライオンキング』の主人公はジャングルの平和のための戦いから逃げて、中米っぽい理想郷で菜食主義じみた生活にふける若ライオンだ。しかしジャングルの危機に対して立ち上がり、再び王として君臨する。
この「若き王による強いアメリカの復活」という寓話を持つ『ライオンキング』はベビーブーマー世代に圧倒的に支持させた。これが、アメリカでの大ヒットのエネルギー源である。
「匠の眼」で見るなら、ディズニーアニメにおけるCGI(コンピューター・グラフィックス・イメージ)の進化に注目しよう。『美女と野獣』では、自由にダンスホール内を飛び回り、主人公達を回り込みながら撮影するカメラの映像で、『アラジン』では魔法の絨毯で自由に飛び回るシーン、主観映像でのめまぐるしい動きにCGIが使用されている。いずれも「特殊なシチュエーションでの激しい動き」に対する背景の動きをコンピュータで正確に描かせる、という考え方だった。
が、『ライオンキング』では動物が画面上で一斉に動くというモブ(群衆)シーンでCGIが使われた。何十体何百体もの動物を一度に作画するのは、人間の手ではさすがにほとんど不可能だ。作画をコンピュータにゆだねることで省力化し、より豪華な演出を、という新しい使い方をしたわけだ。ディズニー映画におけるCGIとアニメとの融合も『ライオンキング』において大きく進んだと言える。
「通の眼」で見ると、注目すべきは手塚治のマンガ『ジャングル大帝』との類似事件だろう。アメリカのマンガマニアから「『ライオンキング』は手塚治虫の『ジャングル大帝』の盗作ではないか」という抗議があり、それが米マスコミでも取り上げられたことがある。
確かに『ライオンキング』は『ジャングル大帝』に酷似している。悪役が顔に傷のある黒髪の叔父ライオンである点、その配下がハイエナ二人組である点、主人公に忠告するのがオウムである点、王に仕える家老的役が猿である点など、多くの類似点があげられる。マスコミで取り上げられた時のディズニー側のコメントは「単なる偶然の一致」ということだった。このままでは国際的訴訟事件に発展するのではと危惧されたが、手塚治虫の遺族側から「もし本当にディズニーに影響を与えたのなら父も本望でしょう」というコメントを発表、一件落着となった。単に似ているなあではなく、こういった経緯もきちんと押さえるのが「通の眼」である。
オタク文化の領域
最後にオタク文化の範囲を述べておこう。
オタク文化は、大きく分けて3つのメディアを中心に成り立っている。
一つ目は「Visual」。アニメやSF映画、特撮といった映像メディアである。
2つめは「Publishing」。マンガ、SF小説、ファンタジー小説等のジャンルを中心とした出版メディアである。広い目で見れば、コミケなどの同人誌即売会もこの範囲に含まれる。
3つめは「Digital」。アーケードゲーム、家庭用コンピュータゲーム、パソコン通信、インターネット及び、パソコンそのものの環境も含めたデジタル・メディアである。
以上「Visual」「Publishing」「Digital」という3つのメディアが中心ではあるが、その周辺にはガレージキット、コスプレ、アニソン(アニメの主題歌)カラオケなど、幅広いメディアが存在している。オタク、というのはこれらのうち何か一つを趣味にしている人々を意味するのではない。これらのジャンルを包括した、共通の文化系に生きている種族なのだ。従って、アニメ・ファンはオタクであって、鉄道ファンはオタクではない、という安易な判断をするべきではない。オタク的な態度というのはこれらジャンルの壁を越えて、常に広く深く観察研究しようとする態度であり、そのような人こそ、「現代的なオタク」と呼ばれるべき人々である。
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